閑話 帝国と聖国の少女
web版では珍しいテルミナ視点になります。
いつか帝国側のことも掘り下げしたいところですね……
「貴女が帝国で神の寵を得たという子ですか?」
「ふぇ?」
それはほんのひと時、帝国皇太子のグレイズが傍におらず、テルミナは休憩をしようと会場のバルコニーに姿を見せた時だった。背後から聞こえてきたのは、一人の少女。同じ年ごろということでテルミナも一瞬安堵しかけるも、その纏う雰囲気に一歩後ろに下がった。
「えっと、貴女は……?」
「失礼いたしました。私はスーベニア聖国のレンティアースと申します。見知りおきくださいませ」
「帝国貴族テルミナ・フォン・ミンフォッグです」
今度はきちんと挨拶をしなければと、テルミナはドレスの裾を持ち上げて腰を落とす。エリナから教えてもらったことだ。彼女のように完璧な作法とは言えないけれど、やらないよりはマシ。そもそもテルミナがこうして他国の社交界に顔を出すのは初めてだ。多少の失敗ならば目を瞑ってもらえると言っていたのは、昼の立食パーティーまで。この夜会においては失敗は許されない。
そうしてようやくグレイズが傍から離れて緊張感から解放されたというのに、ここで誰かに声を掛けられるとはテルミナにとっては想定外すぎた。それも同じ年ごろの少女に加えて、その所作は誰がどう見ても貴族のそれ。テルミナよりもよほど様になっていた。
「テルミナ様とお呼びしても?」
「は、はい。その私は、レンティアース様でいいですか?」
「構いませんよ。今はまだ」
「今は?」
「うふふ、こちらの話です」
何故だろうか。物腰は和らかく丁寧だというのに、そこに感じる圧のようなもの。テルミナからして完璧に見えるエリナと所作は同じなのに、どこか引っかかる。
「先ほど、ルベリア王の妹君が婚約を発表されましたね。王妹ともなれば、その相手も吟味されてしかるべきでしょうけれど」
「えっと、そうですね。ラナリス様も綺麗な人でしたし、その相手の人も冷たい感じはしても、悪い人には見えませんでしたから、エリナ様たちのように幸せになってほしいなって思います」
ラナリスのことは、先ほど合間を縫ってアルヴィスから紹介された。アルヴィスと似た面差しの女性で、並んでいると本当によく似ていたことに驚いた。婚約者であるというシオディランに対しては、若干の苦手意識のようなものを感じるが、アルヴィスの友人というので悪い人ではないのだろう。それがテルミナの感想だった。
それを聞いたレンティアースは驚いたように目を瞬くと、次にほんの少しだけ声を漏らして笑った。先ほどのような圧が消える。
「あれに、そのような感想を持ち出すのはテルミナ様くらいではないでしょうか」
「そうですか?」
「ランセル様は強かな方です。ルベリア王国においてランセル侯爵家といえば、商会を担っていることで他国にも名が通っておりますし、その独自の情報網も持っておりますから、その跡取りの方がただの善人であるはずがありません」
そう言われてもテルミナにはわからない。帝国貴族の名鑑を見るだけでも精いっぱいなのに、他国の情報など頭に入っていなかった。アルヴィスのことはグレイズが色々と話をしてくるので、ある程度の情報は頭に入っている。実際にマラーナでは共闘もした。知識ではなく感覚に近いけれど、アルヴィスのことは色々と知っているのだ。それ以外の他国の貴族など、テルミナはまだわからない。
「テルミナ様も皇太子殿下と婚約をされるのですか?」
「……まだわかりません」
「そうなのですか」
婚約はしていない。それは事実だ。けれど、それも時間の問題。テルミナが皇妃に相応しい知識を、とまではいかなくとも最低限の礼儀作法を身に着けた時点で、婚約を交わすことになっている。
『貴女にそこまでの役割を求めていません。安心してください』
いつもの意地の悪い笑みを浮かべたグレイズにそう言われた。神の契約者を皇族として迎え入れる。それ以上でもそれ以下でもない。テルミナとて理解しているし、自分に皇妃の役割ができるとも思っていない。まるっきり期待されないというのは悔しいので、皇城の兵士あいてに槍を振り回しているのだけれど、それさえもグレイズは禁止することはない。先にやることをやれと釘をさしてくるものの、何だかんだとテルミナが本当に嫌がることはしてこなかった。
『私はただのお飾りでいいんですか?』
『……お飾りだけでは困りますけどね。ただ……私のこの性格は母親似ですので、あれと同じような女性を皇妃に据えるのは正直願い下げたいところでして』
グレイズの母親にはまだ会ったことがない。会わせてもらえないのだ。沢山いる皇帝の妃の中でも、癖の強い人だと聞いている。グレイズも大分癖の強い変人だ。それに似ているというのであれば、確かにテルミナ程度ではおもちゃにされて終わるだろう。
『けどグレイズ様は他にも妃をとらないといけないんですよね? 私はただいるだけでいいんですよね?』
『……貴女を皇妃にしたい理由が武神との契約者であること。ならば当然求められることは一つですよ』
『子どもを作ること、ですか?』
『わかっているならばいいんです』
『でもそれが他の人と結婚しない理由にはならないんじゃないですか?』
皇族には普通に複数の妃がいるもの。テルミナはそう認識している。皇帝にも複数人の妃がいるし、子どもも沢山いる。グレイズのように研究をしている皇子もいれば、第二皇子は文官、第三皇子は将軍職に就くなどして、自分が好きなことをしている印象だ。母親が違う同士で諍いはあるらしいけれど、グレイズが誰に対してもこういう態度なので、次期皇帝がグレイズになるのは揺るがないと教育係から教えてもらった。
『貴女の世話をしていたら、他の人を娶ってもそんな暇があるわけないでしょう』
『えー、私の所為ですか?』
『否定したいのでしたら、まずその教えたら忘れてしまう頭を何とかしてください』
『私だってやればできますよ!』
今思い出しても挑発させられただけなような気がする。それが今のテルミナとグレイズの関係だ。アルヴィスとエリナのような甘い雰囲気もなく、どちらかというと世話役とその世話をしてもらう人の関係。おもちゃにされている気もするし、グレイズのストレス解消のネタにされている気もしている。
テルミナにも憧れはある。アルヴィスとエリナのような関係に。けれど、グレイズのことが嫌いというわけではない。そこにあるのは決して甘い感情ではないけれど、婚約するということも嫌ではなかった。
「なるようになるんじゃないですか」
「……それで貴女はいいのですか?」
「はい。結局、そうなったのも私が選んだ道です。深く考えるより、私はそうやってこれまでやってきたので」
まぁいいかと、契約した時でさえテルミナはそう考えていた。この先もかわらない。深く物事を考えるのは得意ではないのだ。それはグレイズやアルヴィスらの役目。それに万が一の時、より多く、より強く戦えるのは現世においてテルミナだけなのだから。
「変わりませんね、貴女も」
「え?」
「何でもありません。ですが、そうですね。貴女とこうしてお話ができたこと、良かったと思います。次は是非我が国にもお越しくださいませ」
それだけを告げてレンティアースは去っていった。一体何の用だったのだろうか。去り行くレンティアースの背中を見送りながら、テルミナは首を傾げた。




