閑話 己に出来ること
視点が頻繁に代わってすみません。
今回はリヒト側の視点になります。
★明日、【第6巻】が発売となります!
お手に取っていただけたら嬉しいです。
web版との違いを楽しみながら読んでみてくださいね。
「くそっ」
リヒトは壁へ拳を叩きつける。昨日の国葬が終わってから戻らない友人。そのことについてマラーナ側に尋ねても、明確な答えが返ってこない。どうしようもない苛立ちと、何も出来ない己に対しての怒りが収まらなかった。
「約束したってのに」
力になるという事も当然だが、リティーヌとも約束をした。アルヴィスと無事に帰ってくると。もし怪我を負っていたのならば、と思えば自然と手に力が入ってしまう。何も出来ない状況がもどかしい。せめて目の前にいるのであればどうとでも取り繕えた。だが、今アルヴィスはこの場にいない。
『感情のままに動くこと、それはお前に許されている権利でもあるだろう?』
ふともう一人の冷静過ぎる友人の言葉が過った。感情を表に出すことがないことに苛立ちを感じた頃に返された言葉だ。その友人シオディランは、侯爵家の次期当主。アルヴィスとは違うが、彼もまた様々な柵の中で生きている。シオディランはリヒトを羨ましいと言ったことはない。アルヴィスもだ。そしてリヒトも彼らを羨ましいとは思わない。彼らは彼らの、リヒトはリヒトの道を歩んでいる。ただそれだけのことだから。
リヒトがどう動くべきなのか。否、どう動けるのかと言った方がいいだろう。部屋の外には侍女が控えている。ここまできたルベリアの近衛隊士たちは別室だが、勝手に動くような真似はしないだろう。ここは他国なのだから。
(自由に動けるのは俺だけか……けど一応俺はアルヴィスの傍にいる人物という認識をされているだろうからな)
そういう認識をされていなければ、自由に動き回れた。かといって既に閉ざされた道の先を想像するのは、時間の無駄だ。であれば他の方法を考えるしかない。
「足りないのは情報だよな……あの侍女さんたちは口を割らないだろうし、ならここから出ないとどうにもできない」
リヒトが独り言を言っている間、ディンとレックスは難しい顔をして黙ったままだった。リヒトはもちろん、二人も一睡もしていない。いや、出来る訳がない。リヒトは溜息を吐きながら、窓から外を見る。既に陽は高く昇ってしまった。今、アルヴィスはどこにいて何をしているのか。一瞬だけ過る最悪な結果を振り払うように、リヒトは勢いよく頭を振った。
「ディンさん……」
「……何だ?」
漸くレックスが口を開く。強張った声に反応したのは、数時間ぶりに声を発したディン。腕を組みながら何かを考えている風だった彼は、アルヴィスが不在の中で唯一指示を出せる人だ。
「これから、どうしますか? いえどう動けばいいですか?」
「シーリング」
「ここまで待って何ももたらされないということは、マラーナ側が意図的に隠しているとしか考えられません。拘束しているのか、考えたくはありませんが戻れない状態にさせられているかどちらかでしょう」
本来なら予定通りに戻らなかった時点で、何かあったとすれば状況を報告するのが常識だ。ここへアルヴィスは国賓として来ており、その身に大事があればマラーナ側は責任を問われる。確かアルヴィスはここに来る前にそう言っていた。だからこそ、表立ってアルヴィスらを害することはないのだと。逆に言えば、裏――つまり人目がない場所であればその可能性はあるのだろう。
「国葬に使われた場所は、来賓と宰相くらいしかいない。来賓から護衛が離れるのは、この時だけだったってことですよね?」
「その通りだ、アルスター」
「それ、どれだけ警戒したところで自ら罠に飛び込むだけこちらが不利ですね」
「だが例の件もある以上、警戒しないという国はいないだろう。それでも死者を愚弄するようなやり方を本気で実行するとは……殿下を始め来賓方を最悪の形で裏切ったようなものだ」
「マラーナ国王を敬っているわけではないからですよ」
死者に対して哀悼の意を感じる必要がない。そう思っているからこそ、実行に移した。臣下に敬われることなく亡くなったマラーナ国王には、そのような場すら必要ないと思っていたのかもしれない。結果としてただの餌場として使われただけ。
「……他国の王族に対して、如何に身内だけとはいえ不用意な発言は慎んだ方がいい」
「他国だろうが何だろうが、アルヴィスに何かをしたのなら黙っている理由はないでしょうよ。手を出したのは向こう。違います?」
「……」
無言は肯定。ディンとて注意をしながらも同じようなことは思っていたはずだ。慎めと言っても、否定はしなかったのだから。
「お前は何をするつもりだ、アルスター?」
「色々と持ってきてはいるので、外にいる侍女さんを数時間くらい黙らせる程度のものはあります」
基本的にリヒトの役割は、薬師のようなもの。何か異常が起きた時に対処できることが最優先だった。ただきな臭いという話も聞いていたので、色々と余計なものも準備していた。アルヴィスが聞けば、あの端正な顔を歪める程度のものは。
「騎士といってもそこまで耐性ある人もいないでしょうし、これと……この辺を混ぜればいい感じになりそうですし」
鞄から色々と取り出して、リヒトは勝手に調合を始める。まずはここから出て情報を集めるのが一番手っ取り早い。もたもたしてもいられない。ここまできたら遠慮はいらないだろう。一晩耐えただけでも褒めてもらいたいくらいだ。
「ちょっと待てってアルスタ―、お前ひとりで行くつもりかよ⁉」
「流石にお2人がここを出るのはまずいでしょう。専属護衛という形だから、偽りの報告でもしにくるはずです」
「そりゃそうだろうけど、だからといってお前を一人出すなんて危険な真似出来るかよっ」
「俺は平民なんで、守るべきものなんてたかが知れてる。国を背負っているつもりもないし、好きに動かせてもらいますよ。ここにアルヴィスがいない以上、俺の行動を制限できる人間はいないんで」
ここに来るに当たって肩書は与えられたが、それもアルヴィスがいないならばどうでもいい。万が一、ルベリア王国に不利になりそうなことが起きても、リヒト一人ならばどうとでもなる。
「それに……もしアルヴィスが無事ならたぶん、俺のこともまとめて良いようにしてくれますよ、きっと。何が起きても誤魔化すことは得意なんで」
「……お前らどういう関係築いてきたんだよ」
心底呆れた様に首を緩慢な動作で横に振るレックスに、リヒトは笑みを向けた。先ほどまでの昏い空気が変わる。一縷の望みでしかないが、それでも少しだけ道が開けたことにレックスも心なしほっとしたのかもしれない。
「アルスター」
「止めても無駄なんで、あとは任せます。俺のことはテキトーに逃げた、とでも。散歩にいったとでも言っておいてください」
「そんなこと言うわけがないだろう。確かに私たちよりもアルスターの方が身軽に動けるのは確かだ。だが、君は殿下の大切な友人でもある。あの殿下が気の置けない風に話す数少ない人物……であるがゆえに、君を失うことは出来ない」
そう話すディンは複雑な表情をしていた。彼が実直な人物というのはリヒトも理解している。リヒトが平民であることも彼の中では葛藤の一因なのだろう。それでも、リヒトが動くのがこの中では一番いい方法だということも理解している。
「気持ちだけ有り難く受け取っておきます。貴方たちは、アルヴィスを守る人たち。それが最優先事項なんでしょ?」
「その通りだ」
「今の俺も同じってことで、納得してもらえればそれでいいんで」
会話をしながらも手は動いていた。準備はあらかた完了だ。学園でやってきた悪戯とは違い、今回は手を抜く必要がない。それはそれで面白い結果が出そうだが、見る余裕はないだろう。
「行ってくるんであとは頼みます」
「気を付けていけ、十分に」
「はーい、んじゃ」
軽く二人に手を振ってから部屋を出る。案の定、部屋の前に待機していた侍女と騎士が傍に寄ってきた。
「今は室内で待機をお願いします」
「あー……ちょっとお二人に渡したいものがあって」
「?」
二人が顔を合わせる間に、リヒトは鞄から瓶を取り出す。そして己の鼻を押さえてから、瓶を思いっきり振って蓋を開けた。
「なっ⁉」
「きゃっ」
灰色の煙が二人を襲う。鼻を押さえているのに、それでも匂ってくる。これは我ながら酷いなと思いながらも、バタっと倒れる二人を見てリヒトは口元を引き締めた。
「悪いな、暫くおねんねしていてくれよ」
瓶の蓋を閉めてから鞄にしまうと、リヒトは周囲を見回した。この辺りの地図は頭に入っている。他の来賓たちが戻っているのかも気になる。特に、アルヴィスが懇意になったという帝国の皇太子。部屋の位置は把握しているので、向かうのは簡単だ。問題はどれだけの人に遭うか。
「まぁなんとなるか」
足音を立てずにいるのは無理。ならば堂々と歩いていく。隠れて忍ぶよりも、堂々としていた方が却って懐に入りやすいものだ。己の力量はわかっている。
「さぁていくか」
ゆっくりと、だが人がいない場所では足早に。余裕を見せながら歩くことを意識して、リヒトは帝国の皇太子に用意された貴賓室へと向かうのだった。




