幕間 遠く離れた場所でも
幕間、ということで第五章はこれで終わりです。いつも読んでいただきありがとうございます!
次からは新章となります。引き続き、よろしくお願いします。
「陛下、件のものはいかがいたしましょうか?」
「そうですね……」
いつものようにシスレティアは二つの像の前に立ち、扇を手にしながらも思考に耽っていた。少し前に起きたマラーナでの出来事は、シスレティアにとっても無視することのできないものだ。ゆっくりと像の下へ近づき、その足元に手を添える。そこには長い亀裂が入っていた。遠目からでもわかる変化だ。
「妾は未来の世界のために動くべきだと思っていましたが、そうも言ってはいられませんね。これはもう、明確な異変であり、黙ってなどいられない事象です」
「はい……皆も不安に感じているようです。特に、その……レンティアース様は」
「うふふ、あの子は妾を超えるやもしれぬ力の持ち主ですからね。何かしら感じ取っているのかもしれません」
スーベニア聖国はその血筋によって王位を受け継いでいるのではない。先代の指名によるものだ。そして昨年、シスレティアは己の次代を定めた。ルベリア王国とザーナ帝国に現れた神との契約者。おそらくは聖国の王として、長年女神や大神たちに仕えてきた己よりも強い神の力を持つ者たち。その者たちと同格であるためには、この国にもシスレティアより強い王の存在が必要だと考えたからだ。
「マラーナ王国から逃げおおせたと言う者どもについては、そのまま処分をしましょう」
「……宜しいのでしょうか?」
「己の国を捨て、己のみ助かろうとした者どもです。如何に我が国が宗教国家であるとはいえ、マラーナ王国は国の存続さえも危うい状況にあるというのに、それを捨てた者たちに慈悲を与える必要があるのでしょうか?」
他国からその身の保護を求めてスーベニア聖国にやってくる人たちは少なくない。宗教国家として、女神と大神を信仰する信者であるというのならば、それを受け入れてきた。神を崇め、その身も心も神への祈りへ捧げるのであれば、どのような国からでも元がどのような身分であっても保護する。それがスーベニア聖国だ。だが、マラーナ王国からやってきた者たちにはそれが見られない。数日様子を見ていたが、神への祈りもただ言われるがままにやっているのみ。その心を捧げてはいない。黙って目を瞑り、手を捧げていればいいとでも考えているのだろう。
「元々マラーナ王国は、女神信仰も大神への信仰も薄い国です。教会の存在すら、少数の民たちが知るだけのもの。本当の意味で信仰心を持っているというわけではないでしょう」
「その通りです。かの者どもは、国の中枢に近い場所にいた者ども。力も、その存在さえも信じてなどおりません。信に値するものを見せぬ者たちに、妾たちが信を与える必要もありません」
「承知いたしました。では、そのように処理いたします」
「頼みましたよ、セラン」
「はっ」
深く頭を下げてこの部屋を去っていくセランを見送り、シスレティアは再び像へと向き直った。像に対する影響、それが起きた時分に何が起きていたのか。なんとなくわかっていた。
『マラーナ王国の宰相による、ルベリア王国王太子暗殺未遂』
報告の一文にあった文言。ルベリア王国の王太子アルヴィスは、女神ルシオラの加護を与えられた存在だ。一時でも、その力が失われる可能性があった。加護を持った人間が生死にかかわる事態に陥っただけだというのに、この像にヒビが入った。シスレティアはアルヴィスが死にかけた事実と、この像に起きたひび割れが連動しているものだと確信している。
「ですが、加護を得ただけのアルヴィス殿の事件が、なぜここにまで影響を与えるというのでしょうか」
死にかけただけとはいえ、ただの人間だ。この像が創られたかどうかは創世神話の中にさえ出てこない。シスレティアは己の勘によって、これが単なる像ではないと確信しているが、多くの者たちにとってはただの信仰する像でしかない。この像に意味があるなど知らない。ひび割れが酷くなったところで、劣化によるものだと考えるだろう。
加護を与えた。もしかすると、それだけではないのだろうか。シスレティアはただ神と契約しただけの存在だと考えていたのだが、それ以外にも何かしら意味が、理由があるのだろうか。女神ルシオラはルベリア創建にも関わったと言われている。王家にはその血筋が受け継がれているとも。だからアルヴィスが選ばれたのか。だとしても、この像とアルヴィスは無関係だ。
「いいえ、そうではないのかもしれません。そもそも妾の前提が間違っているとすれば、この像と女神ルシオラ様ではなく、アルヴィス殿も関わりがあるとすれば……」
数千年以上も前の話。あまりにも飛躍しすぎだろうか。シスレティアは首を横に振り、己の考えを消し去った。
「妾の考えすぎでしょう。そもそもこの像に、女神との所縁はなかったはずです。であればその血縁者に当たるアルヴィス殿と関連があるはずもないのです」
それでも疑念は残る。この像は一体何のために建てられたのか。そして今、どうして亀裂が入り、そのヒビが広がろうとしているのか。石づくりの像。何の表情も見受けられない、ただここにあるだけのモノだ。シスレティアは少しだけ下がり、像の上部にある顔を見つめた。人の形を模した像。まるで生きている人間をそのままにしたかのように精巧な作りをしている。
「っ⁉」
その顔を見ていると、シスレティアの全身にゾクリとした悪寒が走った。ほんの一瞬だけだ。気のせいなのだろうかと、もう一度目を閉じてから改めて見直す。だが、今度はそんな悪寒が走るようなことはなかった。
「……レンティアースにも意見を仰いでみた方がよさそうですね」




