24話
国民の前にこうしてバルコニーから出たのは数回だ。だがエリナと共に姿を見せたことはない。貴族たちの前に出る時とは違う雰囲気を醸し出している中で、アルヴィスはその腕にルトヴィスを抱きながら一歩前に出る。
「あれ? 新国王陛下が抱いているのって……」
「あ、あぁ。まさか――」
アルヴィスが抱いている赤ん坊を見て、人々がざわめく。それも当然だろう。何の予告もなかったのだ。あまり顔を見せることはできないだろうし、ここで声を発することは予定にない。それでもと、アルヴィスは隣に立つエリナを視線を合わせた。エリナもアルヴィスの意図を察したのか、頷きを返してくれる。
エリナが少しだけアルヴィスが纏うマントを肩から先、その前方を外してくれた。そうすることで、人々からも見えるようになる。アルヴィスの腕にいるルトヴィスの髪色が。顔は見えなくとも、その色が金色であることは確認できるだろう。
「可愛い! 王子殿下⁉」
「エリナ様とアルヴィス殿下の⁉」
「まさか見られるなんて思わなかった!」
興奮のあまり、アルヴィスたちの呼び名が殿下に戻ってしまっているが、ここで指摘したとしてもその声は届かないだろう。否、それどころではないと言った方が正しいか。
国民の前に王子が姿を見せることは、それこそ城下に降りるくらいしか機会はない。それまでは絵姿で見るくらいだ。赤ん坊の時から姿を見せる王族など滅多にいないはず。だからこそ騒ぎになるのはわかっていた。それでも……とアルヴィスは腕にいるルトヴィスへと視線を落とす。周囲の騒ぎをよそに、ルトヴィスはご機嫌だった。マナを通じて伝わってくる感情に、アルヴィスもつられるように笑みを浮かべた。
「嬉しそうですね。ルトも、それにアルヴィス様も」
「そうだな。朝から疲れることばかりだが、それでもルトを見ていると幾分か安らぐ気がする」
「はい。やはり少しでも離れているのは寂しいです。きっとこの子も同じなのですよね」
ルトヴィスはこちらの都合など知るわけもない。だが普段は一緒に居るはずの存在がいなくなったことで、不安を感じている。今は一緒に居るから嬉しいと感じる。ルトヴィスの嬉しいという感情が、これまで抱いていた疲労感を和らげているような気がしていたのは気のせいではないのだろう。
「この後、夜会が始まればまた離れることになるが……頑張ってもらうしかないな」
「そうですね」
エリナにはなるべく早く退出してもらった方がよいかもしれない。王妃としての務めは果たしてもらわなければならないが、まだ赤ん坊であるルトヴィスを放ってはおけない。まだまだ母親の手が必要な時期。わかっていても傍にいることはできない。そんな風に考えている自分自身に、アルヴィスは苦笑する。
生まれる前に、己に父親となる資格があるのだろうかと悩んだこともある。お世辞にも人に褒められるような幼少期を過ごしてこなかった。子ども時代に親と過ごした時間もほとんどなかった。親になる自信もなかったが、それでもこうしてルトヴィスのことを考えることは嫌ではない。
「ふふふ」
「エリナ?」
「いえ、こういう時ですけれど……この子はやはりアルヴィス様の子なんだなと思いまして」
「急にどうした?」
唐突にそのようなことを言われて、アルヴィスは首を傾げる。だがエリナは口元に手を当てて笑うだけだ。その様子もすべてたくさんの人たちに見られているのだが、その視線よりもエリナの言い方の方が気になってしまい、アルヴィスはエリナの方へと身体を向けた。
「なんでもありません。これは私とルトだけの秘密です」
「……エリナ」
「そうですよね、ルト」
そこまで言われてしまえば気になってしまうが、ルトと呼びかけるエリナの声に応じるようにルトヴィスはその手を動かしていた。顔を覗き込んでいるエリナも柔らかく微笑んでいる。ここでそれ以上の追及をするのは野暮というものだろう。
「仕方ないな」
まだここは披露の場だ。あまり二人だけで会話を楽しんでいるわけにもいかない。アルヴィスはもう一度バルコニーへ向けて身体を正面に向けると、人々に向けて笑みを貼り付けながら手を振った。その笑みは、以前のような仮面を貼り付けたものではない。穏やかな優しい笑みだったが、それに気づいたのはきっと城下に住む人々の中でも限られた者たちだろう。
披露の場を終えて、アルヴィスたちがその場を去った後もしばらくは賑わいが収まることはなかった。




