5話
与えられた自室に戻ると、アルヴィスは堅苦しい上着を脱ぐ。乱雑に椅子へ上着を掛けると、ソファへと座り込む。今この場には侍女もいない。一人にしてほしいと頼んだからだ。部屋にいるのはアルヴィス一人。慌ただしく変わっていく己の置かれる状況に、アルヴィスは疲れてしまっていた。一人になる時間が欲しかったのだ。
「はぁ……」
ふと、壁に立て掛けてある剣が目に入る。騎士団入隊後から愛用している剣だった。常に帯剣していたのが、今は帯剣することなど許されない。これほど剣を振るわずにいたのは、入隊以降はなかったことだ。
スッと立ち上がって立て掛けてある剣を手に取る。しっくりと手に馴染む。ここで振るうことは出来ないのが、悔しい。
「……護られる側、か」
何かあった時には、最優先で逃げなければならない。それが王太子。嗜みとして剣を扱うものの、実践向きではないため戦力となる王子は多くなかったと聞く。出来れば今後も剣を振るっていたいとは思うが、叶うかどうかは国王次第だろう。
「仕舞っておくか」
取り上げられるようなことにはならないだろうが、侍女が出入りする部屋に放置しておくようなものではない。奥にある扉を開き寝室へ向かうと、衣装部屋へ剣を立て掛けて置く。近衛隊として過ごしていた時は、隊服と少しの私服があれば十分だった。衣装部屋など必要なかったのだ。部屋に置かれている服の多くは、アルヴィスが持ってきていた服ではない。覚えのある服が納められていることから、王都にある屋敷から取り寄せたものだろう。いずれにしても、普段着にするようなものではない。
部屋を閉めると、アルヴィスは大きなベッドに仰向けに倒れこんだ。まだ見慣れない高い天井は、違和感しか持てない。近衛隊の宿舎の低い天井が懐かしく思える。環境の変化に敏感なほど繊細ではないつもりだが、それでも精神的な疲労を負っているのもまた事実である。単純に実家に戻されるならまだしも、王族に戻るような事態を誰が想像するだろうか。
「……本当に、あいつは馬鹿だ」
アルヴィスがこの状況に置かれた原因の従弟を、一度くらい殴っても仕方ないのではないかと思う。年に数回会うだけで、それほど親しい間柄ではない従弟だが、常識を見誤るほど愚かだとは思わなかった。せめて、ほとぼりが覚めたら文句のひとつも言いに行きたい。
そんなことを考えているうちに、アルヴィスはそのまま眠ってしまうのだった。
気が付いた時には、辺りは暗くなっていた。随分と眠ってしまったらしい。起き上がり軽く肩を動かすと、外から物音が聞こえてくる。
ここはアルヴィスの自室ではあるが、侍女たちが出入りすることは可能だ。特に鍵もかけていない。何かしらアルヴィスに用事があり、声をかけても返答がないならば室内に入ることもあるだろう。完全なる一人の空間は、王族となった時点でないも同然なのだから。
ベッドから降りて、アルヴィスは扉を開ける。
「あ、アルヴィス様」
「……悪い、寝ていた」
「いえ、疲れておいでなのですから……申し訳ありません、起こしてしまいましたでしょうか」
「いや、目が覚めただけだから問題ない」
そのままアルヴィスはソファへと腰を下ろす。椅子へ掛けてあった上着は綺麗に畳まれていた。
「何か召し上がりますか?」
「……そうだな。軽いものを頼む」
「かしこまりました」
アルヴィスの目の前のテーブルへ、温かい紅茶が淹れられたカップを置くと、侍女が部屋の外に控えていた別の侍女へ声をかけた。
現在、アルヴィスの世話をしている侍女は三人ほどだ。王族としては少ない。それはアルヴィスの父が、公爵家から侍女を連れていくと国王に伝えたためだった。城勤めに慣れている侍女も加える必要があるということで、王妃が選定した侍女が、今アルヴィスに付いてくれている。
今やり取りをしているのが、元々王妃付きのベテラン侍女、ティレア・フォン・グランセでアルヴィスの母と同じくらいの歳の女性だ。夫婦で城内に勤めており、夫は近衛隊所属であるためアルヴィスとも面識がある人物だった。
他の二人はそれほど会話をしたことがないので、簡単な素性しか知らない。一人は、アンナ・フィール。もう一人がジュリンナ・フォン・ローシアだ。二人とも既婚者であり、且つアルヴィスよりも年上だった。ジラルドの件から、年頃の女性は省くようにと、王妃がそう采配したようだ。
それから然程時間もかからずに、軽食が運ばれてきた。既に夕食は終わっている時間なので、国王からも何か言われることはないだろう。こうして一人で食事をする方が気楽だ。国王は伯父であり、王妃は伯母。王女たちも従妹なので、知らない相手ではない。それでも毎日ともなれば、気疲れをしてしまう。
「陛……伯父上は何か仰っていたか?」
「そのまま寝かせておいて欲しいと仰っておりました。また、明日の朝食の時にでもお話を、ということでした」
「わかった……」
何があろうとも、決められた以上は役目をこなすしかない。それが、生まれもった責任なのだから。これまで持っていた責任が、より増えただけ。それだけなのだから。