閑話 妃の身に起きたモノ
エリナ視点です。
それはあまりに突然だった。己の執務室にいたエリナが食堂へ向かおうと部屋を出た瞬間、エリナはお腹から鋭い痛みを感じ蹲ってしまう。
「っ」
「エリナ様っ⁉」
「妃殿下⁉ すぐに特師医様をお呼びします‼」
慌てて出ていくミューゼの姿が視界に入る。だが、その姿が消える前にエリナは瞼を閉じてしまった。
次に目を覚ました時、エリナはベッドの上で横になっていた。隣には、好々爺としたフォラン特師医がいる。
「フォラン様……」
「お目覚めになられましたか、妃殿下。ご気分はどうですかな?」
そう尋ねられてから、エリナは体調を確認する。気分は悪くない。お腹も、先程の痛みが嘘のように引いている。問題なく起き上がれそうだった。
「はい、特に問題はありません」
「そう、ですか」
問題はないと告げたが、フォランの表情は優れなかった。それは却って不安を煽るものだ。エリナは、恐る恐る尋ねてみる。
「どうか、されたのですか? もしやこの子に何か……」
「いえいえ。順調でございますゆえ、そのご心配はありませぬよ。ただ、少々お尋ねしたいのですが、何故お倒れになられたのかお聞かせ願えますかな?」
どうして倒れてしまったのか。エリナは、お腹に痛みを感じたことを説明する。すると、どういった具合だったのか詳しいことを教えて欲しいと言われた。でも、エリナにはそれ以上の説明をすることは出来なかった。
「申し訳ありません、フォラン様」
「いいえ、妃殿下もお疲れだったのでしょうし、母子ともに健康ですからお気になさらぬよう」
「あ……でも、あの時少しだけ」
「何か、気づかれたことでも?」
「……ほんの少しですが、お腹が熱かったような気も、します」
気のせいかもしれない。ただ改めて思うと、痛みを感じる前にそんな感覚があったような気がする。本当に気のせいかもしれないと念押しして、フォランへと伝えた。すると、フォランの表情が強張る。だが彼は直ぐに頭を横に振った。一体どうしたのかと怪訝そうにフォランを見ていると、フォランはいつものように目元に皺を寄せて笑みを向けてくれる。
「お子のマナのお力かもしれません。王太子殿下の子ですから、その力も大きいのでしょう。お子が母である妃殿下を守っているという証でしょうな」
「そうだと嬉しいです。ありがとうございます」
エリナの技量では、マナの大きさや強さを感じることは出来ない。ただアルヴィスは違う。その力を継ぐ子なのだから、きっとフォランの言う通り強い子が生まれるのだろう。エリナは優しく撫でるようにお腹に触れる。
「建国祭のパーティーでは、あまり動き回らぬ方が宜しいでしょうな。王女殿下とご一緒と伺いましたが」
「はい、リティーヌ様と共に動く予定です」
初めて王太子妃として参加する建国祭。だが、隣にいるはずのアルヴィスは不在だ。アルヴィスの代わりを務めるというのは大役ではあるものの、一人ではない。リティーヌが傍にいてくれるし、アルヴィスの侍従であるエドワルドもついてくれるという。そのことについて不安はない。
初日は国民への顔見せとパーティー。来賓の出迎えはリティーヌと共に行うこととなっている。何度も段取りは確認してきたのだから、準備は万端だ。
「承知しました。何かありましたら、いつでもお呼びくだされ」
「わかりました。宜しくお願いします」
フォランが退出すると、傍に控えていたサラたちが安堵したような表情を見せる。突然のことだったので、随分と心配させてしまったのだろう。
「心配をさせてしまってごめんなさい」
「いいえ、エリナ様。何事もなくて良かったです」
「えぇ、そうね……」
「エリナ様?」
良かった。それはエリナも同じだ。ただ、倒れる時の状況を伝えた時にフォランが見せた行動が少し気になる。フォランの中で解決したのか、何も言わなかった。言わなかったということは、言う必要性がなかったのだろう。だから気にすることではないのかもしれない。
『エリナ』
「……アルヴィス様?」
ハッとして、エリナは窓の外を見た。声が聞こえた気がしたのだ。アルヴィスがエリナを呼ぶ声が。今頃、アルヴィスはマラーナ王国で国葬に参加し終え帰路に就いた頃だろうか。それでも帰還はもう少し時間がかかる。建国祭の最中に戻れればいい方だ、と言っていた。
「どうかされたのですか?」
「いいえ、アルヴィス様の声が聞こえた気がして……気のせいだとわかってはいるのだけれど」
「お寂しい、ですよね」
「……えぇ」
与えられた執務をして、リティーヌと話をして忙しい日々を過ごしている。否、忙しくしようとしているのだ。そうでなければ、きっと意識してしまうから。いないということを改めて突き付けられてしまうから。考えないように日々過ごしていれば、きっと日々はあっという間に過ぎていく。その方が、会える日が早く訪れる。そんな風にして、エリナは逸る気持ちを、募る想いを耐えていた。
「早くお戻りになられると良いですね」
「そうね」
スケジュールが決まっている以上、早まることはないだろう。エリナも、そしてサラたちもそれはわかっている。それでも言わずにはいられなかった。
一方、エリナの部屋から退出したフォランは、王太子宮のエントランスに控えていたエドワルドに声を掛ける。
「フォラン特師医様」
「侍従殿、至急確認をしていただきたい」
「……何でしょうか?」
「王太子殿下の無事を」
フォランの言葉にエドワルドが絶句した。己が一体何を言われているのかがわからない。そんな困惑が見て取れたのか、フォランはその腕を強く握った。その痛みでエドワルドが我に返る。
「無事であるとは思うのじゃが……だが、何か良からぬことが起きた。そんな気がするのでな」
「何故、そう思われるのですか?」
エドワルドの声は震えていた。努めて冷静であろうとはする。ここで取り乱すことは出来ないのだから。そんなエドワルドの様子に、フォランは強く頷く。そして声を潜めるようにして、エドワルドに告げた。
「妃殿下のお腹の子……そのマナの力が膨れ上がった。妃殿下が気を失う程に影響を受けた」
「それは一体どうして――」
「子は本能的な生き物でな。ここからは過去の結果に基づいた老いぼれの推測も混じるのじゃが……」
フォランは説明する。エリナからの話を聞いただけであり、確定ではない。けれど、妊婦の場合に時としてある事象が起きるとされている。子が親の危機を感じ取る第六感的な力を持っているというものだ。ただ、それは母親に対するものが多い。父親に対してもそれが生じる場合は、本当に稀な事象らしい。少なくともフォランが診てきた中で、それが起こったことはない。
フォランが診察した上で、エリナに危機的状況は見て取れない。だが、お腹の子のマナが強まったのは事実。暴走とまではいかないまでも、何かしらの事象を子が本能的に感じ取った。恐らく母親であるエリナにそれを伝えようとしたのではないか。フォランはそう推測した。そしてその何かの事象というのは、恐らく父親であるアルヴィスに対するものではないかと。
「子は話すことは出来ぬし、自我があるわけでもない。何が起きたかも知っているわけではないじゃろう。ただ本能で何かを察しただけ、と思っておる」
「アルヴィス様……」
「まだ未確定の段階で、今の妃殿下にお伝えするのは酷とは思うのじゃが、その先の判断は侍従殿にお任せしよう」
「承知しました。お教えくださり、ありがとうございます。直ぐにでも確認をいたします」
書籍版の情報公開が解禁されました。
詳しいことは改めて活動報告にてご報告させていただきます(*- -)(*_ _)ペコリ




