16話
翌朝、アルヴィスが目覚めると隣に寝ていたはずのエリナの姿がなかった。カーテンから差し込む光の角度から判断するに、寝坊をしてしまったらしい。朝の鍛錬の時間も疾うに過ぎている。
ベッドから起き上がり、カーテンを開ける。朝というよりも、昼近い時間になってしまったようだ。ここまで寝坊をしてしまうことなど随分と久しぶりだ。
とそこへ寝室の扉がノックされる音が届いた。カーテンを開けた音からアルヴィスが起きたことに気づいたのだろう。
「入っていい」
『失礼します』
寝室の扉を開けて入ってきたのはイースラとエドワルドだった。
「「おはようございます」」
「おはよう、エド、イースラも」
「妃殿下は、王子殿下とご一緒に庭にいらっしゃいます。あと、マグリア様方も既においでです」
「……そういえば、今日だったか」
「はい」
兄夫婦が息子であるリングを伴ってここへ訪れる日。それが今日だった。すっかり忘れていた。アルヴィスは右手で頭を抑えるようにして溜息を吐いた。
「昨日まで帰宅もままならなかったという旨をお伝えしましたら、マグリア様が寝かせておいてほしいと仰いましたので」
「兄上はともかくとして、義姉上には心配をかけてしまったな」
「そのようなことを仰って、マグリア様とて心配なさっておられましたよ」
そういいながらエドワルドがソファーに掛けてあった上着をアルヴィスへと羽織らせる。
「食事を先になさいますか?」
「いや、先に兄上たちに挨拶をしてくる。その後で軽いものをいただくよ」
「かしこまりました。では私はその旨、お伝えしてきます」
「あぁ」
イースラが頭を下げて寝室を出ていく。着替えを済ませたアルヴィスは、エドワルドと共にアルヴィスの自室へと移動すると、テーブルの上にはティーセットが用意されていた。イースラが出ていく前に準備していたのだろう。ソファーに腰を下ろし、紅茶を飲みながらエドワルドの報告に耳を傾ける。
「近衛隊の方には、朝方にお伝えしてあります。明日以降のミント様にも王城内に入った段階で、護衛には近衛隊を付けることになる旨、マグリア様にもお伝えしました」
「わかった」
ミントはアルヴィスの義姉。だがそれとは別に、次期ベルフィアス公爵夫人でもある。ましてやその息子も登城しているのだ。その安全は絶対に確保しなければならない。王城内はある程度安全が保障されているとはいえ物事に絶対はない。それゆえの護衛だった。
報告を聞き終え、アルヴィスはエリナらがいるという庭へと向かった。いつもアルヴィスとエリナが座っているテーブルとイス、そこにはマグリア一人が座っている。エリナとミントは、芝生の上にシートを敷き、その上に座っているようだ。エリナの腕の中にはルトヴィス、そしてそれをまじまじと見つめるルトヴィスよりは大きな子、リングの姿があった。
近づくと、女性陣よりも先にマグリアがアルヴィスに気づいた。立ち上がり、マグリアは頭を下げる。臣下としての礼ということだ。
「おはようございます、王太子殿下」
「……兄上、頭をあげてください。流石にここで兄上にそうされると、居心地悪いので」
「あはは、悪いな。だが宮とはいえ、ここは王城の一画。けじめはつけんとだめだろう」
頭を上げてマグリアが笑う。いつものように少しからかいを含んだような笑みで。
「おはようございます、兄上」
「おはようアルヴィス。随分とお疲れだったみたいだが」
「色々と立て込んでいたので……出迎えができずすみません、兄上」
「構わんさ」
ふっとマグリアの目元が緩み、穏やかな表情でアルヴィスを見ていた。どうしたのかとアルヴィスが首を傾げていると、マグリアの視線がエリナへ、そしてその腕の中のルトヴィスへと注がれる。
「お前にそっくりだな。王子殿下は」
「そう、でしょうか」
「あぁ。同じだ。俺はよく覚えている。お前が生まれた時のことを」
「兄上……?」
ルトヴィスを見ているようで、その実マグリアはルトヴィスを見て居なかった。その奥にあるアルヴィスの面影を懐かしく思っているらしい。当然、アルヴィスは自分が生まれた時のことなど覚えていないので、そのようなことを言われても困るだけなのだが。
「父上や母上に申し訳がないな。先に俺たちが会ってしまっては」
「それを言うなら、伯父上だってまだ見てませんよ」
「あはは、陛下も気になさっているんじゃないのか?」
「すべてが落ち着いたら、顔を見せに行くつもりです」
「今はそれどころではない、か。お前は」
「えぇ」
王城内は忙しなく人が動いている。そんな中に赤ん坊など連れて歩けるはずもない。だから落ち着いてからだ。王城内の人たちとて、早く誕生した王子の顔を見たいと思っている。会いたいのは国王だけではないのだから。
「戴冠式の時は、すみませんが義姉上をお借りします」
「わかっている。俺はまだ父上から爵位を継いだわけではないからな。そういう意味では、まだ助かった」
「そうですね」
戴冠式は次期であるマグリア自身も参加しなければならない行事だ。ミントも可能ならば参加するのが相応しいものの、今回はルトヴィスのことを頼むつもりだった。戴冠式ではアルヴィスが主役ではあるが、その妃であるエリナが欠席するわけにはいかない。戴冠式はもう目前だ。だからこそエリナに代わって傍にいてくれる人間が必要だった。それまでの間、少しでもルトヴィスもミントに慣れてくれればいい。
「兄上、よろしくお願いします」
「可愛い弟のためだ。俺もミントも、お前の力になれるなら喜んで力を貸すさ。リングにもいい刺激になるだろう。従弟になるのだからな」
「はい、そうですね」
リングとルトヴィスは従兄弟同士になる。そう、アルヴィスとジラルドの関係性と同じだ。そういえばとアルヴィスはジラルドのことを想い返した。
マラーナから帰国してから、彼が北の地に到着したのだという報告は受け取った。この地の塔に幽閉され、生きながらも死んだように在るよりはマシだろうが、きっと苦難の日々が待ち受けているはずだ。アルヴィスにはもうどうすることもできない。願わくば、どうか己の罪と向き合いつつ、それでも生きてもらいたい。ジラルドにとっては苦しい道となるだろうけれども。




