13話
マラーナ編は少々重苦しい話が続きます。
もう少しだけおつきあいくださいませ!
「んで本題だが、俺に何が聞きたい?」
「……あの宰相のことだ」
「ったく神妙な顔をして何かと思えば、ありきたりなことを聞くじゃねぇか。そんなことこの国の大抵の奴らが知っていることだ。平民出身で兵役を経て軍に入った。功績を上げて王城へ上がり、その後は権力主義だった貴族連中を押しのけて宰相の地位まで上り詰めた。そうだろ?」
概ね事前にルークから聞いていた内容と同じだ。ただシザーズから聞く言葉は、より現実味がある。
「そんなことは知っている。だが、そういうことじゃない。その前、あの宰相に何があったのか。何か知らないか?」
「その前? ……まぁネタはないことはない。でもここじゃ珍しいことじゃない話だぜ?」
「それでもいい」
「……そうかよ」
シザーズは顔を俯かせながら深く溜息を吐いた。何も言わずにただテーブルの一点のみを見つめている。ブラウは急かすこともなくただ黙っているだけだ。アルヴィスとグレイズも、その様子を見守るのみ。
ようやく顔を上げたシザーズは、先程とは違って痛みを抱えているようにその表情を陰らせていた。もしかすると、彼はセリアン宰相と関わっていたことがあるのかもしれない。それも宰相となる以前、否もっと昔からの。
「旦那、俺にも矜持ってもんがあるんだ。何でもかんでも話すことは出来ねぇ。特に貴族の坊ちゃんたちにはな」
「まぁ言いたいことはわかるさ。この国の貴族は常に保身と、権力しか考えていない。どいつもこいつも腐ってる」
「典型的な形で旦那はクビになったもんな。王族なんてのはその最たる存在だろ。王女の件も国王の死も、身から出た錆。当然の結果としか思わねぇ。悲しむどころか喜ばしいもんさ」
「ま、だろうな」
「国葬だのなんだのと、勝手に始めたくせに外出禁止と触れ回ったものの、守っている連中なんて皆無だ。誰も彼もが勝手に生きている。今更セリアン宰相が何かをしようとしたところで興味がない連中ばかりだろうぜ」
信用も信頼も何もかもがない。国の治世を動かしている宰相の言葉でさえ、民を動かす力がない。国としての形はあるものの、それは既に国家という形を失っているも同義だった。
「ならばどうしてなのでしょう。貴方たちはこの国に留まっている。それはこの国で生きることを選んだからなのではありませんか?」
「おい、レイ⁉」
「個人よりも国家という枠組みの中にいることを選んだ。それはこの国に何かしらの意味を見出しているからでは?」
沈黙するという約束を破り、グレイズが疑問を発する。彼から何かを言われるとは思わなかったのか、シザーズも一瞬驚いたように目を見開いた。だが、直ぐに嘲笑う。
「何を言い出すかと思えば……それはあんたが温室育ちだからだ」
「どういう意味でしょうか?」
「選んだわけじゃねぇ。ここから出ることが出来ねぇからいるだけってことさ」
マラーナ国は今でも奴隷制度が続いていた時代の考え方が根強い。それゆえか、内部の人間の出入りについてはかなり厳しく管理されていた。今でもそれは変わらず、国を出る場合は特別な許可が必要だ。それ以外となると、多少の危険を伴う形で国境を管理する人間と取引をするほかない。ブラウの家族たちのように。
「それではブラウ殿は」
「そうさ。汚いと言われようが構わねぇ。二度と会えないことは覚悟の上だ。それでも……この国にいるよりはいい」
「旦那がそれを選べたのは、近衛騎士団長という肩書と縁があったからだ。じゃなきゃ無理だったろうな」
「あぁ。結局俺も力を使った。そういう点では俺も貴族連中と大差ないのかもしれねぇが……それでも……」
そこまで話すと、ブラウは拳を握りしめて俯いてしまった。逃がした家族のことを思い出したのだろうか。近衛騎士団長という地位を使って自分の家族だけを逃がしたということは、同じような境遇の人たちからすれば裏切りにも近いだろう。だからこそ彼は一人残ったのかもしれない。元部下たちと共に。
「もう終わったことだし、旦那の家族とて無事にいるかはわからねぇさ。それに他人よりも己を優先することなんて当然のことだ。旦那は使えるものを使っただけ。今更蒸し返す必要もない」
「……わかっている。悪かった」
「ここは懺悔室じゃねぇからな。そういうことは余所で旦那の部下相手にでもやってくれや」
「そうするさ」
顔を上げたブラウはどこか寂し気に見えた。何かを守りたいと願うことは誰にでもあるものだろう。そんな些細なことさえ、この国では許されない。隣国だというのに、ルベリアとは違い過ぎる。一体どうしてここまでの差が出てしまったのだろうか。創世記でも特別な違いはなかったはず、と考えてふと思い当たる。マラーナには、創世記に出て来る女神たちが恩恵を与えたという記述を見たことがないことに。聖堂はあるが、女神像のような信仰像はない。信仰心が薄れていったためになくなったのだろうか。それともマラーナにはそもそも、そういう存在がいないのだろうか。
『どうして……父様を――』
「っ⁉」
刹那、アルヴィスの脳裏に金色の髪の青年が浮かんだ。表情は見えなかったが、口元が怪し気に弧を描いていた気がする。墓所に行く前に向かった大聖堂の書庫で、似たような光景を視ていた。
「……」
「どうかされましたか?」
窺うように声を抑えながらグレイズがこちらを見ている。ブラウたちはアルヴィスの様子には気が付いていないらしい。そのことに安堵しながら、アルヴィスはグレイズと頷き返す。
「大丈夫です」
「気分が悪いのでしたら無理をなさらないようにしてください。まだ目が覚めてからそれほど経っていないのですから」
「えぇ、わかっています」
大丈夫だと返しながらも、アルヴィスは別のことを考えていた。先ほどの青年の顔がどこか湖に落とされる前の宰相と重なるのだ。セリアン宰相とは体格も声も顔も全く違うというのに。
「……グレイズ殿」
「?」
「急ぎ、テルミナ嬢と接触した方が良さそうです」
「……理由をお聞きしても?」
「今は、ただそんな気がする、としか言えません」
アルヴィスが知っていることをすべて話すだけの時間はないし、アルヴィス自身どう説明してよいのかまだわからない。これではグレイズも納得できないだろう。わかっていても、これ以上のことをここでは言えないのだ。それでもこの場に、近くにテルミナという契約者がいる。彼女に会わなければならない。何かがそう伝えていた。
「わかりました」
「え?」
「抜け道の一つや二つはあるはずですから、そこまではブラウ殿にも協力を願いましょう。宰相殿については、シザーズ殿が何か知っているようですしこのままご同行していただくということで」
「私が言うのもなんですが、それでいいのですか?」
「……テルミナも言っていました。急に何かが入り込んでくるような感覚があるのだと。それはきっと、貴方方にしかわからないものなのでしょう。そしてこの場合、何よりも優先すべき感覚です。違いますか?」
何よりも優先すべき感覚。この先セリアン宰相の情報は必須だ。だが時間を悠長に使うことも出来ない。グレイズの言う通りだった。
「ですが、彼をどうやって――」
「私に少々考えがあります。お任せください」
にっこりと笑みを浮かべたグレイズ。無意識にアルヴィスは一歩後ろに下がった。何故だろうか。この時のグレイズは、実験物を差し出すリヒトによく似ていた。




