9話
コンコン。
扉を叩くと、返事と共に扉が開かれる。姿を見せたのは、もう見慣れた顔。リトアード公爵家使用人のサラだ。サラはアルヴィスの顔を見ると微笑み頭を下げた。
「おまちしておりました、アルヴィス殿下」
「少し遅れた。すまない」
ここに来る前に前触れは出しておいたのだ。通常、マナーとして相手の家を訪問する場合等には、訪問しても問題ないかを確認する。その上でいつ頃向かうのかを知らせるのが普通だ。友人同士であっても、当たり前である。今回は城の中ではあるが、流石に婚約者相手だとしても、突然訪問するのは失礼に当たる。
尤も、今回は伝えていた時間よりも少しだけずれ込んでしまったのだが、その程度に機嫌を悪くするようなエリナではない。それでも、形として謝罪は必要だとアルヴィスは思う。
アルヴィスからの謝罪の言葉に、サラは困ったように眉を下げた。
「殿下、そのようなお考えは殿下の美点ではありますけれど、私共のような使用人に使うのはお止めください」
「頭は下げてない」
「下げられたなら、私はここにはいられません。ご容赦くださいませ」
アルヴィスとしては、人として当然の行為だという考えがある。公の場ではアルヴィスと言えども、言葉が与える影響は理解しているので、言うことはない。あくまで、私的な場だからこそ出た言葉だ。
しかし、それも職務に忠実なリトアード公爵家の使用人には受け入れ難いらしい。アルヴィスは困ったように笑いながら頷いた。
「わかった。以後、控えるよ」
「ありがとうございます。中へお入りください」
「ありがとう」
サラの案内で室内へと足を踏み入れる。今回、エリナに用意された部屋は以前の部屋とは別の部屋だ。多少狭くなっているのは仕方ないだろう。
多くの来賓に部屋を提供するため、用意出来るのは控室程度。更に言えば、この部屋はエリナへということではなく、リトアード公爵家へ用意されたものだった。現在、リトアード公爵自身、そして次期当主のエリナの兄も不在である。その為、部屋の中にいるのはエリナだけだった。気を利かして部屋を空けたとも言える。
部屋の中でエリナは、真剣な眼差しで何かを凝視していた。アルヴィスが入ってきたことにも気が付いていないらしい。
「あれは?」
「先日届きました殿下からの贈り物なのですが……どれにするか迷われているようなのです。申し訳ありません」
サラの言葉にアルヴィスは納得する。アルヴィスがエリナへと贈ったものは、装飾品だ。今日のパーティーで身につけられるようにと選んだもの。お世辞にも女性への贈り物に慣れている訳ではないアルヴィス。どれが当日のドレスに合うのかなど分かるわけもなく、結局選択をリトアード公爵家の侍女らに任せるべく複数のモノを贈ったのだ。
真剣に侍女らと装飾品を選ぶエリナの元へ足を向けて、広げられている品を覗き込む。どれもエリナに似合うだろうと贈った品だ。アルヴィスはその中の一つを指差した。
「今の君ならこれがいい」
「ふぇ? え……っ!?」
エリナが勢い良く頭を上げて、目を大きく見開いたままアルヴィスを見る。すると、次にはバッと立ち上がり勢い良く頭を深々と下げた。共に見ていた侍女たちも慌てて、エリナに追従する。
「も、申し訳ございませんっ! 来てくださっていたとは露知らず、夢中になってしまいまして」
「構わない。女性にとっては大切なことだろう」
身嗜みを整えるということは、パーティーにおいて重要な割合を占める。女性ならば尚のこと。首を横に振って否定する。
良くアルヴィスの母、オクヴィアスが言っていたことをアルヴィスは思い出していた。女性にとって、パーティーの場は戦場なのだと。戦場に向かうための鎧が、女性のドレスや装飾品なのだ。
それを理解しているアルヴィスなので、こちらに気が付いていなくとも気にしていなかった。
「いえ、アルヴィス様が来てくださっているのに、それ以上に大事な事などありませんっ!」
アルヴィスの考えなど知らないエリナは、顔色を悪くして声を上げていた。令嬢としては、当然の行動なのだろう。口から出ている言葉には、アルヴィスも苦笑するしかない。
「大袈裟だ。頭を上げてくれ」
「は、はい!」
「それで、どうする?」
放っておけば更なる詫びの言葉が出てきそうなので、アルヴィスは先を促した。装飾品選びの続きだ。
先程アルヴィスが指していたのは、緑と青のグラデーションが入ったネックレスとイヤリングのセットだ。ドレスの色はアルヴィスも事前に聞いているので、色合いに問題もない。
「アルヴィス様が選んで下さったのです。こちらにします」
「随分と悩んでいたようだが、本当にいいのか?」
「はい!」
口を出しておいて今更だが、念のため確認をする。しかし、エリナは満面の笑みで是と答えた。
「どれも素敵なもので選べなかったのです。アルヴィス様が選んで下さったのなら、それが一番ですから」
「そうか。ならいい」
選んだのはほとんど直感のようなもの。パッと見て、これがいいと思ったからなのだ。それでもエリナが満足しているのなら、良かったのだろう。
テーブルが片付けられると、お茶菓子と紅茶が用意される。この部屋にソファは一つしかないので、アルヴィスはエリナの隣に座った。
「アルヴィス様は、まだお忙しいのではないのですか? こちらにいらっしゃっても大丈夫なのですか?」
「あぁ。後はパーティー前に父上たちと会うがその程度だな。明日以降は、時間は取れないだろうが……」
おもてなしという意味で、アルヴィスには仕事がある。特に今回はスーベニア聖国の女王が来ているのだ。気を遣うことになるのは間違いないだろう。
国家として、スーベニア聖国はルべリアやマラーナと同等ではある。だが、宗教国家であるため立ち位置が多少異なっていた。スーベニア聖国は各国の教会とも繋がりがあり、下手にスーベニア聖国を刺激するような真似は出来ないのだ。そういう意味で、アルヴィスには厄介事が持ちかけられていた。
「アルヴィス様?」
「あ、あぁ。何でもない。エリナが学園に戻るのは明後日か?」
「はい。その予定です」
「そうか。屋敷にいる間にでも、城下を共に歩ければ良かったんだが、今回は時間が取れなさそうだ」
建国祭の城下は、いつも以上の賑わいを見せる。公爵令嬢であるエリナは、恐らく見たこともないだろう。比較的自由だったアルヴィスは、何度も足を運んでいるので案内出来るのだが、残念ながら自由な時間が殆どないのだ。エリナとゆっくりできるのは、今この時間しかない。
「すまない」
「お気持ちだけで十分です。それに、こうして顔を合わせてお話し出来るだけで私は満足していますから」
「相変わらず欲がないな、君は。俺の周りにいた令嬢たちとは大違いだよ」
「そ、そうでしょうか?」
立場の違い。そう言ってしまえばそうなのだろう。アルヴィスの周りにいたのは、何とかしてアルヴィスの気を引こうと必死になっていた令嬢たちだ。
しかしエリナは、必死になる必要がない。望まなくとも与えられる環境にいたというのも勿論あるだろうが、その理由の大半はエリナの性格に由来するものだと考えられる。こうして接していればわかることだ。
自覚がなく首を傾げているエリナ。その仕草が、どこか可愛らしくアルヴィスに映った。衝動的に湧き上がってくる何かを感じて、アルヴィスは動く。
「エリナ」
「はい?」
隣にいるエリナの頬にそっと手を伸ばし、触れる。アルヴィスが触れた瞬間、顔を真っ赤に染めるエリナ。目を細めて、顔を近づけた。
軽く触れる程度に唇を寄せて、直ぐに離れる。
「あ……」
「消毒、させてもらった」
「え?」
何が起きたのかわからないという風に呆然とするエリナ。真っ赤にしたまま顔をあちこちに向けていた。侍女たちは部屋にいない。話し始めた辺りから、サラ以外は席を外していた。そのサラも、何かを感じてそっと出ていったのだ。騎士でもあったアルヴィスは気配に敏感なので、視界に入れずとも出ていくのがわかった。しかし、エリナは全く気付いていなかったようだ。
人がいないことに安心したのか、エリナはアルヴィスへと視線を戻した。
「ア、アルヴィス様、あの消毒とは……」
「不本意な事があったのを思い出した」
「不本意、ですか?」
「あぁ……何を考えているのか想像は出来るが、理解したくはない」
それもこれも、女神ルシオラの契約の為だ。それさえなければ、スーベニア聖国が来ることはなかったのだから。かといって、今更取り消すことは出来ない。
国家間でどのようなやり取りが交わされているのか。アルヴィスはエリナに告げることは許されなかった。どのような話が持ち上がっているのかも。だから、アルヴィスは曖昧な言葉をエリナに与えるしかない。少しでも、パーティー後の不安が減るようにと。それが出来るのはこの時間だけなのだから。
今からする行動が、らしくないのはわかっている。それでも、必要なことだ。これはアルヴィス自身の意思表示でもあるのだから。
目の前にいるエリナをアルヴィスは抱き寄せた。エリナが驚き、身体を強張らせているのがわかる。
「ただ一つだけ、君に約束する」
「あの」
「俺から契約を交わすのは、君だけだと」
「アルヴィス様?」
話の流れがわからず困惑するエリナ。疑問の声に答えることなく、アルヴィスはただその身体を抱き締めていた。
漢字の誤変換など、指摘していただいてありがとうございます。まだまだ甘いですね………




