23話
会場内へとアルヴィスが姿を現した。中に入った瞬間、その視線がこちらに向くのを感じる。エリナが一度退出したことで、アルヴィスが姿を現すことも分かっていたのだろう。注目を浴びつつも、どこか柔らかな雰囲気であることに、アルヴィスは心なしか安堵していた。
戴冠の儀のような静けさはない。それでも緊張しないということはなかった。一挙一動が見られていることに変わりはないからだ。
会場内の中央に移動し、エリナを伴いつつもアルヴィスは簡単に挨拶をする。その後、来賓たちをはじめとしたあいさつ回りを行っている時だった。立食形式であるため、会場内には料理が並べられているテーブルがそこかしこにある。その一つ、デザートの場所に一人の少女がいるのが目に入ったのだ。デザートを頬張る様子は令嬢というよりも、市井出身の少女のように映る。しかしその奥底に、何か別のものを感じた。既視感、かつても同じような光景をどこかで見たかのような。
「アルヴィス様、どうかされましたか?」
「いや、何でもない」
少女を視界に入れるものの、アルヴィスはすぐにそれを外す。直感に似た何かがアルヴィスに伝えていた。あれが例の少女だということを。だとすれば、今はまだ話をする時ではない。向こう側はそういう扱いを望んでいないからこそ、敢えて次期女王としてではなく客人の中の一人としてルベリア王国を訪れたのだろうから。
多少の歓談を交えながら立食パーティーを終わった。ここまで何事もなくとはいかなかったものの、大きな問題は起きていない。控室に戻ってきたアルヴィスとエリナは、少しの休息を取った後でお披露目のために王都を見下ろせるバルコニーへと向かう。ここまで衣装の変更はない。本当に少しだけの休息を取ろうとソファーに座ったところで、控室の奥がざわざわと騒ぎだした。
何か起きたのかと思うのと同時に、小さな赤ん坊の泣き声が聞こえてきた。誰かなど考えるまでもない。この時期に、王城にいる可能性がある赤ん坊は一人だけだ。やがて控室の扉がゆっくりと開く。これまで扉によってある程度遮られていた音が一気に解放される。
「おぎゃぁぁ!」
「ルトっ」
立ち上がったエリナが駆け足気味に歩き出す。伯母でもあるミントに抱かれたルトヴィスにもわかるのか、母であるエリナの方へと手を伸ばしていた。予想外ではあるものの、よく考えれば仕方のないことだろう。朝からこれまでの長い時間、ルトヴィスとてエリナと離れたのは初めてだ。そのことに不安を覚えても当然だろう。
「ルト、どうしましたか?」
「申し訳ありません、エリナ様。どうしても泣き止まず、なんとなくですがご両親のところに行きたいのではと思い、無理を承知でお連れしました」
「いいえ、ありがとうございます」
ルトヴィスを受け取ったエリナがお礼を伝えると、ミントは頭を下げる。ここへ連れてくることは好ましくない。けれどミントは母親でもある。だからこそルトヴィスが何を望んでいるのかを考え、いけないことだと知りながらもルトヴィスを優先してくれたのだろう。アルヴィスも立ち上がり、エリナたちの下へと近づく。
「アルヴィス様、お忙しいところ申し訳ありませんでした」
「そんなことはありませんよ、義姉上。今はちょうど休息を取っていたところですから」
「あう、あう」
エリナにあやされて泣き止んだルトヴィスがアルヴィスへと手を伸ばす。今のアルヴィスは国王の正装であり、装飾もそこかしこに施されている。下手に抱き上げれば、柔らかな皮膚を傷つけてしまいそうで、アルヴィスは抱き上げるのを躊躇った。己の望みが叶えられないとわかったのか、やがてルトヴィスの目に涙が溜まっていく。泣く、と思った時には遅かった。
「わかった……イースラ、手伝ってくれ」
「承知しました」
控えていたイースラを呼び、アルヴィスはマントと王冠を外す。それでも正装には変わらないが、先ほどよりはマシだろう。重量感がなくなった肩を回しながらほぐし、アルヴィスはエリナに抱かれているルトヴィスへと手を伸ばした。抱っこしてもらえるとわかったルトヴィスは泣き止み、小さな手を伸ばしてアルヴィスの腕の中に移動してくる。
「お前は本当に……仕方のないやつだな」
「ルトはお父様が大好きですから」
まだ父と母の認識はないルトヴィスだが、マナの気配でなんとなく意識はしているのだろう。エリナとアルヴィスが特別だということはわかっているらしい。中でもアルヴィスのマナはルトヴィスとよく似ている。安心できる場所。どちらかといえば、親というよりもそういった意味の方が強いかもしれない。本能的に悟っているのだ。
「陛下、そろそろ国民たちも集まっておりますが、どうしますか?」
「……そう、だな」
そろそろ時間だとルークが伝えてくる。今、ここでルトヴィスをミントへ渡せばどうなるか。間違いなく泣きだす。赤ん坊は泣くのが仕事だ。これから先も何度だってこういうことはある。泣かせるのは可哀そうだけれど、ルトヴィスには耐えてもらうしかない。
「義姉上――」
「連れて行けばよいだろう」
「伯父上?」
そこに顔を出したのは、前国王となったギルベルトだ。そしてアルヴィスの腕に抱かれているルトヴィスを見て、目を細める。王太子宮から出てくることがないルトヴィスをギルベルトが見るのはこれが初めてだ。赤ん坊をまじまじと見つめるギルベルトに不安を覚えたのか、ルトヴィスはアルヴィスの胸の服をその小さな力で掴んでいた。
「その子がルトヴィスか。お前によく似ている子だな」
「ありがとうございます」
「せっかくの機会だ。貴族たちの前に出るようになるまでは何年も先になる。王子の誕生については、皆が祝いの言葉を述べていることだ。その顔を見せても別に問題はあるまい」
「しかし……」
このまま抱いていったところで、国民には顔すら見せることは叶わない。ただアルヴィスに抱かれているだけとなってしまう。それでもいいのだろうか。腕の中にいるルトヴィスを見下ろせば、じっとアルヴィスを見つめていた。その指を口に入れながら、ただアルヴィスを見ている。
「ルト、お前もいくか?」
問いかけたところで意味は通じない。それでもルトヴィスから感じられるマナが一緒に居たいのだと告げてきた。隣に立つエリナへと視線を送ると、頷きが返ってくる。これで決まった。
「わかった。一緒にいこうか」
「はい」
エリナに抱かせようと思ったが、結局ルトヴィスはアルヴィスから離れなかったため、何とかマントを羽織り王冠を乗せると、アルヴィスはエリナと共にバルコニーへと向かった。
ルトヴィスを抱いているアルヴィスを想像すると、ここまで来たんだなと感慨深いです(*´ω`)




