閑話 友人の小さな異変と
戴冠式が近づく中で届いた一報は、更に国内を騒ぎ立てる。王太子夫妻の第一子、それも王子が誕生した。第一報が届けられたのは昨夜。王城内にいる人間へは通達されており、近衛隊詰所でもちょっとした騒ぎになっていた。先輩隊士たちの様子をレックスは、どこか微笑まし気に眺める。
「本当に、ご無事にお生まれになってよかった」
「ついこの間まで、ここで一緒に剣を振ってたってのになぁ」
感慨深いと半分泣いているのは、レックスと同じく王太子専属の近衛隊士。マラーナ王国にも同行しており、暗殺未遂の事実を間近で見ているからこそだろう。あの時の切羽詰まった状況は、リュングベルでの危機以上だった。レックスでさえも、無事な姿を見るまで安心できなかったのだから。
近衛隊詰所から王太子の執務室へと戻ってきたレックスは、入る前に一度扉を軽く叩いた。だが中から返答はない。アルヴィスの今日の動きは頭に入っている。急な用件があることはあるため、もしや不在になってしまったのか。レックスは静かに扉を開けて中に入った。
「アルヴィス?」
中は静まり返っていた。執務机にアルヴィスの姿はない。とそこで、ソファーに横になっている姿が視界に入った。
「……アルヴィス、寝てるのか?」
よく見ればその足元に書類の束が落ちている。ということは当人は寝るつもりではなかったということだろう。読んでいるうちに眠ってしまったと。ここ最近は、執務室に詰めていることが多い。疲れも溜まっているはずだ。それでもこのようなところで寝るくらいなら仮眠室で眠った方がいい。レックスは落ちている書類の束をかき集めると、アルヴィスの肩を揺らし声を掛けた。
「おい、アルヴィス。起きろ」
何度か肩をゆさぶると、ようやくその水色の瞳が顔を出した。どこかぼんやりしているようにも見える。やはりかなり疲労は溜まっているのだろう。
「大丈夫か?」
「……レックス?」
ようやく意識がはっきりしてきたらしい。寝起きが悪いわけではないアルヴィスにしては珍しい光景だ。そうして仕事に戻ろうとしたアルヴィスに異変が起きた。突然、胸を抑えて苦しみだしたのだ。焦って特師医を呼ぼうとしたレックスを強く引き留めたのは当人であるアルヴィス。根負けしたのはレックスだ。
仮眠室へと運び、アルヴィスの背中をさするようにして撫でてやれば、やがて寝息が聞こえていた。仕事中に寝入ってしまう程疲れていたところに、突然の体調への異変。身体は休息を欲していたのだろう。
「ったくよ……妃殿下には心配かけたくねぇんだろうが、どうすっかな」
眠るアルヴィスを見ながら、先ほどのことも含めてどう報告すべきか悩む。アルヴィスは伝えてほしくないだろう。特にエリナには。だが王太子宮に伝えることはしなくとも、せめてルーク辺りには伝えておくべきかもしれない。とはいえ、レックスがここを離れるわけにはいかない。エドワルドは不在で、他の近衛隊士も席を外している。どうするべきか思案しているところへ、扉が開く音が届いた。レックスはアルヴィスに布団をかけてやると、仮眠室から出る。
「宰相閣下?」
そこにいたのは、この執務室での姿も見慣れてきたザクセン宰相だった。
「シーリング卿ですか。殿下は仮眠室に?」
「えぇまぁ。少し疲れているようでしたので、無理やり眠らせました」
「わかりました。それでは、これは明日に回しておきます」
「また何か追加でもありましたか?」
宰相がその手に持っているのは目録だ。アルヴィスにこのタイミングで届けられる目録であれば、戴冠式関連か、王子殿下誕生の祝い事のどちらかだ。
「はい、こちらは北方からの目録です。王子殿下誕生のものになります。ここまで多くのものが届けられるとは、流石に我々も想定外ではありましたが」
「……それだけ、貴族たちも王子誕生を望んでいたということですよね」
「えぇ。ましてや殿下の血を引く王子であれば、その期待も大きくなるのは道理。その表れなのでしょう」
宰相の言葉に、先ほどのアルヴィスとの会話が思い出された。アルヴィスは重圧をかけてほしくないと望んでいる。その懸念となっているのは、元王太子でもあったジラルドの件が関係しているのだろう。期待するなというのは無理がある。重圧を掛けられるのも仕方ない。厳しいことをいえば、それを受け止める器を持たなければならないのだ。尤も、アルヴィスの懸念は考えすぎだろうけれども。
「根を詰めていらっしゃるのはわかりますが、休養を取ることも大事でしょう。シーリング卿、明日といいましたが、この件は明後日に回します。殿下には、明日いっぱい静養するようにとお伝えください」
「いいんですか?」
「滞っているわけではありません。十分に殿下は対応してくださっていますし、遅れがあるわけではありません。ただ殿下の性格上の問題なのです」
「……それはなんとなくわかる気がしますが」
「ですから問題はありません。それでは」
明日一日程度休んだところで支障はない。宰相は用件だけ伝えると、退出していった。
「性格上の問題ね……大方、頑固で融通が利かないってところか。ほんと変わったように見えるけど、根本的にはあの頃から変わってねぇな、アルヴィス」
ともあれ、明日は休みになった。ならば各所に連絡をした方がいいだろう。レックスは外にいる騎士に伝言を届けてもらうことにした。ルークに伝えておけば、各所必要なところへ情報が伝わるだろう。レックスはここを離れるわけにはいかない。アルヴィスに伝えなければならないからだ。手紙を置いていくのも手だが、せっかくならば不満気な顔を拝んでから戻りたい。
再び仮眠室へと戻れば、アルヴィスはまだ眠っていた。その寝顔を見ていると、どこか不思議な気分になる。寝顔なんて何度も見ているこの友人が、数日後にはこの国の国王となるなんて。
「陛下、か……しばらくは呼び慣れねぇな」
殿下でさえ、数回しか呼んだことがない。陛下なんて呼べる自信がなかった。




