閑話 再会の喜び
コミカライズ版第4巻発売中です!
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別れてから数年、十数年が経っている。まさかこんな風に再会できる日が来るとは夢にも思っていなかった。
ツェリーエ・フォン・リーベルとして生を受けた自分。物心付いた時には、貴族令嬢らしさというものが自分にとって不自由であることに気が付いていた。誰かにやってもらわなければ着替えが出来ないことも、食事が勝手に用意されていることも、何もかもが違うのだと頭の何かが伝えていた。
『ツェリ! 貴女はまた勝手に調理場に入ってたりして! 何を考えているのです』
『黙って待っているのなんて嫌だからやっているだけです。こうした方が早いし、待っているだけなんてつまらないから』
リーベル家の次女として生まれた自分。裁縫もできたし、料理だってできた。掃除だってできる。間違っていることは、それが親だとしても親族だとしても指摘した。黙ってなどいなかった。黙ることは、それを見逃すということ。見逃すことなど許せない。間違っていることは間違っているとはっきりと告げる。時には、それで誰かを傷つけることがあるのは知っている。わかっていても、幼い頃はそれを抑えることができなかった。
貴族令嬢であるのに、ツェリーエは王都の学園には進学しなかった。己が問題児であることは疾うの昔に自覚していた。ただ、周りに合わせなかった理由はただ一つ。己を偽りたくなかったからだ。
そうして両親の陰謀によって、貴族家の侍女見習いを転々と繰り返していた頃、リトアード公爵家へとたどり着いた。幼く我がままなお嬢様に、貴族意識が高い女主人。仕事が多忙で、さほど屋敷の中のことを問題視するわけでもなく、娘を溺愛する公爵。母親の目を気にして、妹に厳しい態度を取れない兄たちなど。まるで絵に描いたような貴族たちだった。
ただ違うこともあった。この時、ツェリーエは侍女としてある程度の仕事をこなせるようになってきた頃であっても、まだまだ未熟な使用人に過ぎなかった。けれどもこの屋敷の家令は、私の言葉にも耳を傾けてくれる。公爵も、一人の使用人であってもその言葉をぞんざいに扱うことはなかった。だからこそ、女主人の異質さが際立っていたともいえる。
幼い子が我がままなのは当然だ。だが、それが許される場合とそうではない場合がある。ツェリーエは誰が相手であろうとも、ダメなことははっきりと告げる。たとえ雇い主の娘であろうとも。何度も指摘してきた。貴族令嬢として身に着けることはまだ先だ。だがそれ以前の問題として、人としてやって良いことと悪いことを知らなければならない。両親が教えられないのならば、周囲の人間が教えるべきだ。猫可愛がるだけが、使用人の役目ではない。
それを続けていった結果、ツェリーエはリトアード公爵家から解雇を言い渡されてしまったのだけれど、その別れ際のお嬢様の顔だけは忘れることはなかった。最後に交わした約束と共に。
「本当に、立派になられましたね」
「……そういってもらえると私も嬉しいです。本当は心配をしていました。あれから、屋敷を出てしまってからどうしているのだろうと。サラから、ご実家には戻っていないと聞いていましたから」
サラとは、サラ・フォン・タナーのことだろう。ツェリーエがいたころには、まだまだお嬢様付きといえるほどではなく、ただ一人の侍女に過ぎなかった。行儀見習いも兼ねて公爵家に入ってきていた一人だ。サラも立派に成長し、王太子妃の専属侍女として今も傍にいるという。
ツェリーエも、おそらくサラも学園に通ってはいない。今は時代がそうなのか、貴族令嬢の次女であっても、貴族籍があれば王立学園に通うことが当たり前の風潮がある。貴族令息であれば半ば義務のようなものであるが、令嬢は義務というほどの強いことはなかった。ツェリーエは自ら学園は不要だと通わなかったし、今でも通う必要性を感じてはいない。面倒なことは苦手だったので、好きなことをやれる方がありがたいからだ。それは今も変わっていなかった。
「お嬢様のところを出てから、私は侍女という仕事を辞めたのです。実家からは幾度となく、抗議のような手紙やお節介なやり取りがありましたが、それも嫌になってしまいまして」
「え……?」
「しばらくは王都にいましたが、孤児たちの世話をしたりしていました。その中で、貴族籍も面倒になって離籍してしまいましたし、今は平民なのです」
自分の都合で貴族を捨てた。大層驚かれたが、ツェリーエからしてみればようやく身軽になったと感じたほどだ。あれから一度も両親とは顔を合わせていないし、話題を聞くこともない。向こうも清々していることだろう。
「姉とはたまに手紙のやり取りをすることはありますが、それだけですよ。こうして教会のシスターをすることになったのも、流れといいますかそんな感じです。でも、今はとても満足しています。この生活が私に合っている。そう心から思っていますから」
「そうなのですか。いえ、貴女はいつだって自分に正直でした。きっとそれが本音なのですね」
「はい。嘘は嫌いですからね。だから貴族社会なんて、私には到底合わないんです」
「うふふ、どこにいてもツェリらしいです。変わっていないことが、私も嬉しいです」
そう笑う目の前の成長したお嬢様。エリナ王太子妃殿下。平民となった身では、会話をすることはおろか、その姿を見ることだってないと思っていた。その相手が目の前にいる。微笑んでいる。令嬢らしく、ではなく一人前の淑女となって。穏やかな笑みを携えて、その雰囲気が幸せだと伝えてくるようだった。
尋ねる必要もない。今、王太子妃となったエリナは幸せなのだ。王太子と心を通わせて、今は第一子を身ごもっている。隣で神父と会話をしている王太子を、ツェリーエは盗み見た。
金色の髪は王族の証である。色素の薄いその色合いは、ツェリーエが知る国王よりも儚さを感じさせた。王太子が交代したことは当然知っている。それが、ここベルフィアス公爵家の次男であるということも。だがこうして顔を見るのは初めてだ。絵姿は何度か目にしたが、実物を見るのは初めて。確かに、騒ぐほどのものはあるかもしれない。ツェリーエからしてみれば、全く以て弱弱しく見える容姿が好みではない。剣を携えているところを見るに、彼は剣士でもあるのだろう。そういえば、近衛隊に所属していた経験を持つと聞いたこともあった。あれほどの細腕で、騎士になど、と思っていると、こちらへと視線を向けた王太子と視線が合ってしまった。
「ツェリーエ殿?」
「ツェリ?」
「あ、申し訳ありません。王太子殿下が剣を携えているのを見て、剣士なのだとはお見受けしたのですが、その細腕ではあまりお強そうには見えなかったものでつい不躾に観察をしてしまいました」
「ツェリーエ、お前はっ⁉」
思ったことをはっきりと告げる。それがツェリーエがツェリーエである所以だ。確かにこの言葉は王太子殿下に対して告げていい言葉ではない。けれども本心でそう思ってしまったのだから、仕方がない。さすがにまずいことを言ってしまった。そういう自覚はあったのだが、王太子は一瞬だけきょとんとした表情になったかと思うと、噴出したように笑いだした。
「アルヴィス様っ、あのツェリーエは――」
「あぁ、いやいい。なんだか久しぶりにそういうことを言われたから、懐かしかったんだ」
「懐かしい、ですか?」
「昔から言われていたことだからな。騎士団に入った時も、近衛隊に入った時も、常に俺は舐められていた」
ただでさえ公爵家の息子という肩書があったのに、その外見だ。弱いと見做されるのも当然だったと王太子は話す。ただ、その次には不敵な笑みを浮かべていた。
「そういう場合は、実際に剣を合わせた方が早い。黙らせてやれば、文句をいう奴らはいなくなるからな」
「その見かけで、意外と好戦的なのですね」
「俺は騎士だったからな。容姿で弱いと思われるのは、流石に俺も黙ってはいられない。好きでこんな体格じゃないんだ」
コンプレックスの一つを刺激されたから好戦的になったということらしい。なるほど、意外と王太子も負けず嫌いなところがあるようだ。
「ツェリ、アルヴィス様に失礼なことを言ってはだめですよ。アルヴィス様は王太子となってからも、毎日鍛錬は欠かしませんし、努力をなさっておられるのですから」
「……ふふふ、失礼しました。王太子妃殿下、以後気を付けますね」
言葉は丁寧だが、その言い草が少しだけ我がままだったエリナを彷彿させるようで、ツェリーエは笑いを抑えられなかった。
あの幼かった我がまま娘は、結婚をし、伴侶を得た。相手を思いやる心を得て、立派な女性へと成長した。それほど長い期間一緒だったわけではないのに、ツェリーエはそれが嬉しくてたまらなかった。




