9話
ラナリスとのダンスの後、複数の貴族より娘のダンスの相手を頼まれたアルヴィスは、数人の相手を務めた後で一旦バルコニーに下がった。
「……ふぅ」
「あの……アルヴィス殿下」
「っ! ……あぁ、エリナ嬢ですか」
一瞬近づいてくる気配に警戒をしてしまい勢い良く振り返ったが、エリナの顔を見てその警戒心を解く。他の令嬢ならば解くわけにはいかないが、そういう意味でエリナは安全と言える令嬢だ。先ほどまではライアットと共にいたのを確認していたので、ここに来るとは思わなかった。
エリナは、アルヴィスを気遣うように微笑んでいる。
「ずっと踊っていらして、お疲れではございませんか?」
「これも役割ですから。エリナ嬢は、楽しんでいますか?」
「はい。友人とお話をしていました。兄が一緒でしたが……」
「それは……ライアットも妹想いなのですね」
貴族令嬢がこういったパーティーで、身内を伴うのは良くあることだ。一つは牽制、もう一つは見定めだ。ライアットの場合は、どちらかと言えば警戒のためかもしれない。エリナは、アルヴィスの婚約者で王太子妃となる人物。不用意に近づく人物を排除していることは容易に予想がつく。
「……アルヴィス殿下もそうですよね? ラナリス様とのダンス素敵でした」
「少し年が離れていますから、どうしても子ども扱いしてしまいます。ですが、兄としてその様な姿を見せられたのなら一安心です。今年学園に入学したので、エリナ嬢の後輩になりますね」
「はい。何度かお話をさせていただきました。とても兄君を尊敬していらして」
クスクスと話をするエリナは、今までで一番落ち着いているようだった。学園でのことをエリナから聞くのは初めてだ。だが、学園に戻ってからも有意義な学生生活を送られているのなら、問題はないだろう。あるとすれば、姿を消したリリアンが何を考えているのかだ。
「……?」
「アルヴィス殿下、どうかされましたか?」
「いえ……」
ふと、何かが光るのをアルヴィスは見た気がした。こういった時の勘は放置しない方がいい。アルヴィスは、側に控えているレックスに声をかけようと身体を向けたその時だった。
鋭い殺意を感じて、思わずエリナを庇うように抱き寄せる。
ズッ。
その瞬間、右腕を激しい痛みが襲った。
「っ……ぐ」
「え……な、何が……アル―――っ」
叫び声をあげようとしたエリナの口を、アルヴィスは咄嗟に己の口で塞ぐ。深く口付けられれば、エリナはすがり付くようにアルヴィスの服を掴んだ。息が苦しくなったところで、アルヴィスはエリナを解放する。そして、己の腕に刺さったものを確認した。
「……矢、か。どこから……」
「っ……そ、れ……」
「黙って……騒ぎに、するわけには……」
今日はアルヴィスの生誕パーティーだ。そんな日に王太子であるアルヴィスが襲われたなどと言うことになれば、祭事が台無しとなる。今ならまだ、アルヴィスとエリナが婚約者同士の逢瀬を交わしているというだけで済むのだ。エリナは顔面蒼白になりながらも、コクコクと頷いてくれた。
「……エリナ、嬢……申し訳ありませんが……少し、協力を頼みます」
「で、ですが……怪我を」
「手当ては、します……」
話をしているうちに、身体が痺れてきているのをアルヴィスは感じていた。早く、この場を去らなければいけない。出来るだけスマートに。面倒事が起きたと知られないために。顔を真っ青にしているエリナを気遣うほどの余裕はない。
持っていたハンカチを取りだし、アルヴィスは矢で射ぬかれた腕の上をきつく縛る。怪我など、騎士団に居たときは良くしていたので対処も出来る。傷付いていないマントで腕を隠せば、傍目には怪我をしたことは悟られない。
「っ……」
「で、んか……」
「エリナ嬢……出来るだけ、笑っていてもらえ、ますか?」
「っ……は、い」
「お願いします……ふぅ……行きます。私の腕を掴んでいてください」
無理を頼んでいることはわかっているが、誰も気付いていない今はこうするしかない。アルヴィスがエリナに口付けたことで、見ない振りをしたレックスらも、今にも駆け寄ってくるのを耐えているようだった。彼らの為にも、直ぐにここを離れる必要がある。表情に余裕を張り付けて足取りを普通に見えるように堪えながら、近くの侍女に言伝てを頼むと、エリナを伴ったままアルヴィスは会場の外へ出ていった。
アルヴィスが向かったのは、始まる前に待機していた部屋だ。ここには、ティレアらが待っている。後ろから、レックスが付いてきていた。それほど長くないはずの距離だが、遠く感じてしまう。漸くたどり着き、扉を開けた瞬間に、アルヴィスは崩れ落ちた。
「アルヴィスっ! ……っ、侍女たちは早くタオルとお湯をっ」
「「はいっ直ぐに」」
床に倒れる身体を抱き止めたのはレックスだ。そのままアルヴィスの膝裏に手を入れて抱き上げて、ソファの上に寝かせると上着を脱がせる。直ぐ側で、エリナが声にならない悲鳴を上げて涙ぐんでいたが、今はエリナに構う余裕がアルヴィスにもレックスにもなかった。
「……アルヴィス、これ破るからな」
「……あ、あぁ……」
矢が刺さっている部分の袖を、レックスは持っていたナイフで切り裂く。腕を貫通はしていないものの、深く刺さってしまっていた。
「騎士殿、タオルとお湯でございます!」
「助かる。アルヴィス、矢を抜く。堪えろよ……いくぜっ」
「ぐっ! ちっ……」
矢尻が中に入っているため、抜くときもかなりの激痛を伴う。しかし、放っておくことはできない。毒でも仕込んでいた場合は、取り返しのつかないことになる。レックスが矢尻を一度貫通させてから、その先を折って矢全体を抜き去ると、アルヴィスの腕からは大量の血が流れた。
そこへバタンと大きな音を立てて、ディンがやってきた。一人の老齢男性を引き連れてだ。
「レックス、殿下の様子はどうだ?」
「良くないですよ……矢は抜きました。これから止血しますが……? 特師医を呼んできたんですね」
「あぁ……フォラン師医、お願いします」
「うむ」
特師医とは、王国の中でも三人にしか与えられていない最高位の医者を示す。中でもこのフォラン医師は、王族の専属医でもあるが、学園でも教鞭を振るい後進の育成にも取り組んでいる医療の権威の一人である。
レックスの横に来るとフォランはアルヴィスの腕を手に取った。腕の状態を見て、フォランは険しい表情をする。
「アルヴィス殿下、聞こえますか?」
「っ……」
「……まだ、意識は辛うじてというところですか……よう頑張りましたな。今、取り除きます故……暫し我慢を」
負傷したのは右腕。止血のためにとアルヴィス自身がハンカチで縛った箇所の近くへとフォランが手を翳す。この場にいる全員が見守る中、フォランが集中しだすとアルヴィスが呻き声を漏らした。と同時に、翳した箇所から瘴気のようなものがあふれ出てきたのだ。
「……これでひとまずは安心ですじゃろ。止血をします」
手際よく血を洗い、ガーゼで覆うと包帯を巻く。真っ赤になった上着やタオルは、侍女らが片付けた。
「フォラン師医、先ほどのは……?」
「話をする前に殿下を休ませて差し上げた方がいいでしょうな。そこで詳しいことを」
「わかりました。侍女らも全員引き上げるように。殿下は私が運びます。……リトアード公爵令嬢、貴女は」
この場で処置は終わった。エリナは青白い顔で状況を見ていたが、この状態ではパーティーに戻ることなどできないだろう。アルヴィスは元より、エリナも。この場においてエリナへ進言することのできる人物は、アルヴィスのみ。近衛隊であるディンやレックスには、エリナに指示することはできない。
「殿下はもう大丈夫……なのですよね?」
「それはこれから詳しく聞きますが……」
「なら……わたくしも一緒に、行かせて下さい。お願いしますっ!」
エリナが頭を下げる。レックスとディンは顔を見合わせた。勝手な判断で公爵令嬢を連れまわすことは出来ないが、エリナも不安なのかもしれない。その場にいたのだから、無事を確認したいという想いもあるだろう。
暫し考えて、ディンはエリナを連れて行くことにした。この場に一人にするよりはいい。後程、事情をルークに説明する際にエリナの所在を加えればいいと。こうしてエリナも付き添うことになった。