2話
建国祭の準備が進む中、アルヴィスはルークら近衛隊の遠征に同行していた。書類仕事ばかりのアルヴィスにとっては、ある意味で気分転換にもなるし、建国祭前に近衛隊の気を引き締める意味もあった。
遠征への同行ということで、アルヴィスは普段の服の上から外套を羽織っている。腰に携えているのは近衛隊時代からの愛剣だ。そんなアルヴィスの横には、ルークが歩いていた。
「そういえば聞いたか?」
「何をですか?」
歩きながらなので、お互い顔は見ていない。周囲の警戒も怠ることは出来ないので、真っ直ぐ前を向いているのだ。
「……ザーナにも女神と契約した人間がいるってな」
「その話なら伯父上からそれとなく聞いていますが」
アルヴィスがその話を聞いたのは、昨日のことだった。突然謁見の間に呼ばれたかと思うと、その話だったのだ。
まだ情報は民衆には伏せられているが、時間の問題だとも。気にしているのは、その契約者が少女だということだ。同じ時代に、二人の契約者が出ることはない。稀有な事象に、スーベニア聖国が口を出してくる可能性があるという。
「子爵令嬢だったか?」
「はい」
「お前……リトアード公爵令嬢には話したのか?」
「いえ、それは……」
ここで何故エリナの名前が出てくるのか。そんなわかりきった反論はアルヴィスはしない。明確ではなくとも、やんわりと伝えられていたからだ。
何より女神を心酔するスーベニア聖国が、今回に限ってルベリアの建国祭に参加を表明したこと。同じくして知らされたアルヴィスと同じ力を与えられた少女の存在。それを手元に置きたいとスーベニア聖国が考えても不思議はない。
アルヴィスが王太子である以上、求めてくる可能性として高いのは、その二人の婚姻だ。もっと正確に言えば、二人の血を引いた子どもだろう。
女神信仰は、スーベニア聖国ほど強くないがルベリアでも信仰されているものだ。民衆からの反対は強くないことも予想出来る。要するに、民衆からも支持される婚姻ということだ。そして恐らく、少女はスーベニア聖国の後ろ楯が得られる。少女側の陣営が拒否するのも考えにくい。
「リトアード公爵令嬢のことは、気に入っているんだろ?」
「……わかりません」
「おいおい」
呆れた顔を隠そうともしないルーク。そう思われても仕方ないことは、アルヴィスも自覚している。惹かれていることを否定も出来ないし、肯定もしない。優柔不断だと言われればそれまでだ。しかし、まだどこかで二の足を踏んでしまう。過去の記憶が先に行くことを留まらせるのだ。彼女と、エリナは別人。理解しているのだが、それでも踏み出せないのはそれだけ当時のアルヴィスにとっては大きな出来事だったからなのだろうか。否、アルヴィスが弱いだけなのかもしれない。
「ったく、それで最近はどうしてるんだ? お前も書類漬けのようだが、ちゃんとやり取りしてるのか?」
「手紙だけなら、交わしています」
「ほぅ?」
城から帰っていったエリナは、通常通り学生生活に戻った。あれ以降、登城していないので顔を合わせてはない。それでも、時を置かずして届けられる手紙には、何気ない出来事の報告もあって、然程離れていることを感じさせなかった。
エリナの手紙の内容を思い出せば、少しだけ口元が緩む。大袈裟なほど、アルヴィスを案じてくれるのはあの事件が原因だろうが、全てエリナの本心からの言葉だ。それがわかるからこそ、アルヴィスも素直に言葉を受け取ることが出来る。
「ふっ、上手くいっているようだな」
「ルーク隊長?」
「いや、何でもない。気にするな」
「? そうですか」
ニヤニヤと機嫌が良い様子のルークを怪訝そうに見ながら、アルヴィスは首を傾げた。わかっていない様子のアルヴィスを見て、ルークは更に目元の皺を増やす。
「ただひとつだけ年長者からの助言だ」
「……何ですか?」
「手放すなよ。一つくらい貪欲になれ」
アルヴィスの肩にポンと手を置いたかと思うと、ルークは前を進むレックスらに声を掛けに行ってしまう。
(貪欲に、か……俺には縁遠かった言葉だな)
貴族家の次男など、どこでもそういうものだ。長男より目立たず、かといって埋もれないように上手く立ち回ることを求められる立場。公爵家出身だったアルヴィスは、他貴族よりも上の能力を求められたが兄であるマグリアより抜きん出てはいけなかった。父から指示されたわけではないが、そうあるべきだと考えていた。
そんな十数年を過ごした中で、突然貪欲になどなれるはずがないだろう。ただ、近い将来国を預かる立場になれば、今のアルヴィスのままではいけないこともわかっている。何かひとつでも、強い想いを持つことができれば変わるのだろうか。
ふと、アルヴィスは胸元に手を当てた。そこには、誕生日に贈られたエリナからのペンダントがある。このペンダントには魔除けと治癒の力が込められていた。ほんの気持ち程度の効能ではある。しかし、遠征に出る朝にアルヴィスは躊躇いもなくこのペンダントを身に着けた。
危険なことはないが、怪我をしないとは限らない。と言っても、それは近衛隊時代の経験。今、アルヴィスは近衛隊に守られた位置を歩いている。魔物が現れたとしても、真っ先に周囲は固められる筈だ。飛び出すのはアルヴィスではない。
以前の仲間たちが戦う姿を見ても、これを身に着けていれば己の立場を忘れずにいられるような気がした。もう近衛隊ではない。前衛に出なくてよいのだと。怪我をすればエリナをまた不安にさせてしまうだろう。もうあの様な想いをさせたくはない。悲しませたくはない。それがアルヴィスを留めてくれる。
エリナへの想いはわからなくとも、それだけはアルヴィスの中にある確かな気持ちだった。