13話
近衛隊士たちは空気ですww
領都内を少し歩いた後で、アルヴィスはエリナを連れてとある場所へ来ていた。領都の端にある高い丘だ。今のエリナにとって坂を歩くのは無理をさせることになるため、アルヴィスは照れるエリナを両腕で抱きながら連れてきたのだ。ここに馬車で来ることは難しいが、アルヴィスはエリナをこの場所へ連れてきたかった。
丘の上には小さな小屋があるだけで、それ以外の建物はない。見渡す限りの草原が広がるこの場所は、領都を見下ろすことができる場所。領都の各所に見張り台はあるが、そこと同じくらいの高さがある。小屋は見張り台と同じ役割を果たすために作られた。ただ、よほどのことがない限りこの場所が使われることはない。それは見張り台からここが丸見えだからだろう。
腕にエリナを抱えたまま、アルヴィスは領都が見下ろせる位置へと立った。
「わぁ」
「この景色を君に見せたかった」
「綺麗ですね」
夕日も望めるこの場所だが、今は昼間だ。この時期にその時間に来るということになると、この高い丘の上は領都よりも気温が下がる。どれだけ着こんだとしても、身体を冷やしてしまう可能性がある。身体を冷やさないようにというのは、フォランからの注意事項として最も強く言われていることでもあった。だからこそまだ暖かい時間帯にここへ来たのだ。
アルヴィスはエリナを抱いたまま、器用に上着を脱いでシート替わりとする。そしてそこへエリナを下した。アルヴィスはその隣に座り、そのまま寝ころんだ。そうするとエリナと視線が合い、二人で笑いあった。
「懐かしいですね」
「……そうだな」
「覚えていましたか?」
「あぁ」
二人は、そのまま視線を領都がある方へと向ける。懐かしい。こうして二人で並んで草原にいる。それはまだエリナが学園を卒業する前に、二人で夕日を見た時のことだ。あの場所はアルヴィスにとって息抜きに何度も来ていた場所で、人目がなく素の自分でいられる秘密の場所のようなところだった。そこへエリナを連れて行った。
「それほど昔のことではないはずなのに、遠い昔のようにも感じます」
「色んなことが有りすぎたからだな。この一年は特にそんな気がする」
そう、有りすぎた。エリナと結婚してからも、落ち着く暇などほとんどなかった。シュリータのことも、マラーナのことも。そしてリリアンのことも。表向きは決着が付いている。だが、まだ終わりではない。特にマラーナで在ったことは心に留めておかなければならないことだ。それにエリナを巻き込むことはしたくない。だが、エリナがルベリア王家の人間となってしまった以上、いずれは知らせるべきことだ。
そう頭の中で考えていると、頭の上に手を置かれる感触があった。思わずアルヴィスは頭の上へと視線だけを動かす。予想通りではあるが、エリナがアルヴィスの頭を撫でていた。
「エリナ?」
「私にとってもたくさんのことがありました。でも、やっぱりこの一年はアルヴィス様のことを色々と知ることができました」
「情けない姿も見せたからな……」
今でもエリナの目の前で涙を見せてしまったことは情けない以外の何物でもない。あの日以来、涙を見せることなどほとんどなかった。エリナはあの件についてすべてを受け入れてくれた。そんなエリナの前だからこそ泣くことが出来た。
「私は嬉しかったですよ」
「俺は複雑だな」
エリナが喜んでくれるならばいいと思う一方で、やはり弱いところなど見せたくないと思う。なぜそんな姿をいいと思ってくれるのかはわからない。そんな話を他の誰かにしようものなら、大げさなほどに溜息を吐かれて呆れた顔をされるのが関の山だ。既に経験済みである。
「そういえばここはアルヴィス様もよくいらしていたのですか?」
「そうだな。ここに来ると、自分がちっぽけな人間でしかないと認識できる。愚かなことをした後も、ここに来るとそれを忘れない。ここから屋敷を見て、あいつらを守るのが俺の役割だって……そのために力を使うと、そうやって己を納得させていた」
「アルヴィス様」
「学園入学前もここに来た。もう二度と戻ってこないつもりだったからな……あの時も」
そういう決意で王都へと向かったのに、戻ってくることになった。この領地に足が向かなかったのは、あの時の決意が邪魔をしていたのかもしれない。今となってはそう思っている。覚悟していたからだ。これが最後だと。
「今はどう感じていますか?」
「懐かしい、だな。どれだけ覚悟をしていても、ここは俺の故郷だ。それに違いはない。悲しいことも多かったが、戻ってきてよかったと今は思っている」
良かった、というとエリナは嬉しそうに頷いた。そうしてアルヴィスの髪をいじりながらエリナはもう一度領都へと視線を向けていた。
「そういえば、エリナはリトアード公爵領へあまりいなかったと聞いているが」
「はい。私は幼い頃から王家に嫁ぐと言われていましたから……母からも領地に行って、思い出を作るよりも王都で王妃になるために学ぶべきだと言われまして」
正式に婚約者となる前から、エリナは王都の屋敷にいたのだという。兄たちが領地へ戻るときも、エリナは王都の屋敷に。両親や兄たち、家族が誰もいなくても常にその身は王都にあることが多かった。リュングベルにも数回程度でしか訪れたことがなく、エリナの思い出の多くは王都なのだと。
「そうか」
「誰も傍にいなくても、サラだけはずっと一緒でした。だから寂しかったわけではありません。でも、少しだけアルヴィス様が羨ましいとも思います」
「……」
王都以外にほとんど思い出がない。家族と過ごした思い出も王都の屋敷で、領地で過ごしたことは数える程度なので、領民と交流もしたことがなかった。
「王都も出歩くことはありませんでしたので、思い出と言われるとそう多くはありません。今となっては、もう少し王都も領地へも行ってみたかったと後悔しています」
「こう言ってはなんだが、リトアード公爵夫人の以前の様子だとエリナが何を言っても通してくれなかったかもしれない」
「はい。母は、今でこそ穏やかになりました。ですが私が婚約破棄をされる前は、決して許さなかったと思います」
「ライアットを巻き込めば抜け出すことは可能だったとしても、その後が怖いからな」
ライアットは見た目以上にエリナを大切に想っている。エリナが頼めば協力してくれたことだろう。だが、その後のしわ寄せが来るのはエリナ当人。そういった状況では手の出しようもない。
「その時の婚約者が俺ならどうにでもできたが、難しいところだ」
「最初からアルヴィス様が婚約者であったなら、私はきっと我がままなまま振り回していたかもしれませんよ?」
アルヴィスが最初から婚約者なら、エリナは筆頭公爵家の令嬢として王弟の次男相手といえども立場はエリナの方が上だっただろう。幼き頃は我がままだったというエリナだが、幼い頃の我がままなど可愛いものだ。それに王妃教育がなかったとしても、淑女教育の中で自然と治まったことだろう。振り回すと言いつつ、そんなエリナなど想像できない。アルヴィスは寝ころんだままエリナの長い髪の毛へと手を伸ばし、その毛先を指に纏わせる。
「エリナのわがままなら歓迎するよ」
「アルヴィス様なら本当に許して下さりそうで、甘やかされすぎて困ってしまいそうですね」
想像したらそれはそれで面白そうだった。アルヴィスとエリナは二人で声を出して笑う。そして自然とエリナが顔を近づけきた。アルヴィスはそのまま目を閉じ、落ちてくるその唇を受け入れた。




