26話
それから数日後。
アルヴィスは、ジラルドが幽閉されている塔へと来ていた。エドワルドと、近衛隊からはハーヴィとディンを筆頭に数名が同行している。王都から少し離れているこの場所は、誰一人自由に出入りすることができない。例えアルヴィスであっても、事前に国王と塔の管理官である二人、計三人の許可が必要だった。
入り口は固く閉ざされており、許可証を見せることで中に入ることが出来る。全員ではなく、最低限の人員しか入ることは許されないため塔内部に来たのは、エドワルドとハーヴィ、そしてディンだった。
塔の案内人に連れていかれたのは、塔の最上階ではなく、その一つ下にある階層。ここには部屋が二つしかなく、その内の奥にある部屋がジラルドのいる部屋だ。
カランカラン。
案内人が硬い鉄の扉に備え付けられた紐を引っ張ると、連動している鐘が鳴った。これが合図のようだ。鍵を開けると、返答を確認することなく扉を開けてしまう。
「どうぞ、お入りください」
促されるまま入れば、更に中には扉があった。二重扉だ。逃走防止用ということだろう。中扉には窓があり、外を眺めたまま後ろ姿のジラルドが見えた。
「申し訳ありませんが、私はここで待機しております。中に入られた後、こちらの扉には鍵をかけさせていただきますので出る際に合図をお願い致します」
「わかった。ディンはここで待っていて欲しい」
「はっ」
中扉の鍵が開けられ、中に入る。誰かが入ってきたことには気がついている筈だが、ジラルドは振り返らなかった。
「ジラルド」
「っ……!?」
アルヴィスはその背中に向けて声を掛ける。ビクリとジラルドの両肩が動いた。そして、ゆっくりとジラルドはアルヴィスらへと振り返る。
「……アル、ヴィス」
「久しぶりだな、ジラルド」
「……」
久方ぶりに見る従弟の姿は、記憶よりも随分と痩せていた。疲労が滲む顔。その頬には、真新しいガーゼが貼られている。外に出ることはなく、面会もほとんどない状況で傷を負うことは考えにくい。しかし、そのガーゼは間違いなく傷を手当てしたものだ。
「それ、怪我したのか?」
「……」
「ジラルド」
「リティーヌに……殴られた」
咎めるように眉を寄せながら名を呼べば、バツが悪そうに顔を背けてポツリと呟いた。
リティーヌとは、ジラルドの異母姉の名だ。どうやら、アルヴィスがここを訪れるより前にリティーヌはジラルドに会いに来ていたらしい。
「そうか」
「……お前は、何の用だ? お前も、私が……僕が間違っていると言いに来たのか」
「リティーヌがそう言ったのか?」
「……」
アルヴィスも、と言うことはそういうことだ。リティーヌとジラルドでは、年齢はリティーヌの方が上でも立場ではジラルドの方が上だった。現在、ジラルドの身分は王族から廃籍されており国王の子というただの男児でしかない。これまではリティーヌからの小言も立場を笠に言い負かすことも出来ただろうが、今はそれが出来ない。リティーヌに言われたことに納得していないのか、ジラルドは鋭い目でアルヴィスを睨みつけている。
「僕は全てを奪われた。僕はただ、リリアンと……世界を正したかっただけだっ。なのにっ……」
「……」
「父上も、宰相も僕が間違っていると言う。リティーヌもだ。……何故わかってくれない」
口元を引き結び拳を握りしめて震えるジラルドを見て、アルヴィスは呆れたようにため息を吐く。婚約破棄騒動から数ヶ月が経っている。しかし、ジラルドは未だにそこから動いていない。立ち止まったままなのだ。捨て置かれたまま、ジラルドには情報が伝わっていないのかもしれない。意図的に情報を与えていないとも言える。
「ジラルド……そろそろ現実を見た方がいい」
「っ! アルヴィスにはわからないっ。お前は僕の立場を奪って、王太子になったんだっ! いいよな、将来は国王なんだから……」
「っ、ジラ――」
「いい。黙っていろ、エド」
ジラルドの言葉に憤慨したエドワルドが口を開こうとしたのを、アルヴィスは手で制する。黙っていろと言われれば、エドワルドは従うしかない。その眼はジラルドを睨みつけたままで、エドワルドは一歩下がった。口を挟むことはしないという意思表示を確認し、アルヴィスは再びジラルドへと視線を向ける。
「初めに言っておく。俺は、王になどなりたくなかった。俺が所属していたのは近衛隊。騎士として、生涯を尽くすつもりだった」
「……」
「お前がリトアード公爵令嬢に一方的な婚約破棄をした結果、王家が責任を負うことになった。それが俺に回ってきただけだ」
「一方的? あれはエリナが悪いんだ。リリアンを突き飛ばそうとしたり、リリアンを嘲笑し罵倒するだけでなく、令嬢に相応しくないとまで言ったんだ。相応しくないのは、エリナだ。リリアンほど、優しい女性はいない。それを断罪して何が悪いっていうんだ……そうだ、僕は正しいことをした。したはずなのに……」
説明しようにも、ジラルドの中ではエリナが悪く、リリアンが正しいという図式が固まっているらしい。それでもここに入れられた事実が、ジラルドの考えを揺さぶっている。周囲が違うと言っているのに、ここまでリリアンを信じる一途さは何なのか。まるで、悪い夢の中にいるように映る。現実を見ていない、と。
「まず最初に訂正しておく。例の少女を突き飛ばしたのはリトアード公爵令嬢ではない」
「え……? 何を、言っているんだ。そんなわけ――」
「当人が名乗りを上げる前にお前はリトアード公爵令嬢だと決めつけた。居たたまれなくなった当人が、父親と共に学園に報告し、公爵家へ謝罪に訪れている。更に言えば、突き飛ばしたわけでない。下の階段を見ていた少女に対し、危ないと感じた令嬢は、肩を引っ張ろうと手を掛けようとした。だが、運悪く身体を起こした少女にぶつかりそのまま階下へ落ちて行ったらしい」
「な、ならどちらにしてもそいつがリリアンを突き落としたことに変わりないっ」
その通りだ。結果だけを見れば、リリアンは階段下へと落ちた。ならば、どのような意図があろうと令嬢の処分は免れない。奇跡的に打撲程度で済んだリリアンは、直ぐに駆け寄ってきた取り巻きらにエリナが突き落としたのだと宣言さえしなければ、事はもっと簡単に処理出来たはずだった。
「その令嬢は、責任を取って学園は退学した。その後、修道院へ入っている。貴族令嬢として過ごすことはもうない。この事実は、影からの報告と合わせて確認済みだ。伯父上も知っている」
「……」
「報告はそれだけではない。まず、リリアンという少女とリトアード公爵令嬢が接触したのは、二度。どちらも傍にはお前がいた」
「え?」
エリナはリリアンとの接触を避けていた。だからリリアンを嘲笑罵倒することは出来ない。一人で行動することはほぼないエリナだが、行動監視という名目で常に王家の影も見張っていた。王太子であったジラルドも同様だ。言ってみれば、二人の行動は筒抜けだったということになる。これ以上の証拠はない。勿論、ジラルドも知っていたはずである。
「狂言、ということになるな。それを鵜呑みにしたのはお前だ」
「そんな筈ないっ! リリアンが僕に嘘を言うはずがないっ。いつだって彼女は、僕を……だから……だって……」
「ジラルド」
「僕は……間違っていたのか? リティーヌの言う通り、リリアンは……僕を、利用したとでもいうのか」
ガーゼが貼られた頬にジラルドは手を添える。これ以上は、ジラルド自身が整理することだ。少しでも目が覚めたのならば、それでいい。しかし、ジラルドをこれほどまで信じさせたリリアンの手腕は見事としか言いようがない。アルヴィスからすれば、気味の悪い少女だ。どちらかといえば、嫌悪感しか湧かない。それがジラルドについては、全く逆の効果をもたらしている。不思議でたまらなかった。
「ジラルド、何故そこまで信じられる?」
「……言ってくれたんだ」
「何を?」
「僕は凄いって……努力していることを認めてくれた。当たり前に出来ることじゃないって。認められた気がしたんだ……」
ジラルドは気力を失ったように、項垂れていた。
リリアンは、王太子ならばできて当たり前と言われていたことを初めて言葉で肯定してくれた相手。王太子ではなく、ジラルドも一人の人間だと言って弱音を吐くことも許してくれたという。ジラルドが求めている言葉を確実にもたらしてくれたリリアンの傍は居心地が良かった。だから心を許していったのだろう。
だがここで疑念が残る。リリアンはジラルドが城でどのように生活していたのかも、育った環境も知らない。しかし、ジラルドから聞くそれは、まるで知っているかのようだった。いや、知らなければわからないだろう。この事実にジラルドは気が付いていない。同じことは、アルヴィスにも言えた。先日、リリアンと初めて対面した時の言葉は、まさにそれだった。アルヴィスの過去を知っているわけがないのに、まるで知っているかのように告げられた言葉。
「本当に、気味が悪い……」
「アルヴィス?」
「いや、何でもない」
ここで更なる追い打ちをかける必要はない。ジラルドがリリアンと会うことは二度とないのだ。今、リリアンがどうしているのか。今後彼女がどうなるのかは、知らせる必要がない。牢屋での会話もだ。思考を振り切って、アルヴィスはジラルドに近づき、ガーゼに触れた。
「本当は、俺も殴ってやりたいと思った」
「っ……」
「だが、リティが先にやっていたのなら、俺はいい。その方がお前には効いたみたいだからな」
「そ、れは」
「考えろ。今後の身の振り方を、な」
「……」
俯くジラルドから離れて、アルヴィスは扉の外にいるディンへ合図する。もうここに用はない。重たい扉が開かれると、そのままアルヴィスは出て行った。