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閑話 ベルフィアス公爵家の侍女長


 アルヴィスとラクウェルが共に領都内視察へと出かけた後、侍女長であるスザンナ・ハスワークはサロンにてティーセットの準備をしていた。

 スザンナの目の前で和やかな雰囲気で会話をしているのはアルヴィスの奥方であるエリナ、ベルフィアス公爵夫人のオクヴィアスの二人だ。オクヴィアスはエリナにとっては義母である。この二人の会話には耳を傾けずにスザンナは作業を続けていると、己の名を呼ぶ声が届き現実へと戻されてしまった。


「スザンナ」

「何でございましょうか、奥様」


 音を立てないようにオクヴィアスの隣へと移動する。それだけで何をしたいのかを理解した。挨拶をする機会を設けてくれたのだと。


「エリナさん、改めてご紹介します。我がベルフィアス公爵家の侍女長のスザンナ・ハスワークです」


 深々とエリナへ向けて頭を下げる。すると、ハスワークという家名にエリナが反応を見せた。


「ハスワークというと、もしかしてハスワーク卿やイースラのお母様ですか?」

「えぇ。彼女はあの子たちの母なのです」


 スザンナの一番上の息子と娘の二人は、今もアルヴィスの下にいる。エリナと面識があって当然だ。スザンナはオクヴィアスの了承を得てから、改めて口を開いた。


「侍女長を任されておりますスザンナでございます。妃殿下に置かれましては、息子と娘が大変お世話になっております。ご挨拶が遅れてしまい申し訳ありません」

「いいえ、こちらこそとてもお世話になっています。ハスワーク卿には本当に助けていただくことも多いですし、イースラも頼りにさせていただいてます」


 胸に手を当てながらエリナは微笑んでいる。お世辞ではなく心からそう思っている。そんな風にスザンナは感じた。

 リトアード公爵家のご令嬢であったエリナは、貴族世界から遠ざかっているスザンナでさえ耳にしたことがある方だった。良い意味でも悪い意味でも注目されていたエリナが、この屋敷にいる誰もが想像しなかったベルフィアス公爵家の次男であるアルヴィスの相手になるとは、未来というのは往々にして予想外に進むものだと使用人たちの間でも噂をしていた。




 アルヴィスは傍目には手のかからない子どもだった。どれだけ両親が傍にいなくても使用人たちに当たったりすることもなかったし、幼いながらに笑みを絶やさない子どもだった。スザンナは物心ついてからアルヴィスが泣いている姿を見たことがない。両親の姿を見に来ることはあっても、自ら声をかけに行く姿も見たことがない。


『奥様、先ほどアルヴィス様があちらに』

『……そう。ねぇ、誰かアルの傍に行ってもらえる? 出来れば今すぐに』


 そうして頼まれた誰かが向かったとしても、それはアルヴィスが求めるものではなかった。そんなことオクヴィアスにもわかっていたことだろう。それでもアルヴィスを一人にしたくなかった。傍に行けない自分の代わりに誰でもいいから行ってほしい。そんな言葉を何度聞いたことだろう。

 兄であるマグリアよりも早く従者を決めたのは、そんなオクヴィアスらの親心だったのだろう。ずっと傍にいて、アルヴィスを安心させてやれる存在を。そんな大層な役割に選ばれたのがスザンナの上の息子だった。


『母さん、どうして俺が? 俺は父さんのように戦えないし、守ることとかできないよ?』

『戦わなくてもいいのです。エドワルド、貴方の役目はおそばにいること。あの方を決して一人にしないこと。武器を持つだけが守り方ではありません』

『けど……』

『貴方はこれより私たちよりもあの方を第一に考えなければなりません。私たちに何があっても、何が起きても、貴方が優先するのはアルヴィス様お一人です』


 まだ幼いと言えるエドワルドにとっては酷なことだったかもしれない。けれど、エドワルドは傍にいることを伝えた時から、忠実にそれを守っていった。それを見ていた護衛官長の夫曰く、エドワルドは自分によく似ているということらしいが、何が似ているのかは教えてくれなかった。


『エドワルド、学園に行くというのはどういうこと? 貴方がアルヴィス様の傍を離れることは許されないと言ったでしょう?』

『離れるつもりはありません。あの方を守るために、これからもずっと傍にいるためには俺自身にも力が必要だと、そう思ったからです』

『でも――』

『アルヴィス様は一貴族の次男では終わりません。この先、ベルフィアス公爵家と同じくらい力を持つことになるやもしれない。そんなとき、俺がただの従者では、ただ傍にいるだけでは助けることもできない。あの方の片腕になるくらいでなければ』


 既に根回しもすべて終えていたエドワルドは、貴族たちが通う学園へと入学していった。この時の判断が間違っていたのか、正しかったのかはわからない。エドワルドが不在の間、アルヴィスは傷つき倒れたことがある。今もなお、エドワルドの心の中に燻り続ける件ではあるが、エドワルドが学園に通っていなければ、少なくとも王太子殿下の側近は務まらなかったはずだ。


 一時は離れてしまいアルヴィスの精神的な状況や、将来について不安だった。エドワルドは離れている間、表面的には変わっていなかったけれども、どこか焦りがあったのだろう。早くアルヴィスの下へ戻りたいと言葉にはせずともそう思っていたに違いない。アルヴィスが立太子させられると聞いた時、スザンナはエドワルドの過去の言葉を思い出した。当時のエドワルドがそんなことを予想していたとは考えられない。けれど、アルヴィスが権力を持つ日が来ると精進を続けていたエドワルドに、スザンナをはじめとした家族は驚くよりも呆れたものだ。

 結局、エドワルドは初めにスザンナが言った通り、アルヴィスを何よりも第一に考えていた。傍にいて感じた力不足を嘆いて、学園にまで入学して力と知識を手にして。結果、今もエドワルドがアルヴィスの傍にいる。その周辺の人々もエドワルドを頼りにしている。それは何よりも誇らしいことだ。


「あの、スザンナさん?」

「申し訳ありません。少々昔のことを思い出しておりました。息子も娘も、妃殿下に頼りにしていただいて、勝手ながら成長を感じていたところでございます」

「そうはいっても、エドワルドは最初から優秀だったでしょう? イースラは私に怒鳴ったこともあるものね」

「その節は、生意気を申しまして……」


 笑いながら話すオクヴィアスだが、エリナはその内容に驚いている。イースラがオクヴィアスを怒鳴った。それは事実ではある。使用人の娘が、まだ侍女見習いに過ぎなかった子が主人に物申したのだ。オクヴィアスだからこそ許されたが、本当ならば解雇されても不思議ではなかった。


「イースラがそんなことをするなんて、信じられません」

「うふふ。あれは一生忘れないでしょう。イースラは本当にアルのことを大切にしてくれているって証だったのですから」

「アルヴィス様を、ですか?」

「イースラもエドワルドも、あの二人は我が家では特にアルの傍にいてくれた大切な子たちなのですよ。あの子たちがいてくれたからこそ、きっと今のアルがいる。私も、旦那様も感謝してもしきれません」


 遠い日を懐かしむように目を細めるオクヴィアス。あの日のことは、スザンナも忘れたことはない。イースラのことを叱ったものの、実際スザンナもイースラの行動を否やと咎めることはできなかった。それはスザンナだけではない。あの場にいた使用人たちの誰もがイースラと同じ気持ちだった。それでも言えなかったのは、オクヴィアスたちの事情もよくわかっていたから。それを言葉にしてしまったのは、幼さゆえに堪えられなかったイースラだけができたことだった。


「エリナさん」

「はい」

「ここは貴女が知らないアルヴィスやエドワルドたちのことを知っている人がたくさんいます。もし可能なら、どうか聞いてやってくださいね。貴女に聞いてほしい、知ってほしいと思っている人たちがたくさんいるのです」

「オクヴィアス様」

「それとお返しではありませんが、向こうでどんな様子だったのか……エドワルドもアルヴィスについてもお話してくれると嬉しいです。あの子たちは手紙もなければ、自分たちから話をしてくれることもありませんから」

「私でよければ是非」



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