7話
その翌日――
「そうですか、王妃殿下がそんなことを」
幼い頃の己をルトヴィスに重ねていた。あの時のアルヴィスと、今のルトヴィスとでは状況が違いすぎる。それにエリナの言う通り、アルヴィスがまず優先すべきは国だ。エリナでもルトヴィスでもない。そういう意味では先代、ギルベルトのジラルドらとの関わり方にも見習うところがあるのかもしれない。
父親としての在り方と、国王としての在り方。その答えは出ていない。けれどそれにしても今考えるべきことは別にある。
「それでどうなさるのですか?」
「数日はこちらを優先にして、後宮には帰らないつもりだ」
帰ればどうしてもルトヴィスの声がチラついてしまう。あの声を聞いてしまえば、応じないと言う選択肢はアルヴィスになかった。ならば近づく時間を減らせばいい。エリナとルトヴィスを離すわけにはいかない以上、離れるのはアルヴィスの方だ。申し訳ないと心の中でルトヴィスに謝罪をし、アルヴィスは割り切ると決めた。
「宜しいのですか? それで本当に」
「あぁ」
困惑顔をしているのはエドワルドの方だった。エドワルドとて、本心ではルトヴィスと離れた方がいいと思っていたはず。それでも「決めた」と言い切るアルヴィスに困惑をしているのは、その期間だろうか。それとも言い切ったこと自体に対してか。
「エド、何か気にかかることでもあるか?」
「いえ……その、なんとなくなのですが。王妃殿下にも会われないともなると、王子殿下がお生まれになる前までの妃殿下の様子が気にかかりまして」
どうやらエドワルドの脳裏には、妊娠中のエリナの印象が強く残っているらしい。確かにあの頃のエリナは少し様子が違った。精神的にも弱い部分が前面に出ており、エリナ自身も己の状態に困惑していたくらいだ。だがそれはお腹にルトヴィスがいたことに起因している。
「特師医曰く、母となった女性は強いものらしいからな。それでなくても、元々エリナは自立した女性だった。妊娠中は多少様子が違っていたが、今はそれもない。問題はないさ」
「そういうものなのですか……申し訳ありません、私の考えすぎでした」
「仕方ない。俺たち男にはわからない領域だからな」
出産時の様子は、アルヴィスも弟妹がいるから知っている。でもその前後の母親の様子を気に掛けるようなことはしていなかった。ミリアリアやヴァレリアが生まれた時も、レオナがどうしていたのかなど記憶にない。ましてや両親がどうだったかなど覚えているわけもなかった。
アルヴィスでさえそうなのだ。家族ごとに関心の薄いエドワルドにはわからなくて当然かもしれない。
「であれば、アルヴィス様もきちんとお休みになってくれるということですね」
「善処するさ」
「アルヴィス様……私は状況がどうであれ、確実に休んでくださいと言っているのですが」
若干怒りを滲ませたエドワルドに苦笑しながら、アルヴィスは手元の書類へと視線を戻した。これまで通りに執務をこなすだけ。それでも決定的に違うことがある。それはこれまでよりも己の言動が持つ効力が絶対的なものとなったこと。アルヴィスの前には誰もいない。先代ギルベルトは王都を去った。すべてをアルヴィスに託して。
「休むよ、ちゃんと。俺の代わりを担う者は誰もいないからな」
「……その通りです」
後宮のことはすべてエリナに任せる。ルトヴィスのことも含めすべて。そう切り離したことで、心なしか肩が軽くなった気がした。
「エド、宰相を呼んできてくれ。あと、これを近衛に。夕刻には向かうと」
「承知しました」
いくつかの書類の束をエドワルドに渡す。深々と頭を下げてからエドワルドは退出した。エドワルドが不在となれば、国王の執務室は静まり返る。扉を隔てた回廊には近衛隊士が配置されているが、中に入ってくることはない。
これまでであれば王太子専属としてディンとレックスが主に護衛についていた。時として執務内に待機していることもあったのだが、それも二人だからこそ許していたようなもの。他の近衛隊士が室内で待機することはない。
今もそれは同じであり、他の近衛隊士が警備に付く場合、回廊側でのみと通達してある。近衛隊士を信頼していないというわけではない。だが近衛隊士だからという理由だけで、傍にはおけなくなった。アルヴィスが近衛隊に所属していたのはもう二年ほど前になる。その間、見知らぬ顔も増えた。知らぬ顔を傍にはおけない。今の時期は王城内でも見知らぬ顔が多い時。余計に慎重にならざるを得ない。
一日を終えたアルヴィスは、宣言通り後宮には戻らず、王城内にある自室で休んでいた。一人きりで過ごす夜は久しぶりだ。加えて、後宮の寝室とは作りも違う。ベッドの大きさはさほど変わらないが、横たわれば広く感じる。
『寂しいですけれど、でも大丈夫ですから』
そう言ってエリナは送り出してくれた。自分は大丈夫だからと。でも寂しいのはエリナだけではない。アルヴィスとて、その寂しさを感じていた。
「変わったな、俺も」
学園に入る前の自分が今の姿を見たらどう思うだろうか。きっと信じることはできないだろう。誰かを愛し、その相手と婚姻を結び、ましてや子どもがいるなんてことは。




