閑話 令嬢は悩む
客室でエリナはソファに座っていた。サラが淹れてくれた紅茶に手を伸ばし、カップに映る己の顔を見る。浮かない表情をしていた。
「お嬢様……どうかなさいました?」
「……ねぇ、サラ。私は、余計なことをしているのかしら……」
「お嬢様?」
「迷惑、と思われているような気がして……アルヴィス殿下に」
ずっと目が覚めるのを待っていた。その目が開いたときは、嬉しくて仕方なかった。それからも毎日のように側に行って、包帯を取り替えたりした。困ったようにしながらも、アルヴィスは最後にはされるがままに世話を受けてくれた。
「そのようなこと、ございませんよ」
「でも……私一人が舞い上がってしまっているだけで……」
「お嬢様」
「苦しいの……こんなに近くにいるのに、アルヴィス殿下はとても遠い……」
紳士と言えばそうなのだろう。まだ寝ていることも多いので、話を沢山するわけでもない。エリナはただその手を握って、寝顔を見ているだけだ。
婚約をしたばかりの時は、ただエリナを受け入れてくれるだけで良かった。それ以上を望んではなかったはずなのに、気がつけば違うものをアルヴィスに求めてしまっていた。欲を持ってしまったのだ。
「……私は、もっと近くにいきたい。そう、願ってはいけないのかしら」
「お嬢様、不安を安心に変えるために仰っているわけではないのですね……」
「そんな安定剤の様なこと、思っていないわ。確かに、殿下の温もりは安心するけれど……こう、胸が詰まるというか。ドキドキするの。ジラルド殿下と婚約した時とは違う……もっと、あの方を知りたいって思う」
だが、それはエリナだけが思っていること。アルヴィスはエリナを、婚約者としては扱ってくれるものの、どこか妹というか年下の令嬢という扱いだ。線を引かれている。そんな風に感じていた。
「でもそれは私の中でしかなくて……殿下はそんなこと思ってくださってはいない。それはわかるの……だから、苦しい。見てもらえないのが……」
「……お嬢様は、殿下をお好きなのですね」
「そうなの、かしら……? まだ、わからないけれど……でも、そうなれたらいいとは思っているの」
「そうですよ。ですがお嬢様。どちらにしても、殿下がどうお考えなのかはご本人でなければわかりません。ただ待っているだけでは何も変わりませんよ」
「サラ……」
待っているだけでは伝わらない。サラの言うことは正しい。
ジラルドとの件もそうだった。エリナはお互いにすべきことを理解しあっていると考えていたし、最後には責任を果たしてくれると思っていた。しかし、ジラルドはエリナを理解などしていなかった。
ジラルドからの贈り物は毎年花が贈られてくるだけで、城下町でのデートもしたことがない。幼少期は月に一度会っていたものが、年を重ねる毎に減っていき、年に数回ほどのお茶会のみ。学園にいても忙しいことを理由に、ゆっくり会う機会さえ与えられなかったのだから。善く善く考えてみれば当然の話だ。
だからこそ、アルヴィスからの誘いも、共に城下町を歩いたことも、エリナにとっては何もかもが初めての経験だった。特別に感じてしまったのだ。ただ嬉しくて、エリナが勘違いをしてしまっているかもしれないが、それでもアルヴィスがエリナにとって特別であることに違いない。
「……お嬢様」
「サラ、私は―――」
コンコン。扉が叩かれ、侍女が扉を開けば近衛隊のディンだった。
「ディン殿?」
「失礼、侍女殿。リトアード公爵令嬢を殿下がお呼びでございます」
「……アルヴィス殿下が?」
エリナは驚き立ち上がる。ここに来てから一度でもアルヴィスから呼び立てられたことなどなく、初めてのことだった。
「お嬢様」
「わかっているわ……ちゃんと、話をしてみるから」
「はい……頑張って下さいませ」
「? ……では行きましょう」
ディンに先導されてエリナはアルヴィスの私室へと向かうのだった。
私室に入ったところで、ディンは護衛のため中には入らずに別れた。室内には侍女たちが控えている。話を聞くに、寝室には今はアルヴィスしかいないということだ。
深呼吸をしてから、扉をノックする。コンコン、コンコン。だが、応答はない。
「?」
「エリナ様、どうぞお入りになってください。お呼びになったのはアルヴィス様ですから」
「は、はい」
ナリスに促されて、恐る恐るという風に静かに扉を開けて、寝室へ入った。少し薄暗い部屋の中は、何度も出入りしており既に見慣れた場所となっている。奥にある広いベッドへ近づけば、そこには眠ってしまっているアルヴィスがいた。
「アルヴィス殿下?」
遠慮がちに声をかけるが、反応はない。微かに寝息が聞こえてくることから、完全に寝入ってしまっているようだ。少しだけ緊張しながら来たというのに、拍子抜けしてしまう。しかし、折角来たのだからと椅子に座り、幾度となく見た寝顔を堪能する。
サラサラの金髪に、今は閉じられた水色の瞳。エリナといる時は、常に穏和な笑みを浮かべている顔。従兄弟だというが、顔はあまりジラルドには似ていない。同じなのは髪の色だけ。どちらかと言えば、アルヴィスの方が濃い金髪だ。
そっと、起こさないように気を付けながらアルヴィスの髪に触れる。柔らかい髪質であるためか、アルヴィスは寝癖が直しやすいと侍女のナリスが話していた。
ふと、アルヴィスの唇へ視線を向ける。半ば無意識にエリナは、自分の唇を触れた。突然のことだったが、エリナはアルヴィスとキスを交わしている。あの時は、恐らくエリナの叫び声を封じるために、負傷した身では口で塞ぐしかなかったのだろう。それでも、例え事故であろうとも、あれはエリナの初めてのキスだった。
「……アルヴィス殿下……と私は……」
半ば無意識だった。じっと唇を見ていると、少しだけ身を乗りだしてしまい、そのままエリナはアルヴィスへと近づく。口と口とが重なりそうになるまで顔を近づかせたその時、パチっと目が開いたアルヴィスと視線が合ってしまう。
「エ、リナ……」
「っ! ~~~~きゃっ」
アルヴィスが起きてしまったのだ。驚き、エリナは体勢を崩すとアルヴィスへと倒れ込む。まだ負傷中のアルヴィスには支えられず、エリナはアルヴィスへと乗っかった。
「……」
「っ~~~」
はしたないことをしてしまったという自覚があるエリナ。顔は茹でタコのように真っ赤になり、とても顔を上げられる状態ではなかった。




