12話
王太子の第一子が誕生した。慌ただしく戴冠式の準備が進められる中で報じられた吉報に、王城内も沸き上がった。王子誕生の翌日、残念ながらアルヴィスは昨夜は宮に戻ることは叶わなかった。ここで朝を迎えて、そうして寄越された品々、手紙を確認する。まだ残っているたくさんのそれを目の前にして、ほんの少しだけ呆れてしまうのは仕方がないだろう。早い者は昨夜の内に届けられた。朝になると、それも増えてくるのは当然だ。
「王都内からの貴族らは、流石に反応が速いが……」
「そうですね」
アルヴィスの執務室に届けられた目録。春頃に誕生するというのは周知の事実だった。それに合わせて戴冠式が行われるということだったこともあり、既に祝うための品を用意していた貴族は多い。
ただでさえ戴冠式準備というイレギュラーが増えている状態。加えてこれにも時間を取られてしまい、結局アルヴィスは帰れなかった。一時間ほど仮眠は取ったが、それだけだ。
「ある程度絞り込んでいただければ、私たちの方で対処しますが」
「返事をしないわけにはいかないだろう? なら中身を見ないことには何とも言えない。エリナに見せる前に、ある程度の選別はしておきたい」
「それはそうでしょうが……」
「不用意なものはここに来る前に対処してあるだろ? それでこれなんだ。祝ってもらえることを有難くは思う。打算があったとしても、その気持ちを無下にはできんさ」
貴族たちも動き出している。今年も婚姻する貴族令嬢令息が増えることだろう。加えてしばらくは出生率も。これは王族、そして公爵家に子どもが生まれた時でも見られる傾向だった。側近、友人、婚約者。その相手となるために。そういったところで、女神の知るところでしかない以上、絶対ではないのだけれど。
「お名前は、どうなさるのですか?」
エドワルドの質問に、アルヴィスは目録を確認していた目を止め顔を上げる。エドワルドはどこか緊張した様子でアルヴィスを見ていた。
「……伯父上からは、俺に任せると言われている。おそらくエリナもそう考えているだろう」
「妃殿下ならば、確かにそうおっしゃるでしょうね」
アルヴィスが決めても良い。別に国王が決めると考えていたわけではない。ただ、念のため確認しただけだ。何故かそう思ったのか。理由は唯一つ。それは、アルヴィスの名前を決めたのが両親ではなく、祖父だったからである。
「俺の名付けをしたのは、先代……祖父だった」
「はい。それは私も知っております」
「だが今の状況で父上に、というのは違う。だから伯父上に聞いただけなんだが……やけに複雑な顔をされてしまった」
「そうなのですか?」
「あぁ」
実際にアルヴィスは祖父に会ったことはない。祖父もアルヴィスを見たことはないらしい。アルヴィスという名前、古代語においてヴィスは「知る者」を意味する。アルというのは「すべてを」。古代語を学ぶまでは何も考えなかった。それを知った後では、随分と大層なものをつけてくれたものだと呆れてしまった。だが、名前は個を現すもの。そこに付随する意味は、あくまで名づけ者の願いでしかない。体現する必要はないのだ。
「先代陛下は、アルヴィス様が生まれるのを殊の外喜んだらしいです。その後、直ぐに亡くなられてしまいましたので、私にもそれ以上のことはわかりませんが」
「俺は一度も祖父の話を聞いたことはない。誰も話したがらなかったからな」
触れてはいけないのだと子どもながらに感じていた。尋ねることもしなかった。ただ、名前についてだけは耳にしたのだ。ヴァレリアが生まれた時、純粋な子どもの疑問を妹のラナリスが投げかけた時に。
『ねぇ、ヴァルの名前はおとうさまがつけたのでしょう? じゃあラナは、だれがつけてくれたのですか?』
『奥様ですよ』
『マグおにいさまは?』
『旦那様でございます』
『それじゃあアルおにいさまは?』
『……』
その場にアルヴィスがいることに気づいた侍女。アルヴィスは別に気にしていたわけではない。ラナリスもただの好奇心で聞いただけだ。おそらく両親のどちらかだろうと。当然、アルヴィスもそう思っていた。だが、そこで聞かされたのは別の人だったのだ。
『アルヴィス様は、先代陛下からと聞いております』
『せん、だい?』
『お嬢様のおじい様に当たる方です』
『おじいさま……? どうしてアルおにいさまだけ? マグおにいさまはおとうさまなのに?』
『それは……』
言いにくそうにする侍女に割って入ったのはアルヴィスだった。ラナリスは納得しなかったが、別に誰が名付けであろうとも気にする必要はない。不満顔をしながら去っていくラナリス。引き下がってくれただけでよかったと、アルヴィスも去ろうとしたところで侍女がお礼を伝えてきた。
『ありがとうございます、アルヴィス様。その……』
『僕は気にしていない。だから君も気にしなくていい。ラナのあれも、たぶん明日になれば忘れているだろうから。それじゃあ』
何かを言いたげな侍女から離れた。それがアルヴィスが己の名付けをしたのが祖父だと知った出来事だ。あの時も別に大して気にしていたわけではない。両親から得るものについて諦めていたというのもあったかもしれないが。
「何故か、お聞きにならなくてもよろしいのですか?」
「何をだ?」
「アルヴィス様だけが先代陛下のご意思を――」
「祖父は血筋に重きを置く方だったんだろ? そこから導き出される答えは一つだ。俺が正妻の第一子だった。それだけだ」
マグリアに名を授けなかったのはそれだけだ。それ以上の意味などない。あったところで、今のアルヴィスには関係がないのだから。そう告げると、エドワルドが心なしか安堵したように見えた。この話題はベルフィアス公爵家の人間にとって、デリケートな話題だったのかもしれない。名前は、生まれて初めて渡される親からの贈り物とされている。それをアルヴィスは与えられなかったと。
「俺が生まれた頃は、今ほど貴族たちも風通しがよくなかったと聞いている。名前一つで別に何かを想うことなんてないさ」
「アルヴィス様」
「先代の、祖父の意志がどうであろうと俺は俺だ。その願いがどうであれ、今の俺は望んでこの地に立っている」
「はい、そうですね」
名前の意味を考えるのも、おそらく王侯貴族、それも一部だけのもの。平民は響きだけで決めることも多いし、貴族とて先祖から名前を貰うこともあれば、親と似ている響きからつなげることもある。古代語を学ぶのも一般的でない以上、気にする人間もそう多くはないのだ。
「ではアルヴィス様は、どういう名前がいいか既に考えているのですよね?」
「……さあな」
最終的にはエリナとの意見を交えて決めるつもりだ。先にエドワルドに告げるのは違うだろう。そのためには、まずは目の前のものを何とかしなければならない。
「しばらくは落ち着かなさそうだな」




