18話
いよいよ戴冠式が始まります!!
王都にある学園では先日に卒業式を迎えた。学園の卒業式は毎年賑やかなものだが、今年は王都に人が集まっているということもあり、例年以上に王都はにぎわっていた。建国祭は王都の一画の通りに店を構えることが許可されるが、今回も同じように店の出店許可が出ることとなり、建国祭と同等かそれ以上の人が王都に集まってきている。王都に集まってきたその多くの人々の目的、それはこの日にルベリア王国の王が代わる瞬間を目撃するためであった。
「これでひとまずはお仕度も終わりです。大聖堂へご挨拶に向かう際には、また着替えをしていただくことになりますが」
「わかった」
今アルヴィスがいるのは、王城内にある執務室だった。普段とは全く違う衣装に身を包み、正式行事でのみ羽織る派手に装飾が施された外套を纏っていた。こういう場合に纏う色は立太子の行事と同様、深紅を基調とし、その細かな刺繡には金糸を使っている。普段はただの白い手袋を身に着けていたアルヴィスだが、この時はその手袋にも刺繍がされ、手の甲に当たる位置にはルベリア王家の紋章が丁寧に縫われていた。
この衣装のままで無暗に動き回ることはできない。アルヴィスは椅子に腰かけながら、机の上に置かれている今日の予定を確認する。
まずは戴冠式だ。午前中の間に謁見の間で行われる。王族以外で参列するのは招待された来賓客と、ルベリア王国に存在するすべての貴族家の当主または当主代理とそのパートナー。王国内にある大規模な商会の経営者たち、大聖堂に所属する大司教、司祭である。
近衛隊が中心となって王城内を警護する。とはいえこれだけの大人数が王城内に出入りすることもあり、騎士団からも人員が派遣されていた。ここ数日、近衛隊士も騎士団員も多忙を極めている。尤も、それは騎士たちだけではないのだけれど。
そこへコンコンと扉がノックされた。
「アルヴィス様、宜しいでしょうか?」
「あぁ」
今はエドワルドが傍にいないため、アルヴィス自ら扉の向こうへ声を掛ける。静かに扉を開けて入ってきたのはエリナだった。共に来ていたサラは室内には入らずに扉の外で控えるつもりらしく、エリナだけが室内へと入ってきた。
「お待たせをいたしました。私の方も準備が終わりましたので」
「そうか」
エリナはアルヴィスの妃として隣に立つ。アルヴィスと同じく、赤を基調としたドレスに金糸の刺繍がされたものだ。元々の髪色が紅色ということもあり、エリナの色合いはアルヴィスよりも抑えめにしているということだった。
「どう、でしょうか? おかしくはありませんか?」
髪色と同色のドレスということで、エリナもあまり身に纏わない色なのだろう。いつになく自信なさげなエリナの様子を見て、アルヴィスは椅子から立ち上がるとエリナの傍まで近づいた。
「……良く似合っているよ。綺麗だ」
「ありがとう、ございます」
「こればかりは色を変えることはできないから気になるのかもしれないが、それでも十分似合っている」
髪型も整えられた後なので、不用意に触ると崩れかねない。だからアルヴィスはそっとエリナの右手を握り持ち上げ、その手の甲に口づけた。
「アルヴィス様」
「今日は気苦労を掛けるが、よろしく頼む」
「お任せください。アルヴィス様の妃として、精いっぱい努めさせていただきます。あの子に会えないのが少しだけ寂しくもありますけれど」
「そうだな。夜会さえ始まってしまえば、エリナは途中退出しても構わないから、それまでは義姉上にお任せしよう」
「はい」
謁見の間で戴冠式が終わった後は、立食形式のパーティーがある。妃としてエリナはこちらに参加するが、その間アルヴィスは大聖堂に赴くことになっている。女神へ即位の挨拶をするためだ。その後、夕刻前には王位を戴いた者として国民の前にエリナと共に顔見世を行わなければならない。終わった後は夜会が始まるといったスケジュールだ。合間に多少休息時間はあるものの準備時間も兼ねているため、のんびりできる時間は皆無だろう。
思えば、王太子となってから濃厚な日々を過ごしてきた。この一年は特に、そう感じさせてくれる出来事ばかりだった。エリナと婚姻を結んでから一年。それ以上の年月を過ごしてきたような錯覚さえしてしまうほどの時間を共に過ごした。重傷を負ったこと、エリナが誘拐されたこと、暗殺されかかったこともあった。言葉にしてしまうと簡単だが、己のことながらよくも無事でここまでこれたものだと思う。それもこれも、始まりはすべて女神の契約からだった。何かの所為にすることは簡単だ。だがそれでも逃れることなどできない。この道を進むと決めた。国を背負うのは己なのだと。女神の想いも、そしてこの先起こるであろう出来事にも目を背けはしない。この日は、その覚悟を改めて問われる日ともいえる。
アルヴィスはエリナから手を離し、その肩に手を置いた。雰囲気を察したのかエリナも顔を上げてアルヴィスと視線を交差させる。
「エリナ」
「はい」
「君にとっては今更かもしれない。だが、それでも今一度伝えておきたい」
エリナがどんな思いでアルヴィスの隣にいてくれるのか。それを疑うことなどない。王妃となるべくして教育を受けてきたエリナにとって、今更覚悟など問われても意味などないだろう。それでも伝えなければならない。アルヴィスはそう思った。
「この先も、たぶん君には心配をかけるだろうし、不安にさせてしまうことも多いだろう。まだ本当の意味でマラーナの件が終わりを迎えていない以上は」
「アルヴィス様それは――」
「君に負担を強いることも増えるかもしれない。本当ならば君の負担を和らげる人間が必要なのかもしれない。それでも、俺は君以外を俺の隣に迎えることはしたくないし、するつもりもない」
今の王妃に側妃がいるように、分かち合える人間を作ることはしない。アルヴィスにとって妃はエリナ一人だ。王となった後もあの一件が関わってきた場合には、この国を離れる可能性はゼロではない。その時、代理をエリナに任せることになるだろう。建国祭の時とは違う。第一子が男児だったことで、エリナの妃として最低限の務めは終えた。だがこの先もエリナには負担をかけてしまう。わかっていても、それを避けるための一番簡単な方法を取ることはできないと。改めてエリナに伝える。
するとエリナは笑みを浮かべながらアルヴィスの胸に顔を寄せ、その腕でアルヴィスを抱きしめた。
「ありがとうございます、アルヴィス様。私ならば大丈夫です。王妃となる道を示された時から、その覚悟は疾うにできております。それに……」
「それに?」
「あのままであれば、むしろ補佐以上のことをしなければならないという覚悟もしておりましたから」
「……否定できないな」
「アルヴィス様の助けになるというのであれば、どんなことであろうともお手伝いをいたします。今は楽をさせていただいているくらいです」
「通常の妃であればそういうもんだろうと思うんだが、確かにあのままであれば君の仕事は間違いなく増えていただろうな。容易に想像できる」
「ふふ、そうですね」
ジラルドよりもエリナは優秀だった。それは誰もが認めるところだ。ジラルドとてやればできないわけではなかったはずなのだが、如何せん本人に問題があった。学園の創立記念パーティーで問題を起こさなかった場合、きっとエリナにはたくさんの負担を強いていたことだろう。
顔を上げたエリナと視線が合う。微笑んでいるエリナにつられるようにアルヴィスも微笑んだ。そこへ扉を叩く音が届く。どうやらのんびりする時間は終わりを迎えたらしい。
「アルヴィス様、時間になりましたが」
「今行く」
エドワルドの声に応えてから、アルヴィスはエリナと距離を取る。そうして改めて右手を差し出した。
「それじゃあ行こうか、エリナ」
「はい、アルヴィス様」
重ねられた手を優しく握りしめ、アルヴィスはエリナと連れ立って部屋を出た。




