3話
劇の内容は、特別な演目というわけではなく定期的に上演されているものだ。今回の演目名は、「薔薇姫と騎士」というもの。その名が示す通り、薔薇姫と呼ばれる少女と騎士との恋愛物語だ。客層を意識した演目なのだろう。客席の多くは女性客だ。加えて大衆的な読み物でもこういうストーリーが良く好まれているらしく、必然的に女性向けの演目が多くなる傾向にあるようだ。
演目の最中にエリナの様子を確認してみると、真剣に劇に魅入っているようだった。それだけ楽しんでいるという証拠だろう。アルヴィスにとってはあまり馴染みのないものだけれど、たまには何も考えずに観るというのもいいかもしれない。そう思いながら、アルヴィスはエリナから舞台へと視線を向けた。
決して短くない舞台が終わると、観客たちが退場していくのが見えた。アルヴィスたちが出るのは、落ち着いてからとなるため、まだ時間があった。
「楽しかったようで良かった」
「はい、とっても面白かったです! 女性の声がとても凛としていて、聴き惚れてしまいました」
舞台上に立ち演技をし、歌を歌う。その声は劇場内全体へと響き渡っていた。どこまでも届くような声には、観る者の意識を惹くような不思議な力を感じた。微力だかマナの力を声に乗せているのだろう。遠くに響き渡る様に、己の想いが届くようにと。それは主役の女性演者だけでなく、他の演者たちも同様だった。戦闘でもなく支援でもないマナの使い方。このような使い方をアルヴィスは考えたことがなかった。尤も、アルヴィスのようにマナが使われていることなど大半の観客が意識することはないだろうけれど。恐らくエリナも気づいてはいないはずだ。
「アルヴィス様はどうでしたか?」
「こういったものに触れる機会はあまりなかったが……面白かったよ」
エリナが求める感想は、演目の内容なのはわかっている。しかし、アルヴィスはその演じ方とマナの使い方に興味が行ってしまい、そちらに集中してしまっていたのだけれど。アルヴィスが面白かったというと、エリナは安堵したように微笑んだ。演目が女性向けだった所為だろう。アルヴィスが退屈だったのではないかと。アルヴィスからしてみれば、エリナが楽しんでくれたのならそれで充分だ。エリナが共にいるだけで十分だと同じように。
「可能なら、このまま散歩でもして帰りたいところなんだけどな」
「アルヴィス様ったら」
アルヴィスの言葉に、エリナもクスクスと笑う。流石にここから徒歩で帰るというのは、人通りがありすぎる。警備の上でも、周囲の目を引くという意味でも問題だ。そもそもの前提として予定にいれていない行動はするべきではない。
「殿下」
「わかっている。本気で言っているわけじゃないさ。本音ではあるけどな」
後ろに控えていたディンが思わずと言った風に口を出してきた。何を言わずとも言いたいことは伝わる。無理を言って都合をつけたのだから、これ以上近衛隊士たちに負担を強いることはしたくない。本音であっても実行するつもりはないのだから。
「そろそろいいか。じゃあエリナ、帰ろう。皆が待っている」
「はい、アルヴィス様」
完全に人がいなくなったわけではないけれど、それを待っていてはいつになるかわからない。演者たちや関係者はまだいるので、無人になることはないのだから。いつまでもアルヴィスたちがここに留まっては、彼らの心労にもよくないだろう。
立ち上がったアルヴィスが手を差しだすと、エリナはその上に己の手を重ねてくる。そのままエリナは立ちあがり、アルヴィスの腕に手を回した。
カーテンが開かれると、外に待機していたレックスがアルヴィスたちを先導する。アルヴィスたちの姿を認めた人々が声を上げるのがわかったが、アルヴィスもエリナも足を緩めることはない。出入り口は別であるので、彼らがアルヴィスたちの姿を見ることが出来るのはここだけだとわかっているから。
劇場を後にし、アルヴィスたちは王城内、王太子宮へと帰ってきた。夕食を摂り湯あみを済ませたアルヴィスは、寝室のソファーで手紙を読んでいた。そう、エリナと出かける前に受け取った父からの手紙だ。
「はぁ」
「どうかされましたか?」
アルヴィスが溜息を吐いた時、ちょうどエリナが寝室へとやってくる。タイミングが悪かったとしか言いようがない。アルヴィスは苦笑しながら、首を横に振った。
「大したことじゃないんだが、父から手紙で相談事があると言ってきて――」
「お義父様から、ですか? もしや、ベルフィアス公爵家の方々に何かあったのですか?」
アルヴィスが父から相談を受けるという事自体珍しい。エリナが何事かと慌てるのも当然だ。アルヴィスとて、同じようなことを思ったのだから。
「そういうわけじゃないから大丈夫だ。そうだな……エリナにも関係ないとは言い切れないか」
「アルヴィス様?」
「ベルフィアス公爵領がどこにあるのか、エリナは知っていると思うが」
「はい。王都より東側、火山の管理地の一つでもある場所。火山は、管理地の領主の方々が交代で見回っていますが、その一つがベルフィアス公爵家です」
ベルフィアス公爵家は、ルベリア王家の分家に位置する家だ。それは昔からであり、先代のベルフィアス公爵も王家に連なる人間だった。当時のベルフィアス公爵家には継ぐ人間がいなかったこともあり、そのままラクウェルが臣籍降下する際に受け継いだのだとアルヴィスは聞いている。その先代についても、アルヴィスは実際に会ったことはなく聞いた話しか知らない。
「あぁ、そして今年の持ち回りがベルフィアス公爵家なんだ」
「あの場所は危険なので、領主家といえども見回るのは困難だと聞いておりますが……まさかお義父様が出向かれるのですか?」
不安そうな顔でこちらを覗いてくるエリナ。安心させるように笑みを見せながら、アルヴィスはエリナの頭を撫でた。
「大丈夫だ。エドの父も一緒だし、何度も向かっている場所だからな。ただ、そこに今回はエドの弟たちを連れていく予定らしい。それはエドからも聞いてはいたんだが……」
「何か問題がおありになるのですか?」
「可能ならば、エドを一度戻してほしいと言ってきた。どうもエドの弟たちの間で色々と揉めているらしい。詳細はよくわからないが。そのついでと言っては何だが……一度顔を見せに来いって書いてある」
これが溜息の原因だった。エドワルドを実家に行かせるのは問題がない。ハスワーク家のことについてアルヴィスは無関係ではないし、エドワルドは長男なので積極的に関わるべき案件だ。それはいいのだけれど、あまり気は進まないというのが正直なところだ。
実は、ベルフィアス公爵領への視察は今年のアルヴィスの予定に含まれている。本来ならばもっと早く訪れているべき地であるのに今まで訪れていないのは、アルヴィスが避けたからに他ならない。西側については既に視察を終えているし、改めて領主たちとの顔合わせなども済んでいる。だからこそ、なるべく早めに視察を行えという父からの催促でもあった。王太子として、他の領地を特別扱いするわけにはいかない。遅くとも年が明ける前には向かわなければならないだろう。
「マラーナの件もあるし、日程についてまだ余裕はある。それでもいずれは行かなければならないだろうな」
「そう、ですか」
ベルフィアス公爵家で何かがあったわけではないと安心はしたものの、また王都から離れることになる。避けられないことがわかるからこそ、エリナは不満を言ったりはしない。アルヴィスはエリナの肩を抱き寄せる。
「直ぐじゃない。暫くはここにいる」
「はい」
抱き寄せる腕に力を込めれば、エリナもアルヴィスに体重を預けてくれる。リュングベルではエリナを同行させた。あの地は、エリナにとっても無関係の地ではなかったということもあり、例外と言えるだろう。今回はアルヴィスの生まれた領地。あまり思い入れのない土地であっても、故郷であることに違いはない。
「行けるなら同行させたいが……難しい、か」
あまりいい思い出がなくとも、領地の家人たちにエリナを紹介したい。幼い頃のアルヴィスを知る人たちに対しては、迷惑をかけた自覚があるからこそ伝えなければならないこともある。わかっているのに気が進まないのは、やはり過去の自分を知る者たちが沢山いるからだろう。
複雑な想いを抱えて迷うアルヴィスの腕の中で、エリナもじっと何かを考え込むようにどこかを見つめていた。




