閑話 主君の息子
エドワルドとの話にしようと思いましたが、それはまた後日。。
ベルフィアス公爵家の護衛官長。それがイーガンの役職だ。幼少期よりラクウェルに仕えてきた。そのラクウェルが臣籍降下する時、諸々のいざこざが煩わしくなり、すべてを放棄してでもラクウェルに仕えることを選んだ。今でも実家のハスワーク家はもとより、親戚であるギルスウィート伯爵家からも変人扱いされていることを知っている。ハスワーク家が貴族籍から抜けて四半世紀以上が経つ。すんなりと今の立場に落ち着くことが出来たのも、すべてギルスウィート伯爵家のおかげだ。尤も、ここにきてから連絡を取ることさえほとんどしていない。そのことについては未だにラクウェルを始めとして、周囲からは苦言を呈されている。
「ラクウェル様」
「イーガン?」
「アルヴィス様のことですが、本当に宜しいのですか?」
「何がだ?」
何か問題があるのかとラクウェルは首を傾げている。イーガンが懸念していたのは今回の浄化作業へ、王太子殿下が随行することだ。浄化作業について王太子が視察すること自体は、悪いことではないと思っている。ただ、それがベルフィアス公爵領側からでなければの話だ。難所とも呼ばれるガックル火山。ベルフィアス公爵領側から入った場所は、他の領地よりもその道が険しいことで有名だった。視察をするならば、ここからでなくともいいのではないかとイーガンは思っている。だが、ラクウェルは「そんなことか」と笑うだけだ。
「問題ないさ、あの子なら」
「ですが、如何に剣の心得があるとはいえ王太子殿下をお連れするには、あまり相応しい場所とは思えません。岸壁もありますし、野営もしなければなりません。特別な待遇などはできません」
「イーガン、お前はアルヴィスとあまり関わっては来なかったか……」
「……そうですね。マグリア様の方が知っていることは多いかもしれません」
そもそもイーガンはラクウェルに仕えるためにいるので、その息子たちに仕えるつもりはない。領主子息であるマグリアたちには、イーガンの息子たちが付く。なので大して気に留めていなかったというのが本音だ。ゆえに、アルヴィスについてイーガンが知っていることは多くなかった。イーガンの長男であるエドワルドが傍についていることくらいはわかっている。どうやらイースラも懐いているらしい。イーガンがラクウェルを主と定めたように、エドワルドたちもアルヴィスを主と定めたのならばそれでいい。それくらいにしか考えていなかった。
「イーガン、あの子は……アルヴィスは強い。騎士団に入った時は心配もしたが、それでもあの子は自分の力で近衛隊まで昇進した。ここだけの話だが、兄上が手を出そうとしていたらしい」
「王位継承権を持つのですから、それは当たり前ではありませんか? 騎士団といえば、外地に行くことも多いのです。それだけ危険を伴いますから」
「そんなことアルヴィスも分かっていた。だからこそ選んだともいえるのだろうけど、それを騎士団長や近衛隊長が押し返したらしい」
「……そのような不敬を」
騎士団長は貴族出身者ではあるが、近衛隊長が平民出身であることは誰もが知っている事実だった。その実力だけで近衛隊まで上り詰めた男。その経歴は異質だ。他国で傭兵をしていたこともあり、世界各地を回っていたらしい。頬の傷も相まって、貫禄があり貴族相手でも怯まずに堂々と立っている。そんな不思議な男だった。だが、国王が彼を信頼しているというのはイーガンも聞いている。だとしても、平民が国王に意見を言うなどということは、かつてのルベリアであればあり得ないことだった。
「ルークは真贋の持ち主だ。才能ではなく、経験から培ったもの。あいつの目は信頼できる。騎士団長は堅苦しいが、実力主義という点においてあの二人の考えは同じ。だからこそ、兄上のお膳立てを受け入れることはできなかった。そしてそれは、アルヴィスにとってもいいことだったんだろう」
「本当に、アルヴィス様は実力で近衛隊に入ったということですか?」
「今でもそれを不審に思う人間はいるだろう。アルヴィスだってそんなことわかっているさ。あいつの近衛隊所属の経歴が、国王の甥であるという身分で手に入れたものだと考えている連中が、まだ残っているということは」
現に、イーガンがそう思っている。ラクウェルの視線はそう言っていた。その通りだ。イーガンは噂でしか知らない。口には出さないが、それほどの力の持ち主には見えない。アルヴィスは細身であり、剣を振るうにしては体格に恵まれていないことは一目瞭然だ。同じような体格であるイーガンの息子エドワルドは、武芸に関して不得手としている。だからこそ、アルヴィスが剣に長けているとは思えないのだ。可能性があるとすれば、マナの力だろう。昔からアルヴィスがその手について、膨大な力を持っているというのは知っていた。だがそれはあくまでマナの力であり、純粋な剣術ではない。
「問題ない。護衛も必要最低限でいいと言っている。浄化の視察をするだけだ。それ以上の待遇なんて、あの子も求めていないさ」
「……わかりました。そこまでおっしゃるのであれば」
そもそもラクウェルが承諾したことに、イーガンが異を唱えることなどあってはならない。それでも口を出したのは、アルヴィスがただの王太子ではなくラクウェルの息子だからである。危険にさらすわけにはいかない。ラクウェルもそれはわかっているのか、イーガンを咎めることはなかった。
そうして迎えた視察。イーガンは、表向き表情は変わらないものの、内心では驚愕でいっぱいだった。近衛隊と共に魔物を討伐していく姿。どこか笑みを浮かべながらも舞うその剣技は、確かに洗練された実力の上に成り立っているものだと納得できた。ただ、どこかその力に恐怖を覚える。
「……どうだ、イーガン?」
「恐ろしいですね……あれほどのマナを扱いながら、綿密に制御されています」
「過去の出来事が有って以来、あの子はそれだけは必死だったからだ。相手を傷つけないように、自分の力で誰かを傷つけないように」
「……」
そう話すラクウェルの表情が陰る。同じような顔をイーガンは見たことがあった。あれは何年前だったか。雨が酷い日だった。屋敷からラクウェルは外を見ていただけだ。その先にあるのは別邸だった。だから第二夫人であるレオナに何かがあったのかとイーガンは思っていたのだが。
「あの魔物たちはアルヴィスに任せておけばいい。こっちはこっちで役目を果たすだけだ」
「はっ」
万が一、こちらに魔物が来るようであれば撃退しなければならない。気を引き締めながらイーガンは警戒を緩めずに注視していた。だが、結局魔物たちがこちらへ来ることはなく、アルヴィスたちだけですべて片付けてしまったのだ。
主の安全を守るのが護衛官の役目。今回、アルヴィスたちが同行していなければ、あの魔物たちはイーガンたちが始末しなければならなかった。あの戦いを目にして、それでもイーガンたちにも同じような戦いができるのだろうか。人数は倍だが、おそらくアルヴィスたちのようにはいかない。それでも、ここにそのような魔物が現れたのは現実としてある。イーガンは決意した。
「まだまだ護衛官たちを鍛えねばなりません」
「イーガン?」
「アルヴィス様方が帰還されるまでに、一度手ほどきをお願いしたいと思うのですが……宜しいでしょうか?」
「……君らしいな。だが、それはアルヴィスに聞くといい」
「はっ」
主君の息子、それも王太子に対して頼むことではないことだろう。そんなことはイーガンとてわかっている。だがそれでも、もしもこれがアルヴィスたちがいない時に起きてしまったら、そう考えると行動しないわけにはいかない。イーガンはベルフィアス公爵領を守るための、護衛官。その長なのだから。




