閑話 重なる影
ラクウェル視点になります。
戴冠の儀、そして昼のパーティーを終えたラクウェルは、オクヴィアス、ラナリスと共に事前から予定していた王太子宮へとやってきていた。実をいえば、王太子宮に招かれるのは初めてのことだ。先日はマグリアが来ていたらしいが、彼もここに来たのはそれが初となる。
エントランスから入り、エリナらに出迎えられた。エリナの腕には小さな子が抱かれている。アルヴィスとエリナの第一子となる王子、ラクウェルにとっては孫だ。先ほどバルコニーに出て、国民にお披露目をした所為もあるのか、眠っているようだ。その小さな手はぎゅっと握りしめられており、安心したような顔で抱かれていた。ちなみにまだアルヴィスは戻ってきておらず、少し休んでいるため遅れるとのことだった。
「……思い出しますね」
「そうだな……」
「え?」
この場にアルヴィスがいないことが幸いだったというべきか。サロンに招かれ、エリナに抱かれる孫を見ながらくつろいでいても、その視線はどうしても孫へと向かってしまう。その姿にどことなく面影を感じるのだ。アルヴィスの生まれたばかりの頃のものを。ラナリスと共に笑いあうエリナ。その光景はアルヴィスとエリナに重なる。きっと想像ではなく、実際のアルヴィスも今のラナリスのようにしてエリナと共に我が子を慈しんでいることだろう。
「あの」
「よく似ている。本当に。あの子が生まれた時に」
「……はい。生まれた時から、あの子は大人しくて、まるで生まれた時から私たちが見えているのではと錯覚してしまうくらいでしたから」
オクヴィアスもラクウェルも、アルヴィスが赤ん坊の時に腕に抱いたのは数えるほど。否、ラクウェルに至っては本当に生まれたばかりの時くらいしかなかったかもしれない。立太子を行った儀で倒れたアルヴィスを抱えたのが、本当に久しぶりだった。大きくなったのだと改めて感じると共に、もっと抱きしめてやればよかったと強く思った。
ベルフィアス公爵領にやってきたアルヴィスを抱きしめた時、その大きな背中を感じ、感情の高ぶりを抑えるのが大変だったほどだ。そのアルヴィスが今や父親となった。アルヴィスの子に特別な想いを抱いてしまうのは、致し方ないのかもしれない。
そんなことを考えていると、エリナがラクウェルたちに向けて微笑んだ。
「お二方も抱いてみませんか?」
「え?」
「お義母様もお義父様も是非、この子を抱いてあげてください」
「本当に可愛いですよ、お母様」
エリナがそっと立ち上がり、オクヴィアスの腕へとその子を手渡す。母親であるエリナから離れたのがわかったのか、閉じられていた目を開けパチパチと目の前にいるオクヴィアスを見上げる。まだ何も見えない赤子だが、母親と違う人だということはわかるのだろう。
「……あ」
「初めまして、ルトヴィス。貴方のおばあ様です」
「ルト、おばあ様ですよ」
横からエリナがルトヴィスに声を掛けるが、ルトヴィスの視線はオクヴィアスに注がれたままだった。じっと見つめるそのまなざし、隣にいるラクウェルからも見えるその表情はただ茫然としているという風に見えた。赤ん坊は本能的に行動するものなので、考えているわけではないのだろう。ただ見ているだけ。
しかし、その数秒後には顔をくしゃりとさせて泣き叫んだ。
「おぎゃぁ!」
「まぁまぁ、大きな声で泣くのですね」
オクヴィアスは目元を和らげて泣き叫ぶルトヴィスをあやす。ここまで大きな声で泣くことはアルヴィスはなかった。あの顔で泣いている赤ん坊を見ていると、どこか安堵する己がいることに気づく。赤ん坊は泣くものだ。この子は泣けるのだと。生まれたばかりなのにそんな心配をしてしまうのは、アルヴィスが赤ん坊の頃を思い出してしまうからだろう。アルヴィスが泣く姿も、その声もラクウェルの記憶には残っていないのだから。
未だ泣き続けるルトヴィスの様子に、オクヴィアスはエリナへと渡した。まだ泣き止む気配はないけれど、それでもエリナの腕に抱かれて暫くするとその声も小さくなっていく。
「さすがエリナさんですね。もうすっかり母親らしくなってしまって」
「いいえ、私もようやく慣れてきたところです。それにこの子はアルヴィス様に抱かれると、あやすまでもなく泣き止んでしまうのです。少し妬いてしまうくらいですよ」
「まぁ、そうなのですか?」
「今は私でもこうして泣き止ませることはできますけれど、最初の頃はナリスさんと共に複雑な気分でいました」
それは意外だなとラクウェルはオクヴィアスと共に顔を見合わせた。だがルトヴィスのマナの流れを読んでみると、その力がアルヴィスとよく似ていることに気づく。もしかしたら本能的にルトヴィスはマナを感じていたのかもしれない。父親と似た力が傍にあると。顔がわからない以上、感覚的に判断していると考えれば納得のいく話だった。
「それでは先ほどルトヴィスが私をじっと見ていたのは」
「アルヴィスかどうかと困惑していたのかもしれないな。違うとわかって泣いてしまったのだろう」
「それはすごいですね。まだ小さな赤ん坊ですのに」
「そうだな」
アルヴィスは自他ともに認める母親似である。泣き止んだところで今度はエリナからラナリスへとルトヴィスが手渡された。先ほどのオクヴィアスと同じように、じっと見上げてから泣き始める。顔は似ていても違うと判断されたらしい。そんな孫の様子に、ラクウェルは笑みが零れた。
想像もしていなかった未来だ。あのアルヴィスが結婚をし、その妃となったエリナが妊娠した。その報を聞いたのだから訪れるのはわかっていたはずだが、マグリアが結婚をして子が生まれた時よりも、どこか気持ちがソワソワしてしまう。
『無事で生まれてくれればそれでいいです』
そう言っていたアルヴィスの言葉通り、母子ともに健康だ。予定より早い出産だったとは言うが、それでも無事に生まれてきてくれたことが何よりも嬉しい。男児であったことよりも、アルヴィスにとってはそちらの方が重要だったことだろう。エリナの妊娠を公表した時の二人の様子が脳裏に思い出される。寄り添い合い、お互いを大切にしていると誰が見てもわかる光景だった。あのアルヴィスがあのような顔をするなどと、昔のアルヴィスを知る者ならば誰もが驚く。そんな機会を与えてくれたギルベルトには不本意だけれど感謝してもいいかもしれない。
「エリナ様、アルヴィス様がお戻りになりました」
そうナリスが知らせに来てくれた。子を得て父親になったアルヴィス。そしてこの日はこの国の王となった特別な日でもある。戴冠の儀に見せた堂々とした振る舞いは、まさに王たる風格を持ち得ていた。あの場でラクウェルは確かに見た。あの場にいるのが己の子ではなく、この国の王なのだという姿を。
「父上」
それでもこの場に見せた姿は、変わらない我が子としてのものだ。この先、アルヴィスは王として在らなければならない。ならばせめてラクウェルたちの前ではその仮面を外せるようにしてやりたい。その頭を撫でれば、嫌がりつつも困った顔で笑うアルヴィスを子ども扱いできるのは、もはやラクウェルらだけなのだから。




