13話
王太子宮に戻ることが叶ったのは、その日の夕方。挨拶もそこそこに、エリナの部屋へ向かえば、その腕に子を抱いた状態のエリナが出迎えてくれた。
「お帰りなさいませ、アルヴィス様」
「ただいま、エリナ。昨夜はすまなかった、帰れなくて」
「いいえ、色々とやるべきことがあるのはわかっていますから」
「そうか」
言わずとも理解してくれる。何よりも頼もしいが、それでも寂しい思いをさせてしまったことを申し訳なく思う。その目元に浮かぶ寝不足の証。泣きじゃくる子と共にいれば、満足に眠ることも出来なくなる。
「どれだけ寝ていたんだ?」
「満足に眠ってくれることはありませんでした。今も、まだ起きてしまって――」
「子ではなく君のことだ、エリナ」
「わたくし、ですか?」
目を見開いて驚くエリナに、アルヴィスは苦笑する。無論、気にならないわけではない。それでも今のアルヴィスにとっては、エリナの方が優先だった。
「私はその、眠っているようないないような……つい、この子が可愛くて見ていたくなってしまうのです」
「それでも休める時に休まなければならないだろう。特師医から問題ないと聞いてはいるが……」
「はい……申し訳ありません」
「謝る必要はない」
エリナから子を渡されて、アルヴィスが抱きかかえる。昨日ほど泣いてはいないようだ。ふと、その小さな瞳から藍色が見えた。この子の瞳の色は、エリナの色を継いだらしい。思わず口元が綻んだ。
「アルヴィス様?」
「いや……エリナの色だなと思ったんだ」
「私のですか?」
「同じ色だ。目の色が、君と」
昨日は見ることは叶わなかったそれに、気づくことが出来た。金色に藍色の瞳。完全に一致ではないにしろ、アルヴィスもエリナも青系統の色だ。そうなるのも必然だったのかもしれない。
「今もまだ、実感が湧きませんけれど……でも嬉しいです」
「そうだな」
「あの……アルヴィス様には乳母のナリスがいましたけれど、その」
「……あぁ」
乳母というのは、貴族女性が子どもを産んだ時に、その代わりを担う女性のことだ。母親の代わりに母乳を飲ませることもあるので、必然的に乳飲み子を持つ母親が担うことが多い。
夫人にも役割があり、当然妃にも役割がある。その不在の間、代わりとなって傍にいてくれる女性を置く。最近では時と場合により、乳母を置かない貴族家も増えているが、それは第二夫人など同じように母となれる存在がいるからでもあった。しかし、エリナにはいない。妃としての公務も、体調が戻り次第こなさなければならなくなる。とすれば、その間に子どもの傍にいてくれる女性が必要だと。
「そういった相談は以前から来ていた。エリナの懐妊がわかった辺りから」
「そうだったのですね」
「身分ではなく、信頼がおけるかどうか。だが、俺は貴族夫人たちとの関わりはほとんどない。それに当主らならともかくとして、女性ともなると信頼できるか判断できない、というのが本音だ。だからすべて断らせてもらっている」
学園でも、騎士団に入る前のパーティーなどでも、女性に声を掛けれれば嫌な予感しかしなかった。大勢で話をするなら耐えられるが、個人的にとなると大体が付き合いのお誘いだったこともあり、いつの頃からか体裁を取り繕うこともなく断り続けてきた。故になるべくなら、貴族女性を王太子宮に入れたくない。それがアルヴィスの本音だ。エリナの友人ならともかく、それ以外の女性は拒否したい。
「悪い……エリナにとっては必要だとわかってはいるんだが」
「いいえ。なんとなく事情は理解できますし、私なら大丈夫です」
無理をさせてしまうとわかっているが、それでも関わりが薄い女性を招きたくはない。任せるのが第一王子というのもある。慎重になることは悪いことじゃない。と、そこでアルヴィスは先ほどまで確認していた祝いの手紙のことを思い出した。
「エリナ、一つだけ相談があるんだが」
「はい」
「今、兄上が王都に来ている。義姉上と一緒に」
兄夫婦が王都にいる。戴冠式に備えてということもあるし、もちろん生まれるだろう甥か姪を祝福するためということもあったはずだ。だが、兄夫妻ならばここに招いても信頼はできる。
「もしかして、ミント様を?」
「あぁ。リングと一緒に、にはなるが……従兄弟になる間柄だしな」
乳母という形でもいいとマグリアからは来ていた。そこまでを求めているわけではないが、それでもミントならばアルヴィスも問題ない。
「私ならば構いません。ミント様が宜しければ、ぜひ色々と教えていただきたいと思います」
「わかった。俺が手助けできればいいんだが……」
「戴冠式も控えていますから、仕方ありません」
「すまない」
エリナの許可が下りた。決まればすぐに動くだけだ。マグリアならば明日にでも来てくれるだろう。
「アルヴィス様はまた戻られるのですか?」
「あぁ。まだ片付いていないからな……たぶん今日も夜は帰ってこれないと思う」
「そう、ですか」
両手を組みながら、エリナの顔がうつむく。アルヴィスは腕に抱く我が子を見て、眠っていることを確認する。周りの侍女たちにも目配せをすれば、心得たと皆が部屋の外へと出ていく。それを見届けて、空いている手をエリナの顎に添えて上を向かせると、そのまま口づけた。深く口づけてから少しだけ離すと、エリナの頬は赤く染まっていた。何度もしているというのに、未だに赤くなるエリナにアルヴィスは笑う。
「笑わないでください……」
「悪いな。君はこの子が可愛いと言ってくれるが、俺にとっては君もだ」
「っ……アルーー」
呼ばれる前にもう一度唇を奪ってから、アルヴィスはエリナを解放する。そして腕に抱いていた子を渡した。
「そろそろ戻るよ。顔が見たかっただけだから」
「あ……アルヴィス様、この子の名前なのですが」
背を向けようとしたところで声を掛けられて、アルヴィスはエリナの方へと身体の向きを戻す。言われると分かっていたことだ。アルヴィスは考えるそぶりを見せてから、口を開いた。
「エリナは何かあるのか?」
「……アルヴィス様がお決めになったものがあれば、それが一番です」
「そういうと思ったが」
予想通りの答えだ。先ほどエドワルドと話をしていた。アルヴィスは祖父の願いをこめられ、この名前になった。名前は祈り、願い。それを込めるもの。もしアルヴィスがこの子に願いを込めるとしたらどうするのか。
「あまり大層な名前を付けられても、この子が困るかもしれない。俺と同じことを想うかもしれないが、それでも……俺はこの子には自分の決めた道を進んでもらいたい」
「アルヴィス様」
エリナはわかっているというように頷いてくれた。アルヴィスが思う、願う名前でいいのだと。アルヴィスが考えていた名前。それを口にした。
「ルト……ルトヴィス」
ルトヴィス、道を知る者。全く別の意味を持たせるのもいいと思った。これはアルヴィスの願いだ。知ることは無駄にはならない。知識は、それだけの選択肢を与えてくれるのだ。
「ルトヴィス……とてもいい名前だと思います! ありがとうございます、アルヴィス様。良かったですね、ルト」
嬉しそうに何度も名前を呼ぶエリナ。アルヴィスと似た響きから、古代語を連想させる人は少なくなるかもしれない。ただこれはアルヴィスが願うこと。周りの人が知る必要はないことだ。
「君が気に入ってくれたならよかった」
「はい!」
「それじゃあ、エリナもあまり無理はしないでくれ。ルト、君も」
アルヴィスはエリナとルトヴィス二人の頬に口づけを贈ってから、部屋を後にした。




