15話
『甘やかさないでください』
深い青色の瞳を真っすぐに向けて宣言し、キリアスと入れ替わりになる形でエリナは執務室を出ていった。
「……参ったな」
「陛下?」
「いや、こちらの話だ」
軽く前髪をかき上げてからアルヴィスは息を吐きだす。今は気持ちを切り替えなくてはならない。エリナのことはひとまずおいて置くとして、キリアスと話をするのが先だ。
執務机まで戻り椅子に座ると、アルヴィスはキリアスから報告を受けた。
「この件については以上になります」
「わかった。ありがとう」
「それともう一つの件ですが……」
「何かわかったか?」
執務机の前に立ったキリアスは両手を後ろに回し、姿勢を正した。姿勢を改める必要があるのかと、アルヴィスは怪訝そうな顔を向ける。
「どうした?」
「例の件について報告が上がってきました。あまり芳しくないことになっているようです」
「……詳しく話してほしい」
「バージニ公国の方で異常な瘴気の高まりが起きており、一部の領地には立ち入りができないほどに暗雲が発生していると」
「バージニ? 何故あそこが……」
アルヴィスは立ち上がり大きな書物が納められた棚へと足を向ける。そこに立てかけるようにしておいてある大きな地図を持ってくると、執務机の上へと広げた。
ルベリア王国や元マラーナ、ザーナ帝国へと視線を滑らせる。そしてザーナ帝国から南、大きな川を渡った先へと指を置いた。そこがバージニ公国だ。昨年のマラーナ国王の国葬で、そこの代表だった公王の弟とは顔を合わせている。ただあの事件でアルヴィスを湖に落としたことでその地位をはく奪されたため、今は教会が経営する施設にいるらしい。
「現在の報告ではバージニが最も深刻な状況ではありますが、その他の国もそこまでとは言わないまでも瘴気の発生による弊害が出てきている模様です。聞いているだけではありますが、ルベリアの比ではありません」
「ここはまだ瘴気の発生と魔物の数が増えたというくらいだ。生活圏まで広がりは見せていない」
「はい。ですがあちらには既に人々の生活にも影響は出ています」
「そう、か」
国王となり、国内の情勢とは別に、アルヴィスは他国の様子を探らせていた。先の戴冠式でのレンティアースから感じた憂い。神霊水を製造してほしいと頼んだレンティアースの意図がどこにあるのか。未だそれを製造するまでは出来ていないが、神霊水を用いて何をしたいと思っているのかを探るべく、アルヴィスはキリアスを頼った。国外の情勢については、つい最近までルベリアを出ていたキリアスの方が詳しい。もちろん、アルヴィスの影を使い探らせてはいるものの、正式なルートで得た情報もまた必要だ。
「スーベニアを頼ろうとはしているようですが、如何に聖国であろうとも我々が持つ瘴気の浄化方法以外に手段を持っているとは思えません。浄化の手段も創世時代から続くものですし、あくまで彼らは宗教国家であり、特段瘴気についての専門家というわけではないのですから」
「……」
確かにスーベニア聖国は宗教国家。女神や大神を信望した者たちを中心として作られた国だ。彼らが特別に瘴気の浄化手段を持っているということではない。そもそもスーベニア聖国が霊水を伝えたわけでもないのだから。
公国にも大聖堂は存在するし、霊水を製造することは可能だ。ルベリア王国とは違い、ルシオラとの縁はないものの、どこの大聖堂であっても神々からの力を受けることはできる。
そこまで考えてアルヴィスは疑問を抱いた。今まで考えたことはなかった。けれど、ルシオラの加護があるルベリア王国はともかくとして、他国で霊水が製造された場合はどのようにして霊水に加護を与えているのだろうか。これまでのことで、霊水にはルシオラの女神としての力が備えられているとアルヴィスは考えている。瘴気に作用する力を以てして、瘴気を無散させているのだから、元はルシオラの力で間違っていないはずだ。実体があるわけではないため、物理的な距離は関係ないということか。
「陛下、どうかされましたか?」
ルシオラは大聖堂でも墓所でもアルヴィスの下に姿を現した。リュングベルでも声だけは届いた。声を聞いたのも、姿を見たのもアルヴィスだけだ。同じ王族であるジラルドが姿を見ることが叶わなかったことから判断するに、ルシオラが媒介にしているのはアルヴィスに与えた加護。他国の像にも似たような媒介とするような何かが与えられているとすれば可能かもしれない。
「陛下!」
「っ⁉ 悪い、考え事をしていた」
「……何か気にかかることでもありましたか?」
「あると言えばあるが、まだ推測の域を出ない。悪いが引き続き、情報を集めて欲しい」
「承知しました」
「頼む」
腰を折り、深々と頭を下げてからキリアスは部屋を出ていった。
一人になったアルヴィスは椅子に腰を下ろしながら、再び地図へと視線を向ける。ルベリア王国にある地図は一般的に中央にルベリア王国が描かれている。これはどの国も同じだろう。自国を中心に世界を描く。だが禁書庫には別の描かれ方をしている地図もあった。その地図の中央に描かれていたのはマラーナ。しかもあの時、アルヴィスが落とされた湖があった場所が中心となっていた。
「っ」
湖に落とされた時の感覚を思い出し、アルヴィスは左胸を抑える。どこまでも昏く、底などないほどの闇に落ちる感覚。エリナのペンダントがなければ、メルティの助力がなければ、アルヴィスはあのまま湖の底まで沈んでいったことだろう。普通であれば湖には底があるものだが、あの湖はそれがなかった。今にして思えば、あの奥には瘴気が満ちていたように思う。
『僕が殺す、君を』
一瞬だった。声と共に脳裏に誰かの顔が過る。息をするのを忘れたようにアルヴィスの身体は動きを止めた。あまりにもあり得ないものが映ったからだ。何故ならばそこに映った顔は――。
「俺……?」
そう、アルヴィスの顔だったのだから。
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