閑話 妃と懐かしい出会いと
穏やかデート回です!今回はエリナ視点でお送りしますw
「アルヴィス様、あれは何でしょうか?」
「あぁ、あれは――」
この日、エリナはアルヴィスと共に徒歩で領都内を散策していた。領主であるラクウェルたちも領都を歩く場合は、徒歩か馬で出歩くことが多いという。馬車を使う場合は通れる道が定められているため、自由に散策することはできない。ゆえに、自由が利く徒歩が一番楽だという。
商店街と呼ばれる区画に出向いたエリナとアルヴィス。王都よりも人の出入りは少なく感じるものの、賑わいがないわけではなかった。アルヴィスの腕に己の手を添えながら、エリナはゆっくりと街を歩く。そこはかとなくたくさんの視線を感じるのは、隣にいるアルヴィスの所為だろう。建物の影や、店の窓からこちらを窺うような顔がいくつもあるのだ。当然アルヴィスも気が付いているはず。だが、アルヴィスは一瞥もくれない。その視線はエリナへと固定されていて、それが嬉しくもあり申し訳なくもある。
護衛は距離を取ってついてきている近衛隊と、ほかにも周囲にいるらしいがエリナから確認することはできない。それでも隣にアルヴィスがいるだけでエリナにとっては安心だった。ただのんびりと歩いているだけ。たったそれだけのことがこんなにも嬉しい。それがアルヴィスの故郷なのだから嬉しさはひとしおだ。
(ここがアルヴィス様が育った街……)
何気なく顔を向けた店先には、仲の良さそうな老夫婦がいた。こちらを見ながら話をしているようだったが、その二人の顔が穏やかでついついエリナの頬も緩んでしまう。すると、彼らとパチッと視線が合ってしまった。
「あ……」
「エリナ?」
思わず声が出てしまった。アルヴィスが訝し気にエリナの視線を辿り、エリナが見ていた老夫婦へとたどり着く。
「あの人たちは……」
「アルヴィス様? もしかしてお知り合いの方でしょうか?」
「いや……知り合いというかまぁ……」
「?」
歯切れが悪い様子のアルヴィスに、エリナは怪訝そうに首を傾げた。とても感じの良さそうな方々ではあるが、何かあるのだろうか。アルヴィスは困ったように笑いながら、エリナの腰を抱きつつ老夫婦の下へと足を向けた。
「お久しぶりです」
「あぁ久しぶりだねぇ。まさか坊ちゃんがこちらへ声をかけてくれるとは思わなかったよ」
「ワシらはたまたま姿を見かけただけで、もうそれだけで満足だったからのう」
領主子息であるアルヴィス相手に、まるで友人の孫にあったかのような話し方をする老夫婦にエリナは驚いた。だがアルヴィスは気にしていないように見える。一体どういう関係なのだろうか。
「その娘さんが坊ちゃんのお嫁さんかい?」
「はい。エリナ、といいます」
「エリナ・ルベリア・リトアードと申します。よろしくお願いします」
軽く腰を落としながら挨拶をする。そうすれば、老夫婦は顔を見合わせて笑った。
「かしこまる必要はないよ。私らは貴族でもなんでもない、ただの領民なんだから」
「ですが……」
ただの領民にしてはアルヴィスとの距離が近い。それは気のせいではないだろう。
「ワシらはついこの間隠居したが、街のはずれの方で酒場を開いておったんだ。その時、そこの坊ちゃんとは色々付き合いがあってのう」
「エドが学園に行っている間、俺もちょっと荒れてたというか……屋敷にいたくなかった時期があった時に、よく世話になったんだ」
「……そうだったんですか」
だから困ったような顔をしていたのだろう。エリナも具体的にではないにしても、アルヴィスが一時期そういう状態だったことがあるのは聞いている。アルヴィスからしてみれば、お世話になった人たちだけれど、同時にあの頃の自分を思い出させる相手だ。複雑な想いになるのも無理はない。
「本当ならわしらのような人間が坊ちゃん相手にこんな言い方はまずいのかもしれんが」
「構いません。俺も、お二人にはそのままでいてもらいたいので」
「坊ちゃんがそういうから甘えさせてもらっているんだよ。それにしても、噂には聞いていたけれど本当に結婚したんだねぇ……あの暴れん坊が王太子様になるってだけでも驚いたのに、こんな綺麗な娘さんを嫁にするなんて」
「アルヴィス様が暴れん坊、ですか?」
全くアルヴィスからは想像できない言葉が出てきて、思わずエリナは口に出してしまった。すると、お婆さんはエリナへと近づき楽しそうな笑みを浮かべて話し始めた。
「そうなんだよ。坊ちゃん、こんな可愛い顔をしながらね、酔っ払い客相手、しかも腕っぷしだけが自慢だったていう相手をあっさりと倒しちまうもんで。後から後からと相手が増えて酒場もめちゃくちゃになったことがあったんだよ」
「女将さんっ」
「可愛い子に油断したあいつらも悪いけど、のしちまう坊ちゃんも同類だ。まぁ相手が領主様のお子だと知らなかっただけ、連中は幸せだったなぁ」
絶句、するしかなかった。まさかあのアルヴィスがそんなことをしていたなんて、想像もつかない。ちらりとアルヴィスを見れば、心なしか顔色が悪いようにも見える。
「まぁまぁ、お嫁さんや。坊ちゃんはただ暴れただけじゃなくての、ただ酔っ払い客がほかの客に迷惑をかけたから、それを助けてくれただけなんじゃ。やりすぎだったとは思うがの」
「まぁそうだったんですか」
それはそれでアルヴィスらしいとは思う。もっと話をしていかないかと誘われたが、アルヴィスが居心地が悪そうにしていたので、申し訳ないとは思うけれど断った。お二人にお礼を言ってから、エリナたちはそこを離れた。
「エリナ、その」
「アルヴィス様、本当にやんちゃだったんですね」
「……否定は出来ないな。俺が一番荒れてた頃の話で……ちょっと八つ当たりみたいなことをした自覚もある」
「まぁ」
まだ本格的に剣を習っていたわけではなかったらしく、護身術として組手やらをしていた程度だったらしい。無傷ではなかったが、アルヴィス一人で簡単に倒せた。相手が酔っ払っていたのと、油断していたおかげだろうとアルヴィスは話す。
「夜中に屋敷を抜け出して、女将さんたちのところはよくいっていたんだ」
「アルヴィス様、もしかしてシュリータさんと出会った酒場というのは」
「いや、そこじゃない。シュリのいたところはもっと……なんというか危うい連中が集まっていた気がする。あの頃の俺も似たようなもんだけど」
「そんな危ないところに行っていたんですか?」
「女将さんたちは俺のことを知っていた。だから、誰も俺を知らない場所に行きたかったんだろう」
「アルヴィス様……」
アルヴィスの容姿は目立つ。それはここがベルフィアス公爵領だからではない。きっとどこにいっても、その容姿だけで高位貴族の人間だと、王家との繋がりがあるとわかる。それが嫌だったのかもしれない。昔のアルヴィスが何を感じて、どんな気持ちだったのかなどエリナにはわからない。気持ちがわかるなんて、安易な言葉で慰めることもできない。エリナができるのは、今のアルヴィスの傍にいることだけだ。エリナはアルヴィスの腕にぎゅっとしがみつく。周囲に人がいることなんて関係なかった。
「エリナ?」
「……」
呼びかけても何も言わないエリナに、アルヴィスはその額にキスを落としてくれた。