19話
これまでにない緊張感を持ちながら描きました(汗
戴冠式が行われるのは謁見の間だ。そこに入場するのはアルヴィスが最後となる。身の丈よりも長い厳かなマントを羽織り、アルヴィスはその扉の前に立った。扉の脇には、正装をした大司教の姿がある。
「それではアルヴィス様、私は先にお待ちしております」
「またあとでな」
「はい、楽しみにしておりますね」
ここまでエリナと共に来た。だがここから入場するのはアルヴィスだけだ。エリナは奥の間から先に謁見の間に入ることになっている。アルヴィス、そして大司教へとドレスの裾を持ち上げて礼を執るとエリナはフィラリータらと共に去っていった。
「既に妃殿下以外の皆さまは待機しておられます」
「……みたいだな」
この先にたくさんの人の気配を感じる。最後に足を踏み入れることなど、王太子となってから何度も経験したが、今ここで感じる雰囲気はそれまでのものとは全く違う。アルヴィスは右手を持ち上げ、そこに視線を落とすと拳を強く握りしめた。
アルヴィスが王太子である時間はここまでだ。今この時が最後となる。この先に足を踏み入れれば、そこから先は己がこの国を預かる者となるのだ。覚悟はしていた。迷いがあるわけではない。ただ、僅かに過ってしまうことがある。それは、まだ決着がついていないことがあるということだ。この状況で、国を預かる身となった上で、事が起きてしまった場合のことを考えてしまう。
「アルヴィス殿下、どうかなさいましたか?」
「いや、何でもない」
今は考えたところで詮無きことだ。既に事態は動いている。アルヴィスが何をしようと、どのような立場に在ろうとも、それは起きた時に考えることしかできない。故に、目の前にあること。国のことを考えるのが第一だ。
目を閉じてアルヴィスは握りしめていた拳を下ろした。そうしてゆっくりと深呼吸をする。そろそろ刻限だ。
「それではアルヴィス殿下、私が先導いたします」
「わかった。よろしく頼む」
大聖堂におけるトップが大司教である。結婚式でもそうだったが、王族の行事で祭事を取り仕切る場合、大司教がそれを担うことが多い。現ルベリア王国では、大聖堂と王家の関係は良好であるが、それを対外的にも示すためらしい。関係が悪化していても表向きは良好に見せる意味合いもあるらしいが、現世においてそのようなことは起きないだろう。何せ、アルヴィス自身が大聖堂が崇める女神ルシオラの加護を得ているのだから。むしろ、立ち位置として対等であるはずの関係が、若干王家に傾いてしまうという懸念が起きている。アルヴィスにはどうしようもないことだし、当然として大聖堂を蔑ろにするつもりもない。その大司教が先導を務める。大司教に導かれて、その地位を戴く。戴冠式はそうして始まるのだという。
そんなことを考えていると、謁見の間の扉がゆっくりと開いた。ざわめきが一瞬にして静まり返る。その中を大司教が足を踏み入れていく。アルヴィスもその背に続くように謁見の間へと足を踏み入れた。
誰一人として声をあげることのない空間の先、深紅の道の先には王座がある。その前には国王が立っていた。深紅の道を真っすぐに進む。左右に別れた参列者たちはアルヴィスを見ているが、それを確認することなくただまっすぐに足を動かした。指定の位置へ到着したところで大司教がその道を譲るようにし、アルヴィスは国王の前に立ち、腰を折って膝を突き右手を胸に当てるようにして頭を下げた。全方位からの視線を感じながら、アルヴィスは目を閉じる。
「アルヴィス・ルベリア・ベルフィアス」
「はっ」
国王の声が謁見の間に響く。それほど大きくない声だが、その名ははっきりとこの空間に響いていた。
「余は、第109代国王ギルベルト・ルベリア・ヴァリガンの名において、ここに第110代国王として其方にその座を譲ることとする。この国に生きるすべての者たちを、其方に託す」
「……」
この国に生きる者たち。ルベリア王国は大国というほどではないが、それなりの領土を持つ。その全てを守れると断言できるほど、アルヴィスは自惚れてはいない。この場での言葉は代々受け継がれてきたもの。定型句だとわかっていても、その言葉が持つ意味はとてつもなく重い。ただでさえ重さを感じていた両肩が、さらなる重さを感じていた。
「この国を頼む、アルヴィスよ」
「……承知しました」
応じる言葉を告げ、アルヴィスは目を開けて顔を上げた。国王と視線が合う。すると国王は目元の皺を深くし、微笑んだ。そんな国王の隣に、アルヴィスをここまで先導していた大司教が立つ。その手には台座があり、台座の上にあるのは王冠だ。ルベリア王家の紋章が彫られたもの。国王はその台座から王冠を手に取る。アルヴィスはやや顔を下げて目を伏せる。
「この時、この瞬間より……お前はルベリアの王だ」
頭の上に王冠が乗せられたのがわかった。その重みを感じながら、アルヴィスはゆっくりと立ち上がる。国王がアルヴィスの前から避けた。遮るもののなくなった道。アルヴィスは足を動かし、王座へと近づくとマントを翻しながらその座に腰を下ろす。
その瞬間、国王……否、前国王であるギルベルトが右手を真横に払い、その場に膝を突いた。それに合わせるように、これまで微動だにしなかった参列者たちが一斉に膝を折り、頭を下げていく。洗練されたように合わせられた動作に、アルヴィスはこれまでにない緊張感を抱いた。その中において、一人の女性が立ち上がる。エリナだ。先ほどまでアルヴィスがいた場所に移動すると、その場で膝を折る。
「戴冠の儀、おめでとうございます、陛下。我ら、ルベリアの民一同、陛下に誠心誠意お仕えする所存でございます」
「ありがとう。皆、顔を上げてくれ」
アルヴィスの言葉に、参列者たち全員が顔を上げその場に立ち上がる。最前列には父であるラクウェル、エリナの父のナイレンの姿もあった。他にも見知った者たちの顔触れが並ぶが、誰もがその表情を変えることはない。
「私も、まだ未熟な部分があるが、皆の忠義に応えられるよう精進していくつもりだ。どうか、この先も皆の力を貸してほしい」
「「はっ」」
揃った返答を聞き、アルヴィスは笑みを浮かべると立ち上がり、王座の下にいるエリナの下へ近づくと、手を差し出す。エリナは頷きアルヴィスの手を取ると、そのまま王座の前に二人で並んで立ち、改めて全体を見回してから、顔だけをエリナへと向ける。
「これからも私と共にこの国を支えてくれ」
「もちろんでございます、陛下」