19話
久方ぶりに王太子の執務室に顔を出すと、疲労感を醸し出しているエドワルドがいた。アルヴィスの姿を見るなり、慌てて駆け寄ってくる。
「ア、アルヴィス様っ!?? 大丈夫なのですかっ!?」
「エドワルド、落ち着きなさいっ」
勢いよく突進しそうなエドワルドの道を塞ぐように、同行していたイースラがアルヴィスの前に出た。まさかイースラが同行していたとは思わなかったエドワルドは、驚き立ち止まる。
「あ、姉上っ!?」
「アル様はまだ本調子ではありません。でも、無理をしなければ寝ていなくとも良いと先生から許可が出たのです」
「……アルヴィス様、本調子でないのならまだお休みになられた方が」
「いいんだ……」
対面しているイースラとエドワルドの横を抜けると、机の上にある書類を一枚手に取った。エドワルドが仕分けしていたものだろう。アルヴィスが復帰した時にやり易いようにと、必要な書類や資料を整える作業をしていたのは、補佐用にと準備された机の上に積み上げられている書籍の数からもわかる。
「……エド、少し休んでこい」
「いえ、アルヴィス様が来られたのなら―――」
「隈が酷い……」
「そうですよ、エドワルド。でなければアル様も心痛みますでしょう?」
「うっ……わ、かりました。申し訳ありません、アルヴィス様。少しだけ仮眠を取らせていただきます」
渋々ではあるが、アルヴィスのことを理由に挙げられればエドワルドも従う他ない。アルヴィスへと頭を下げて、エドワルドは執務室を出ていった。
「……申し訳ありません。自己管理をきちんとするよう、後程きつく言い含めておきます」
「いや、今回は仕方ない。あまりエドを責めなくていい」
「……承知しました」
執務室に挙げられた書類は、思ったよりも多くない。椅子に座り書類を確認しようと手に取ると、ヒラリと便箋が一枚落ちてきた。
「これ……伯父上、か」
それは国王直筆のメッセージだった。臥せっていることを憂慮して国王がその分の仕事を行っていたらしい。元々、王がするべき仕事を分けているのだから、国王がやっても構わない。それだけ、国王の私的時間がなくなるだけで。中には、エドワルドの仕事ぶりに感心するような言葉も書かれていた。
「……アル様? どうされたのですか?」
「いや……直近のは大丈夫そうだ。イースラ、少し近衛に顔を出してくる」
「近衛、ですか?」
「あぁ……そっちの方が緊急だからな」
チラリと目を通した限りでは、今日中に終わらせなければならないものはない。ならば、あちらを先に片付けておくべきだ。何のことかわからないままのイースラを伴って、アルヴィスは近衛の詰所へと向かった。
アルヴィスの訪問に驚く近衛隊の連中には構わず、真っ直ぐに近衛隊の隊長室に行く。ノックをして中に入れば、ルークとハーヴィが何やら難しい顔を付き合わせている。
「……隊長、副隊長」
「っ! うわっ、びっくり……って、アルヴィス!?」
「……殿下、どうしたのですか?」
アルヴィスの入室には気が付いてなかったようで、声をかけると飛び上がるかのように驚いたルークと、目を見開いて驚きを表すハーヴィ。それだけ深刻なことを話し合っていたということか。
ハーヴィは立ち上がってアルヴィスへと頭を下げた。
「失礼しました、殿下に気づかずに……お身体は大丈夫なのですか?」
「えぇ……まだ、それほど動き回れる訳ではありませんが」
「それでここにということは、もしや例の彼女ですか?」
アルヴィスはコクリと頷く。ルークもアルヴィスの側に寄り、そっと額に手を当てた。
「隊長?」
「師医の許可は出たのか?」
「はい」
「……まだ本調子ではなさそうだな。少し熱っぽい気もする」
「……」
普段の平熱を知らないはずのルークに何故わかるのかと、アルヴィスは言葉に詰まる。下手に言葉を重ねれば、部屋に戻されかねない。近衛隊であるルークは、立場だけではアルヴィスの方が上だが、ルークが否と言えばハーヴィも後ろに控えているイースラも賛同するだろうことは、容易に想像できるのだから。
「まぁいい……それで、会うのか?」
「その前に、処遇について話をしておきたいのです。出来れば、団長とも」
「ヘクターか……わかった。ハーヴィ、俺は騎士団に行ってくる。アルヴィスのことを任せた」
「はい、わかりました」
騎士団と近衛隊の詰所は、離れている。端ではあるが城内に詰所がある近衛隊と違い、城外に騎士団の詰所はある。騎士団は規模が大きく、各地に散らばっているため所属する全体の3割程度しか王都には残っていない。それ以外は、各部隊毎に国の守備塔でそれぞれ勤務に就いている。騎士団長は基本的に王都にいることが多い。ルークが向かったのだから、それほど時間をかけずに戻ってくるだろう。
そして騎士団長が来るまでに、もう一つしなければならないことがあった。
「……イースラ」
「はい、何でしょうか?」
「お前は、部屋に戻っていてくれ」
「しかし、常に付いているようにと指示を受けておりますし」
「きな臭い話をする。あまり聞かせたくない。副隊長もいるし、俺は大丈夫だから」
そもそもイースラはアルヴィスが負傷した件について、何も知らない。イースラだけでなく、アルヴィスは専属侍女ら全員に伝えていなかった。侍女でしかない彼女たちに知らせる必要はないからだ。
だからこの場で話をするのに、イースラは居て欲しくない。それでも側を離れることを迷うのか、イースラは動かない。
「侍女殿、今回は私が殿下の側におりますので、ここは退いてもらえませんか?」
「ですが、もし体調を崩れされるようなことがあれば私が」
「その場合は、殿下がなんと言おうと部屋にお連れします。隊長も許可はしないでしょうから」
「……でも」
「イースラ、戻れ。命令だ」
主として命令を下せば、イースラは従うしかない。どんなに納得ができなくても。アルヴィス自身は、命令をすることなどほとんどしたことがない。特にイースラには。
「……それほどに、私には聞かせられないお話なのですね」
「あぁ」
「……わかりました。この場は、騎士様にお任せします。ハーヴィ様、どうか我が君を宜しくお願い致します」
深く頭を下げると、イースラは部屋を出ていった。
「今回、知らせるつもりはないのですよね?」
「裏で何があったかなんて、女性に聞かせる話ではありません。特に、エリナ嬢には」
「確かに……私でもそうするかもしれません」
知らない方が良いことも世の中には沢山ある。血生臭い話ならば尚のことだ。