2話
エリナとデート!です。
王太子宮へと戻ったアルヴィスは着替えを始めた。パーティーではないので、正装である必要はないし着飾る必要もない。ダーク系の衣装へと身を包んだアルヴィスは、イヤーカフを身に着けた。王都内の劇場なので帯剣はしない。
準備を終えた頃、タイミングよく扉がノックされる。
「入れ」
「失礼いたします」
訪ねてきたのは筆頭侍女であるティレアだ。室内に入り一礼すると、ティレアが何かを差し出してきた。手紙だ。
「これは?」
「アルヴィス様が留守中に、王女殿下がお持ちになられたものです。直接お渡ししたかったとのことですが、あまり執務室に入り浸りたくないと仰られて」
「余計な気遣い、とは言えないところだが……預かってくれて助かった」
「いえ。それと、エリナ様のご支度が終わりました。先にサロンでお待ちしているということです」
「わかった、ありがとう」
「では、失礼いたします」
再び頭を下げてからティレアが退室する。一人になった部屋で、アルヴィスは渡された手紙へと視線を落とした。出直すでもなくティレアに預けたという手紙。急ぎの用事か、それともそれなりに返答に時間を要するものか。アルヴィスは封を開けて、中身を確かめる。
「……なるほど、キュリアンヌ妃からということか」
リティーヌからの手紙というのは建前で、本当は側妃であるキュリアンヌからのものだった。王妃であるならともかくとして、キュリアンヌが直接アルヴィスへ手渡すことは好ましくない。下手にキュリアンヌと連絡を取り合っているということが知られて、再びリティーヌとの関係を邪推されるような真似は避けたかった。流石にキュリアンヌとの関係をそれ以上に結び付ける愚か者はいないだろう。
手紙に書かれていた内容は、キアラの今後についての相談だった。第二王女であるキアラは、後宮の中しかしらない深窓のお姫様だ。リティーヌは幼少期から、ベルフィアス公爵領へ出かけることがあったので、キアラほど箱入りではない。そもそもリティーヌが王城を離れていたのは、ジラルドが理由だった。しかしキアラにその制約はない。学園に入学させることも考えているという。その為には、外の世界に触れさせる機会を持たせたいと。つまりはそういうことだ。
国王にも相談を持ち掛けたらしいが、あまり良い返事はもらえていないらしい。国政はひとまず置いておいて、こと家族に対する判断について国王の意見をアルヴィスはあまり支持できない。ジラルドに対するもの然り、リティーヌに対するもの然り。だからキュリアンヌもアルヴィスを頼ったのだろう。もしくは、リティーヌから言われたのかもしれない。
「エリナにお願いした方が良さそうだな」
後宮関連は、いずれエリナが居を移す場所。そしてその管理もエリナが任される。男であるアルヴィスが動くよりも、よほど現実的だ。加えて下手な勘繰りをされることもない。後ほど話をすることにして、アルヴィスは部屋を出てサロンへと向かった。
エリナと合流したアルヴィスは、馬車で劇場へと向かう。正面とは別に、貴賓専用の入り口が設けられているのでそちらから劇場内へと入った。他の観客とすれ違うことなく、アルヴィスとエリナの二人は席へと案内される。
「王太子殿下、妃殿下、どうぞこちらへ」
「あぁ、ありがとう」
「ありがとうございます」
劇場の支配人が深々と頭を下げた。少し重たいカーテンを開ければ、そこには座り心地のよさそうな椅子とテーブルがある。エリナと共に座り、アルヴィスは目の前の景色を確認した。
ステージと花道などが一望できることに加えて、多少身を乗り出せば会場内全体を見渡すことも可能だ。高さがあるため、一般の観客からはここに誰がいるのか確認することはできない。王侯貴族が来ても騒ぎになることはないということだ。尤も、観客はともかくとして演者たちはそういうわけにもいかないだろう。既に王太子夫妻が来ることは通知されているのだから。
そんな風に考えながらアルヴィスは隣に座っているエリナの様子を窺った。エリナはというと、どこかわくわくしたような表情でステージを見つめている。
「楽しみか?」
「はい。王都とはいえ、私はあまりこういう場所に来ることはありませんでしたから」
「そう、だったな」
ジラルドがエリナと共に出かけたことはなかった。学園でも共に居ることはなく、外出する以前の問題だ。加えてエリナの性格上、友人たちを誘ってくることもなかったのかもしれない。王太子の婚約者というからには、外出にもそれなりの準備と人手が必要となる。そしてエリナに何かあれば友人たちをも巻き込んでしまう。そういう影響をすべて考えた上で、行動するに出来なかったということなのだろう。
実際、アルヴィスとエリナが劇場に向かうに当たって、周辺の警備は強化されている。劇場内にも近衛隊士が数人待機しているし、知る人が見れば違和感を抱くはずだ。無論、この場所も二人きりではなく、アルヴィスたちの後方にはフィラリータとディンが待機している。カーテンの外ではミューゼとレックスもいる。自分たちが何かする度に、多くの人が動くことになるのだ。それを知っているからこそ、エリナも何も言わない。アルヴィスとて、エリナがいなければ来ることなどなかった。それだけは断言できる。
「実は、リュングベルでも観劇に行ったのですけど、その時におば様とお話をしていたのです。いつかアルヴィス様と一緒に見に行きたいと」
「そうか」
「ですから、それが叶ってとても嬉しいです」
本当に嬉しそうにエリナが微笑む。王都内にある劇場だ。外出の手配は手間だし、多くの人を動かさなければならない。それでもエリナが喜んでくれるならば、それも悪くない。
「エリナが来たいというのなら、また機会を設けるさ。そう頻繁にというわけにはいかないが」
「ありがとうございます。そのお気持ちだけで十分です。それに……」
「それに?」
エリナは肘置きに置いていたアルヴィスの左手を取って、己の両手で包み込んだ。どうしたのかと、アルヴィスは怪訝そうに首を傾げてその動作を見つめる。
「こうして、アルヴィス様が隣にいてくださる。一緒に居る時間があるだけで、私は十分なのです」
「エリナ」
包まれていた左手を離すと、アルヴィスはエリナの肩を左手で抱き寄せた。するとエリナもアルヴィスの胸に頭を預けて来る。何かを言おうとして、だが結局アルヴィスは何も言えなかった。言葉では何とでも言える。そして言えば、エリナは大丈夫だと返してくるだろう。お互いにそれはわかっている。
そうしてステージが開始されるまでの間、アルヴィスとエリナは黙ったまま肩を寄せ合っていた。




