閑話 もう一つの対面
今回はハスワーク家のお話。父と弟との対面となります。
アルヴィスたちがベルフィアス公爵領へと到着してから二日後、もう一つの対面が行われていた。
ここは領主屋敷の本邸と別邸の間にある護衛官らの訓練所。その1階にある最も大きな鍛錬場。そこの中央には二人の人間が対峙していた。一人はエドワルド。そしてもう一人はベルフィアス公爵家護衛官の長を務めるイーガン・ハスワーク、エドワルドの父である。
「……構えろ」
「はぁ」
模擬剣を持たされたエドワルドは大きくため息を吐いた。周囲には他の護衛隊の人たちが遠巻きに様子を見ている。ちらりと彼らの顔触れを確認する。エドワルドのことを知っている人間は、半々といったところだ。見知った顔の連中は同情するような目でエドワルドを見ていた。彼らは知っているのだ。エドワルドが武官に向いていないことも、戦闘が得意でないことも。一方でエドワルドを知らない人間は、護衛官長の息子というだけで期待をあらわにしている。この状況だ。ため息の一つや二つもつきたくなるだろう。
「父さん、俺と戦っても意味はありません。よくご存じでしょう」
「関係ない。今、お前が王太子殿下の傍にいるというならば、それに見合った実力が必要だ。それは変わらん」
傍にいるといっても、エドワルドはアルヴィスの護衛ではない。身を守るというのならば、逆にエドワルドの存在は邪魔なだけだ。といったところで、目の前の父が納得してくれるわけでもないことはわかっていた。仕方なくエドワルドは模擬剣を構える。
「脇が甘い。敵から目を逸らすな。腰を落とせ!」
「……」
もう何を言っても無駄だと、エドワルドはイーガンへと向かっていった。当然、簡単に振り払われるし、追撃をしたところで無駄なあがきだった。それでもイーガンは戦いをやめるつもりはなく、エドワルドは仕方なしに、手を休めずイーガンへと襲い掛かる。
「ぐっ」
思いっきり薙ぎ払われ、後方へ飛ばされた。かろうじてエドワルドは受け身を取ることはできたものの、背中には強い痛みを感じた。
「軟弱ものが」
「……申し訳ありません」
不平不満は言いたいけれど、エドワルドはただそれだけを口にした。今更イーガンからの期待など気にしていないし、エドワルドがすべきことは戦闘面を鍛えることではない。エドワルドが何よりも考えるべきことは、アルヴィスのことだけ。イーガンからの指示は一切必要ない。
ゆっくりと立ち上がると、イーガンは相変わらず眉を寄せて鋭い視線を向けている。髪色こそエドワルドと同じ黒だが、それ以外のパーツはどこも似ていない。こうして対面していても、第三者からは親子には見えないだろう。
「そんな体たらくで、よく従者が務まるな」
「俺に戦闘での強さは必要ありませんから」
「エドワルド」
「俺に必要なのはそういった強さではなく、動ける知識と人脈です」
イーガンとは違うのだとはっきり告げる。もともとエドワルドに武の才能がないことは、イーガンとてよく知っていることだ。昔は、それを嘆いたこともある。だが本当に昔のことだ。今のエドワルドに武の力は必要ない。そう断言できる。
「用件はそれだけですか? なら俺はこれで失礼します」
深々と頭を下げてからエドワルドは訓練場を後にした。出るまでの間、イーガンは何も言わずにじっとエドワルドを見ていたが、その視線には気づかぬふりをする。これ以上イーガンと話をすること自体が、エドワルドにとって苦痛だったから。
勝手知ったる訓練所内を歩いていると、エドワルドより頭一つ分以上高い青年が前を歩いてくる。黒髪に厳つい顔。先ほどまで対峙していたイーガンと酷似しているそれに、エドワルドは思わず苦笑する。相手もエドワルドだとわかると、その歩く足を速めてきた。
「兄さん!」
「久しぶりだな、ロベルト。随分と大きくなった」
その相手は、エドワルドの二つ年下の弟だった。エドワルドとは違い、顔も体格も父親に似ている。しかし、唯一似ていないのがその性格だ。先ほどまで厳つい顔をして歩いていたというのに、エドワルドを見るなりその表情が柔らかくなる。その様子を可愛いとは思うが、如何せんロベルトはエドワルドより身長が高い。そのままにしていると、エドワルドの方が年下に見えるほどだ。これを可愛いと言えば、大半から同意は得られないだろう。
「お久しぶりです。兄さんが王都へ行ってしまって、もう帰ってこないんじゃないかってルードと話をしていたんですよ。会えてよかったです」
ロベルトが言うルードというのは、末の弟の名前だ。エドワルドはロベルト以上に顔を合わせていないし、今回もまだ顔を見ていなかった。どうやら別動隊として領都の外に出ているらしい。
「本当は帰ってくるつもりもなかったんだけどな。アルヴィス様に会ってこいと言われてしまえば、俺に断ることなどできないんだ」
「アルヴィス様は、その……色々と有ったと聞きますが、大丈夫なんですよね?」
色々というのが何を指しているのか、心当たりがありすぎてエドワルドは苦笑する。立太子して以降、何かとアルヴィスの周囲は騒がしい。できれば穏やかに過ごしてもらいたいというのがエドワルドの本音ではあるが、自ら動かなければ気が済まない性分であるのがアルヴィスだ。まだしばらくは無理な話かもしれない。
「兄さん?」
「大丈夫だ。あの方のことは、何があっても俺たちが守る」
「さすが兄さんだ。そういうところ変わらないね。アルヴィス様第一主義なところ」
「当たり前だ」
呆れたように話すロベルトに、エドワルドは当然という風に言い返す。実際、ロベルトはエドワルドの弟ではあるが、共に過ごした記憶は多くない。なぜならエドワルドは幼き頃、アルヴィスの傍付きとなったころから家族よりもアルヴィスと共に過ごしてきたから。兄、とロベルトは呼んでくれる。だが、兄らしいことは何一つしていない。それは末の弟に対しても同じだ。
「ルードが聞いたら、たぶんいい顔はしないと思うけど、俺はそれが兄さんらしいと思うよ。主に忠実っていうか、父さんとそっくりだ」
「あの人に似ていると言われるのは心外だ」
「あはは」
確かにラクウェルを何よりも優先するイーガンと、アルヴィスを優先するエドワルドでは似通ったところはあるかもしれない。だが、それを認めるのはなんだか癪だった。
「そういえば、アルヴィス様から聞いたが、お前も浄化に同行するんだろ?」
「うん。ルードも一緒にいくって」
「……俺は行けないし、近衛隊もいるから大丈夫だとは思う。だが、何も起きないという保証はない。だから――」
「アルヴィス様を守ってほしいっていうんでしょ?」
「そうだ」
己の身は自分で守れる人だし、ロベルトよりもアルヴィスの方が強いだろう。けれども、絶対ということはない。用心するに越したことはないのだ。
「わかってるよ。父さんは旦那様を守るのが役目だ。だから俺とルードはアルヴィス様を守る。邪魔にならない程度に、だけど」
「それでいい。いいか、くれぐれも傷一つ負わせないようにしてくれ」
「……兄さん、傷一つって女性じゃないんだから」
「それでもだ」
「全くもう……わかったよ。頑張ってはみる」
「頼んだぞ」




