12話
小さな物音がして目を覚ますと、薄暗い中で人影が見えた。
「アルヴィス様!」
「……エ、ドか」
駆け寄ってくるその人影から発せられる声に安堵の息が漏れる。ゆっくりと身体をおこせば、エドワルドが支えるよう背中に手を添えてくれた。
「すまない、エド」
「いいえ。ご気分はいかがですか?」
「問題ない。大丈夫だ」
倦怠感もなく、特に不調は感じない。首を横に振りながらそう答えると、エドワルドの表情が和らぐ。
「念のため特師医様にも診ていただきましたが、疲れが出たためだろうと仰られていました。目が覚めたらもう一度診察に来るとも」
「フォラン殿が?」
「はい」
「……そうか、わかった」
「お呼びしてきますので、そのままでお待ちください」
そうしてエドワルドは足早に部屋を出て行ってしまった。一人になったところで、今いる場所を確認する。どうやらここはアルヴィスの私室のようだ。執務室の隣にある部屋。後宮ではないのは、エドワルドなりに気を遣ってくれたのだろう。アルヴィスはエリナにこの件を知られたくないはずだと。
「失礼いたします、陛下」
「フォラン殿?」
エドワルドに先導されるようにしてフォランが室内へと入ってきた。予想外に早い到着にアルヴィスは驚く。
「すぐにお目覚めになられるだろうと思っておりましたので、待機しておったのです」
「そうでしたか」
挨拶もそこそこにフォランはベッドの横に立つと、アルヴィスの手を取り診察を始めた。不調はないと訴えたところで意味を成さないことなどわかりきっている。大人しくされるがままになっていると、フォランがアルヴィスの右頬に手を添えたまま止まっていることに気づく。
「フォラン殿?」
「陛下、少しだけマナを流させていただきたい。多少違和感を抱くこともあるかもしれませぬが」
「特師医が必要だと判断したならば俺に異論はないよ」
確認するまでもないことだ。医学的な知識においては、特師医の地位にある者たち以上に頼りになる存在はいない。
「痛みを感じましたら、即座に止めます」
「わかった」
「では失礼をしまして」
フォランの手がアルヴィスの右目の上に置かれた。そこから温かいマナの力が中に入ってくるのがわかる。その時、バチっと目の奥から何かが弾くような感じがした。反射的に目を瞑り、フォランのマナから逃れたいと顔を背ける。その反動により、フォランの手が離れてマナの力も離れていった。
「っ」
「アルヴィス様⁉」
顔を押さえていると肩がゆすぶられた。ベッドの傍にエドワルドが駆け寄ってきている。右目を瞑りながら顔をあげれば、心配そうなエドワルドの顔が見えた。
「大丈夫ですか? どこか痛みが――」
「何でもない。平気だ」
「ですが、そんな風には」
「痛みじゃない。何かが弾かれたような……」
痛みはなかった。弾かれたという表現も正しいかはわからない。フォランの操作するマナの力が入り込んだ瞬間、これ以上は入るなというように拒んだと言った方がいいのかもしれない。アルヴィス自身は拒否していない。フォランのマナは治癒目的で入り込んでいることもわかっている。拒む理由もなかった。だが意図せずとはいえ、アルヴィスの中でそういう意志が動いていたのもまた事実だ。
「やはり勘違いではないようですな」
「特師医様?」
「陛下の中に、陛下自身のマナとは違うものがありました。特にその右目の辺りに力を感じます。陛下の持つマナ、そして女神ルシオラ様の加護。それとはまた別のモノが」
アルヴィスのマナ、ルシオラの加護の力。フォランはそれぞれを感じ取っているという。だからこそわかる。アルヴィスの中にある異物の存在が。
フォランは鋭い視線をアルヴィスに向けていた。否、正確にはアルヴィスの中にあるそれに。
「アルヴィス様? 特師医様?」
一人事情がわからないエドワルドは困惑の声をあげている。しかしアルヴィスから説明することはできないし、フォランも口を開く気配はない。じっと何かを語り掛けている。アルヴィスではない、それに。
「……フォラン殿」
しびれを切らしたのはアルヴィスの方だった。右手でその目を覆い隠す。
「失礼をしました陛下。害があるかないかを見極めることも我らの役目でございますゆえ」
「わかっています」
「陛下に害を与えるものではないのでしょう。それはおそらく我らよりも陛下自身の方が分かっておられる様子」
その正体をアルヴィスは知っている。そう問われているのだとわかった。だからアルヴィスは頷きを返す。知っているから。フォランが示すそれが何者の力なのかを。ただここでそれを声に出すわけにはいかないというだけだ。
「害を与えるつもりはなくとも、他者の力が入り込むという状況は歪みを生じさせます。ルシオラ様の加護は、契約として与えられたがゆえに陛下に馴染んでいるのでしょうが、それは違います」
「……肝に銘じておきます」
「何か不調があれば、すぐにでも仰ってくだされ」
「はい、ありがとうございますフォラン殿」
見送るためにと、エドワルドもフォランに付き添っていった。再び一人残されたアルヴィスは何気なく右目を押さえる。違和感は特にない。気にかかることがないわけではないけれど、フォランやエドワルドの反応からして見た目の変化もないようだとわかる。
『右だけ、赤っぽい……紫みたいに見えて』
騎士団の地下牢で会ったリリアンは、アルヴィスの顔を見てそう告げた。紫色はゼリウムの瞳の色だ。アルヴィス本来の瞳の色が水色であることは誰もが知っている。暗闇とはいえ、色合いに変化があればフォランもエドワルドも指摘してくるはず。ならば見たのはリリアンだけとなる。
「不用意に言いふらさないといいが……」
「何を、ですか?」
「っエド⁉」
ガチャリと扉を閉めてエドワルドが戻ってきた。フォランを見送ったのも部屋の外まで。エドワルドの戻りが早くて当然だ。つかつかとベッドの傍までやってくると、エドワルドは深いため息を吐いた。
「本当に、どれだけ心配をしたと思っているんですか」
「悪かった。俺もまさか戻れなくなるとは思わなかったんだ」
「何が、あったんですか?」
禁書庫には王族以外立ち入ることができない。何かが起きたとはわかっても、立ち入る権利がない以上エドワルドにはどうすることも出来なかった。ただどれだけ声を掛けても一切の声がしないことから、その場にいないという可能性を考え、騒ぎにしないようにと内密に近衛隊士の中でもアルヴィスの専属であるディンたちと共に王城内を捜索していたのだという。
「そうか」
「ヘクター様から聞いた時は驚いたなんてものではありません。あの場所から一体どうやったら地下牢になど行けるのか。騎士団でもそういった話は聞いたことがないと仰っていましたし」
アルヴィスが通った場所は、万が一のために王族へ残された隠し通路の一種。それ以外にも役割はありそうだが、近衛隊にも伝わっていないとなれば考えられるのは、近衛隊にも裏切者がいた場合を鑑みてなのかもしれない。アルヴィスは近衛隊士らに信頼を置いているし、そのようなことは考えたくもない。だがそういった時代がなかったとも言い切れなかった。そこにゼリウムの残滓がいたことは気にかかるけれど。
「エド、このことは他言無用だ。ディンやレックスはともかくとして、それ以外の近衛隊士にも伝えないでもらいたい」
「何故ですか?」
「俺が通った場所は隠されたものだ。知る人は少ない方がいい。俺がいなくなったことを知ったのもディンたちだけなんだろ?」
「はい」
ならばなおのこと、今回のことを知る者たち以外には伝える必要はない。あれを使う時があるとすれば、王城を抜け出さなければならないという危機に陥った時であり、なおかつ内通者の可能性を考えた時のみなのだから。
アルヴィスの言葉にエドワルドから息を飲む音が聞こえた。そうして少し考え込んだエドワルドはゆっくりと首を縦に振った。
「わかりました」




