26話
仮眠から目覚めたアルヴィスは慌てた。一時間程度のつもりだったのだが、気づけば三時間以上も寝入ってしまっていたからだ。起こすように伝えたはずのイースラは「そうでしたか?」と惚ける始末。着崩した格好を整えてからアルヴィスは急いで王太子宮へと戻ったのだ。
「少しは眠れましたか?」
「エド……」
エントランスで出迎えてくれたのはエドワルドだった。今日は今後アルヴィスが使うこととなる国王の私室、執務室の準備、王太子宮からの引っ越しなどで動き回っているはずだ。汗一つ見せていないのがエドワルドらしいといえばそうだけれど、少なくともエントランスで待ちぼうけをしている時間はないはずである。
「そっちは落ち着いたのか?」
「まだ半ばと言ったところです。今日の夜までには後宮の方もあらかた終わります。この後の夜会が終わるまでにはすべての準備が終わる予定ですが、私はこの後、作業に戻らせていただきます」
「……そうか、悪い待たせてしまった」
その言い回しから余裕があるわけではなさそうだった。だからこその謝罪の言葉だったのだが、そんなアルヴィスにエドワルドは苦笑しながら近寄ると、そっと頬に手を添えてきた。
「エド?」
「私がお会いしたかっただけです。国王となった貴方に。今日は朝からあまり時間はありませんでしたから」
「別にこれからいつでも会えるだろう」
「わかっています。ですが今日は特別ですから」
そう告げたエドワルドは手を下ろし、アルヴィスの足元に膝を突くと頭を垂れた。
「ご即位、おめでとうございます、陛下」
「……ありがとう」
「この先も私は、いえ私たちは陛下と共にありますことお忘れなきようお願いいたします」
「あぁ、わかっているよ」
エドワルドなりの激励、そしてけじめだ。戴冠の儀では、同じような言葉を王妃となったエリナを先頭に告げられている。あの場にいたのは貴族たちなので、エドワルドたちは見ることすら叶わない。それでも志は同じだと。言われるまでもなく、彼らの想いを疑うことなどない。これまでもこの先も変わらずに彼らはここに、アルヴィスの傍に在るのだから。
エドワルドを立ち上がらせてからアルヴィスは中へと歩を進めた。
「それじゃあ俺は行ってくる」
「はい。アルヴィス様」
「何だ?」
エドワルドの横を通り過ぎたところで、呼び止められてアルヴィスは足を止めた。
「姉なりにアルヴィス様を想ってのことです。皆様にはお伝えしてあります。どうか――」
「わかっている、イースラがそう想って行動してくれたことは。責めるつもりはない」
会うのがベルフィアス公爵家の面々だとしても、時間を守らなくていい理由にはならない。どれだけ疲労があってもだ。エドワルドもイースラもそれは理解している。わかった上でイースラはそう行動した。アルヴィスの体調を気遣ってくれたのだ。遅れることも事前に伝えてくれている。根回しもしてくれている以上、アルヴィスからとやかく言うつもりはない。
「ありがとうございます」
「いや、後からイースラにはちゃんと礼を言っておく」
「はい。それでは、ごゆっくりお過ごしください」
「ありがとう」
再び足を動かし、アルヴィスは中へと入っていった。
エントランスを抜け、広めのサロンへ向かう。そこには既にラクウェルとオクヴィアス、そしてラナリスのベルフィアス公爵家の面々とエリナ、ルトヴィスが対面していた。ちょうどエリナからオクヴィアスへとルトヴィスが手渡されるところだ。ミントの姿が見えないので、席を外しているのだろう。
「可愛いですね。本当にアルの小さい頃によく似ています」
「ありがとうございます。マグリア卿もそうおっしゃっていました」
にこやかに交わされる会話の中に入るのは忍びないが、黙ってみているわけにもいかない。中へと足を踏み入れると、傍にいたラクウェルがアルヴィスに気づく。
「来たか、アルヴィス」
「遅くなってしまいすみません、父上」
「仕方ないさ。気にするな」
ラクウェルのところへ歩み寄ったところで、エリナたちもアルヴィスに気づいた。挨拶を交わしながら皆がこちらへと近づいてくる。ルトヴィスはオクヴィアスに抱かれたままだが、アルヴィスが来たことによりその手をアルヴィスへと伸ばしてきていた。これもいつものことだ。その様子に思わずアルヴィスの表情も綻ぶ。
「まぁこの子はお父様が大好きなのですね」
「そういうわけではないのですが……」
「子どもは本能的に行動するものですもの。間違ってはいませんよ」
そういいながらオクヴィアスはアルヴィスにルトヴィスを預けてくる。安心したのかルトヴィスが大人しくなった。微笑ましい様子に和やかな雰囲気が流れる。立ち話もということで、ソファーへと座る。エリナとアルヴィスを挟む形で、ラクウェルとオクヴィアス、ラナリスがそれぞれ両隣のソファーへと腰を下ろした。それでもルトヴィスはアルヴィスの腕に抱かれたままだ。
「アル、お疲れ様でした。とても立派でしたよ。ねぇラナリス?」
「はい、本当に素敵でしたお兄様! エリナお義姉様も格好良かったです」
「ありがとうございます」
オクヴィアスとラナリス二人に褒められ、エリナはアルヴィスの隣に並びながら微笑んだ。戴冠の儀では、ベルフィアス公爵家としてラクウェルとオクヴィアスは先頭列に並んでいた。ラナリスもアルヴィスの同母妹という立場にもなるので、同じく先頭列だったのだ。むしろラクウェルよりもラナリスの方が王座には近かった。アルヴィスとエリナの姿も良く見えたことだろう。
「お兄様は王冠もよくお似合いでしたね」
「王族は大体が金髪だから似合わないことはないと思うんだが……」
「そういうことではありませんよ、お兄様。お兄様の金色は伯父様よりも華やかですから、ああいった場だと透き通って見えます。なんだか不思議な光景でした」
「同じ髪色なんだから、俺が似合うならラナも似合うだろ」
「それは私の密かな自慢です!」
密かも何も、貴族ならば全員が知っていることではある。別に兄妹で色合いが似ているのは珍しくもなんともない。シオディランとハーバラのランセル侯爵家の兄妹とて同じだし、探せば当たり前のように沢山出てくるだろう。ラナリスとアルヴィスは顔のパーツといい似通っている部分が多いので、男であるアルヴィスは昔から複雑な想いを抱いてきた。逆にラナリスはそれを自慢していたらしいのだが、全く理解できなかった。
「お前たちは仲が良い兄妹だからな。私よりもオクヴィアスの色を濃く受け継いだからかもしれんな」
「そんなことはありません。頑固なところや思考に耽ってしまえば戻ってこないところといい、アルは旦那様にそっくりです。考えすぎなところも同じだと思いますよ」
あまり聞いたことがない両親の会話に、アルヴィスはどう反応していいのかわからなかった。物心ついたころから傍に両親がいないのが当たり前だったので、こういった会話を聞く機会さえなかったのだから当然だろう。エリナは楽しそうに耳を傾けている。ラナリスも同じく楽しそうだ。こういう機会が今までなかったけれど、今は両親にも事情があったと理解しているし、アルヴィスが知らないところで傍にいてくれたということも聞いている。とはいえ、自分のことを目の前で話題にされるのが複雑なのに変わりはないけれど。
「そういえばアルヴィス、お前には先に言っておかなければな」
「父上?」
突然、そのように告げてきたラクウェルにアルヴィスは首を傾げた。何かあったのだろうかと身構えていると、その次に述べられた言葉に絶句する。
「お前の戴冠式を終えたら公表するつもりだ。ラナリスの婚約についてな」




