閑話 王女と公爵令嬢
キアラ視点、久々です。
アルヴィスがガックル火山へと向かう少し前、アルヴィスと共にベルフィアス公爵領へと来ていたキアラは、アルヴィスの末妹のミリアリアと共に公爵家の別邸にいた。
本来、第二王女という身分からも別邸に来るのは好ましいことではない。別邸の主でもあるレオナはキアラの訪問に難色を示していた。
『アルヴィスお兄様もリティーヌ姉様も、ここに来たことがあるって言ってました。だから私も、ここに来てみたかったんです。だめでしょうか』
アルヴィスだけならばいくらでも言い訳が出来たが、リティーヌの名前を出されてはどんな言い訳も効力を持たない。リティーヌはキアラの実姉。そのリティーヌの訪問を承諾し、キアラの訪問を拒否することなどできない。これには当事者の一人であるアルヴィスも申し訳なさそうな顔でレオナを見ていた。尤も、キアラはすべてわかっていて事を運んでいた。すべてはリティーヌの入れ知恵である。
そんな中、キアラの姿はミリアリアと共にサロンにあった。侍女たちは下がり、今はレオナが遠くで二人の様子を窺っているという状況だ。他愛ないおしゃべりをしていたが、キアラは突然真面目な顔をしてミリアリアを見る。
「ねぇミリアリア」
「何でしょう、キアラ様?」
「誰もいない時だけでもいいから、私のことはキアラって呼んでほしいの」
「それは……」
ミリアリアが視線をさ迷わせた。ミリアリアとキアラが初めて顔を合わせたのは、もう随分と昔のことだ。初めて会った時、ミリアリアは「キアラ」とそのまま呼び捨てで名前を呼んでくれた。だが、その次に会った時には既に「キアラ様」だった。当時のキアラは幼くて、その違いを気にすることはなかった。気にするようになったのは、近衛隊士だったアルヴィスがリティーヌのことを時折「リティ」と呼んでいるのを聞いた時だったと思う。
あの頃、普段は「王女殿下」と呼んでいたアルヴィスが呼ぶ「リティ」という愛称がとても特別に思えたのだ。反対にリティーヌはいつだってアルヴィスのことを「兄様」呼びだったけれど。
アルヴィスはキアラのことを「キアラ」と呼ぶ。今では誰の目を気にすることなく呼んでくれるようになった。それはとても嬉しいことだ。エリナは今でも「キアラ様」だけれど、公爵令嬢だったエリナにそれを求めるのは酷だとリティーヌから言われていた。ならばと、キアラはずっと思っていた。ミリアリアならばそれが許されるのではないかと。アルヴィスとリティーヌの兄姉のように。
そう期待を込めてミリアリアを見ていたのだが、ミリアリアは困ったように首を横に振った。
「ミリアリア?」
「申し訳ありません。私は確かにキアラ様とは従姉妹です。でも私にはできません……アルお兄様と私では違うから」
「でもミリアリアとアル兄様は実の兄妹で――」
「いいえ、ラナお姉様とアルお兄様。そして私とヴァルお兄様とでは違うんです」
「ミリアリア」
「だからごめんなさいっ」
勢いよく下げられた頭に、キアラは寂しさを感じてしまう。ラナリスとアルヴィス、ミリアリアとヴァレリアの違いは母親だ。そんなことはキアラにもわかっていること。それでも心のどこかで、そんなのは些細なことだと思っていた。確かに王城でも、キアラは後宮から出ることはあまりなく、食事だって母や姉とすることはあっても父とすることはない。異母兄とだって、数えるほどしか会ったことはなく、兄だという認識さえない。異母兄の母である王妃とは顔を合わせることがあるが。
「どうしても、だめ?」
「……はい」
「そっか。残念だけれど無理強いをすることはできないもんね」
ミリアリアが出来ないというのならば無理なのだ。命令などという形で叶えたいことでもない。キアラが引き下がるしかなかった。それでも寂しい。そんなキアラの心情を察したのか、遠くで様子を見ていたはずのレオナが近づいてくる。
「レオナ?」
「ご無礼を承知で申し上げます、王女殿下。願いをかなえること叶わず、申し訳ありません」
「いいえ、いいのよ。ミリアリアも嫌でそういっているんじゃないってことはわかっているのだから」
キアラが嫌いだからではない。ミリアリアが拒否したのはちゃんと理由がある。それくらいキアラにだって理解できた。
「アルヴィス様とリティーヌ王女殿下は、少々特殊な環境と事情があったがゆえなのです。あのお二方が親密になったことも、それを許していた周囲にも事情があっただけなのです」
「姉様とお兄様の事情……」
「既に過去のことゆえ、私が何かを申し上げることはできません。ですが、ミリアリアと王女殿下が親密だというには私の立場がそれを許さないのです」
レオナはミリアリアに代わって事情を説明しに来てくれたらしい。言われてみてキアラは思い出す。それはアルヴィスから前もって伝えられてたことだった。
第二夫人であるレオナは特別強く、己の立場を意識している人であると。ヴァレリアは男児であるからまだいいが、ミリアリアは令嬢。第二夫人の令嬢では、公爵家の人間であってもそれを驕りにするような令嬢にはあってはならない。そういう考えを持っていると。ゆえに、キアラと親密になることもその一つだと考えている可能性があり、あまり親しくならぬようにと言い含めていることも考えられる。アルヴィスはそう言っていた。
「本当にアルお兄様がおっしゃった通りだった」
「キアラ様?」
「王女殿下?」
二人の顔は同じように目を丸くして驚きの表情を見せていた。ミリアリアは髪色といい、アルヴィスと同じ色は持っている。だが、やはり母親似だ。
「レオナ夫人」
「は、はい」
キアラはあえて「夫人」という言い方をする。キアラとしても王女としても、キアラに喜ばれるようにと良い顔をする人間とは違う。母と少し同じ匂いがするこの人は信用できる人だ。キアラは確信した。
「私は王女でもあり、ミリアリアとは従姉妹よ。第二夫人の子だからと色眼鏡で見る人がいないとは言えない。けれど、私はそんなことは言わないわ。ミリアリアがお兄様の妹だからというのが理由の一つであることは否定しない。でも、やっぱり私はミリアリアとこれからもずっと一緒に過ごしてみたい。世間知らずな私だから、ミリアリアのような人が必要だと思うの。それにね……」
それだけ言い切ってキアラはミリアリアを見た。話をしていればわかる。ミリアリアは頭の良い人間だ。同じ年であるキアラよりも。令嬢としての作法はまだどんぐりの背比べのようなものだけれど、少なくとも世間を知っているという点においてはミリアリアの方が上である。
「ミリアリアは自分がどういう立場かなんてよく知っているでしょう? だってアルお兄様の妹だもの」
「王女殿下」
「私と友達になったからと言って、誰かに自慢したり驕ったりなんてしない」
キアラの言葉を聞いたミリアリアは、一瞬だけぽかんとしたような表情となった。だがすぐにそれは笑みに変わる。それは令嬢らしいというよりもよほど子どもらしい笑顔だった。
「……私の負けね、キアラ」
「ミリアリア!」
「ミリアリア、貴女っ……」
「母様、心配なさらないで。社交界デビューまでは秘密にしておきますから。それに、私がアルお兄様の足を引っ張るような真似、するわけがないでしょう?」
茶目っ気たっぷりに片目をつぶってミリアリアは言いきった。アルヴィスの足を引っ張らない。その言葉にキアラも笑う。そしてミリアリアに右手を差し出した。
「私もよ、ミリアリア」
「ミリーでいいわ。ね、キアラ」
笑いあう二人の横で、レオナは頭が痛いという風に頭を横に振っていた。




