4話
顔見せが終わると、互いに親睦を深めるためということでアルヴィスとエリナの二人きりとなった。この状態で何をするというのか。思わず、アルヴィスは堪えていたため息をついてしまった。
「あ……その、申し訳ありません。殿下には大層なご迷惑をおかけしまして」
「まぁ……迷惑を掛けられたことについて否定はしませんが」
アルヴィスの視線を避けるように俯くエリナ。迷惑を掛けられたという点については、そのとおりだ。掛けられていない等と、嘘をつく必要はない。
エリナはジラルドから心身共に傷つけられたという被害者である。先ほど公爵から話があったが、学園には戻らず屋敷で療養させているらしい。ほとぼりが覚めるまでの間、エリナを守るためだろう。今日はエリナも時間を気にせず居られるという。幸い、アルヴィスも今日は時間がある。王となるための教育を受け始めるのは明日から。ということで、アルヴィスとエリナを近づけるためのお膳立ては完璧だ。その事を知りつつも、アルヴィスは敢えて気付かぬ振りをしている。
女性との会話に花を咲かせることのできるような技量は持ち得ていない。しかし、黙っているわけにもいかなかった。折角横槍が入らない状況でもあるので、アルヴィスは先に聞いておきたいことを済ませることにした。
「ちょうど良いので、エリナ嬢からもお話を聞いておきたいのですが……宜しいですか?」
「……はい」
「従弟が一方的にエリナ嬢を、ということは私も聞いています。その事実だけでも、王族として許されることではありません」
相手がありながら別の女性に懸想するのであれば、けじめをつけるために懸想する女性、そして相手側にそれを伝えるべきだ。誰に言われるでもなく、人として当たり前のこと。ましてや、王族で婚約者がありながら衆人環視の中で破棄を独断で宣言するなど、貴族としては言語道断な行為。その件については、アルヴィスも聞いている。ここで知りたいのは、ジラルドが話していた内容が事実なのかどうかだった。
「それはともかくとして……従弟の証言では、エリナ嬢は件の令嬢に対して危害を加えたと話したそうですが、事実ですか?」
「……私は、リリアンさんに危害など加えておりません。ジラルド様は、信じてくださいませんでしたが……本当に、身に覚えがないのです」
嘘を吐いている様子はない。と言っても、ほとんど初対面の相手の言動なので、あくまでアルヴィスが感じているだけではあるが。
エリナからの話によると、リリアンという男爵令嬢がジラルドと共にいることは知っていたという。いずれ結婚するとはいえ、ジラルドも男性であるから、そういう恋愛ごっこを楽しむこともあるのかもしれないと、エリナは許容した。要するに捨て置いたということだ。多少、貴族令嬢としての振る舞いが身に付いていないリリアンへ苦言を呈したことはあるが、階段から突き落としたり、リリアンの私物を汚したりするような真似はしていない。貴族令嬢として、複数の妻を持つことを認めなければならない立場になることもわかっており、リリアンをジラルドが愛妾として召し上げることもあるだろうとまで考えていたのだ。
それがエリナという女性の気概なのだろう。アルヴィスは王妃に気に入られていることに納得した。確かに、懐の広さは十分だ。これも教育の成せた結果ということなのかもしれない。
「お父様にはきつく叱咤されました。王太子妃になろうというものが、隙を見せてはいけないと。それが、今の結果に繋がっていると……私が、何もしなかったことも今回の原因を担っていると……」
「そうですか……」
物分かりが良すぎた故の結果。高位貴族が複数の妻を持つことは、珍しくない。現在の国王は王妃と側妃が一人だけで、逆に少ないと言われている。アルヴィスの父も、妻は二人だけだった。当たり前の場所に居すぎて、疑問にも思わなかったのかもしれない。
だが、ジラルドは違った。リリアンだけを妻とし、エリナを不要としたのだ。そこにはエリナが行ったとされる危害内容に起因しているのだろう。実際にどうだったのかは、調べている最中らしい。万が一エリナ以外の者がエリナに罪を被せたのならば、それは別の罪になる。公爵令嬢に冤罪を被せたことは、公爵家に対する侮辱にも取られかねない。四大公爵家を馬鹿にし過ぎだろう。
「本当に、申し訳ございませんでした」
「……私に謝罪は不要です、エリナ嬢。あらかたの話でそちらの状況もわかりました。話しにくいことをありがとうございます」
「殿下……」
「学園へは、まだ暫く戻られないのですか?」
「……その、殿下が立太子した後で、様子を見るとだけ言われております」
即ち、アルヴィスが王太子となり、エリナと正式に婚約をしたことを公にした後ということだ。公爵家からすれば、婚約破棄されたことは醜聞である。しかし、ジラルドが王太子から下ろされ、次の王太子となる相手の婚約者に収まったのなら、エリナに非はないことの証明ともなる。公爵からエリナへの配慮ということだ。
「わかりました。私から聞きたいことは以上ですが……エリナ嬢からは、何かありますか?」
「え……?」
「私だけが聞くのは不公平でしょう」
アルヴィスは噂などでエリナのことを知っているが、エリナはアルヴィスのことなど知らないはずだ。王太子妃の教育を受けているのだから、王弟の次男であることくらいは勿論知っているだろうが、それ以上のことなど知る必要がなかったのだから。アルヴィスなりに、エリナを気遣ったつもりだ。
「あの、宜しいのですか?」
「構いません。私が答えられる範囲にはなりますが」
これから先、結婚をする相手なのだ。アルヴィスは成人しており、エリナもあと一年と少しで学園を卒業をする。結婚するまでに、それほど長い時間は用意されていない。ゆっくりと関係を育むような期間もないのだ。だが、仮にも結婚するならば良好な関係を築きたいのは、エリナも同じはずである。
少しだけ考え込むと、エリナは顔を上げた。何か聞きたいことがあるらしい。質問がないのならそれでも構わなかったのだが、あるのであればしっかりと耳を傾けるべきだろう。年長者として。
「何でも、宜しいのでしょうか?」
「えぇ、聞くだけならば」
「では……失礼ながら、殿下にはその……こ、恋人などはおられないのでしょうか?」
「……は?」
一瞬、何を言われたのかわからなかった。しかし、不味いことを聞いたのかとエリナが萎縮するように両手を握りしめているのを見て、アルヴィスはゴホンと咳払いをする。
「失礼しました。予想外過ぎたので……」
「いえ……」
「私は恋人も、お慕いする相手もいません。元より、誰とも結婚するつもりはありませんでしたから、そういった関係は避けて来ました。今後も、私から誰かをということはないでしょう」
「そう、ですか」
いない。そう告げると、エリナはあからさまにほっとして安堵の表情を見せた。やはり許容しているとはいっても、結婚する前から別の女性を想っている相手は嫌なのだろう。リリアンとジラルドの時のように、また同じ様な想いをさせられるかもしれないのだから。アルヴィスが同じことをしないという保証はどこにもなかった。それ故の安堵なのだろう。勿論、結婚前にエリナ以外を求めるなど、考えてもいない。
しかし、アルヴィスも国王と同じかそれ以上の側妃を求められるはずである。国王に一人しか男児がいないのは避けなければならない。今回は王弟がいたから良かったが、いなければ王族の血筋が入った貴族の男児を探さなければならなかった。
同じような事態を避けるためにも、アルヴィスは複数の妻を迎えなければならない。いずれにしても、まだ先の話だ。それでも、ジラルドに傷つけられた心の傷は簡単には癒えることはないが、出来るならエリナが余裕を持てるようになるまで待ってやりたい。しかし決めるのはアルヴィスではなく、国王である伯父。王が決めたことなら、アルヴィスは受け入れるしかないのだから。