閑話 遠く離れた場所で
今回はエリナ視点となります。
「エリナ、今日はそろそろ終わりにしましょうか」
「はい、リティーヌ様」
ルベリア王国の建国祭まであと少し。あとは細々とした確認を残すだけで、あらかたの作業は終わっている。今の時分も日が完全に落ちた夜の頃。それでも手を休める時間が遅くなってしまうのは、仕事をしていれば何も考えずにいられるからだ。
ここはエリナの執務室。リティーヌはわざわざ王太子宮まで足を運んでくれていた。出来るだけエリナに負担をかけないようにとの気遣いなのだろう。ここから後宮へ戻るのにも遅い時間なので、泊っていくことを勧めてみたのだが、リティーヌは苦笑しながら首を横に振った。曰く、「いつまでも居座ってしまいそうだから」らしい。それだけこの空間を気に入ってくれているということは、エリナも嬉しく感じる。
「遅くまでお付き合いをさせてしまい、申し訳ありませんでした」
「いいのよ。こうして堂々とエリナと沢山の時間を共有できるのは、私も嬉しいもの」
「ありがとうございます」
机の上にあるものを片付けていると、サラがお茶を運んできてくれた。エリナは立ちあがってリティーヌが座っているソファーの隣に腰を下ろす。そうすれば、サラが目の前にお茶とお菓子を置いてくれた。
「ありがとう、サラ」
「はい」
エリナが笑みを向ければサラも同じように笑みを返してくれる。公爵邸でも日常だったやりとりは、王太子妃となった今でもエリナにとって安心するものだ。アルヴィスが不在であるからこそなおの事。
「そういえば、アルヴィス兄様はマラーナ王国に入国したのよね?」
「はい、今日お手紙が届きましたから。恐らく既に王都に到着しているのだろうと思います」
アルヴィスからの手紙は国境近くの街から届けられたもの。届くまでの時間を計算すれば、既に二日以上は経っている。そのくらいに王都に到着するだろうと書かれていたので、まず間違いない。
「国内を移動して、今はマラーナか。馬であれば一気に駆け抜けてきそうなのに、そういうわけにはいかないのが厄介ね」
「アルヴィス様も仰っていました。馬ならば半分以下の日程で帰って来れるのにと」
王太子としての立場で他国へ入る。ゆえに、体裁を整えつつ向かわなければならない。だからこそ時間がかかってしまう。理解はしていても、馬で駆ける事に慣れていたがために馬車での移動が不自由に感じられるのだとアルヴィスは言っていた。
「騎士の時なら馬での移動が基本だって言ってたからそう思うのも無理はないわね。王太子になってからも遠くに行くことが何度かあったけれど、馬車が面倒だって愚痴を漏らしていたもの」
「そうなのですね」
「普通逆なんだけれどね。私も馬には乗れるけれど、やっぱり長時間の移動は馬車の方がいいと思う。馬だと姿勢を維持しつつ手綱を持って、なおかつ馬との呼吸も合わせながらだから……大変だもの」
「……私は一人で馬に乗ったことがないのでわからないのですが、リティーヌ様は乗れるのですね」
「ルーク隊長に教えてもらったの。でも、ほんとに乗れるというだけだから」
一人で乗れるけれども、長距離の移動は無理らしい。本当に上に乗るだけなら出来るというだけ。それでもエリナからすれば羨ましいことだ。エリナは、一人で乗ることさえやったことがない。乗りたいと考えたことさえなかった。
「私でも、乗れるでしょうか?」
「今のエリナは身重だから数年は無理だと思うけれど……乗りたいの?」
「はい。もし出来るならやってみたい、と思います」
「危険もあるから、きっとアルヴィス兄様は認めない気がする……何だかんだと、兄様はエリナには過保護気味だからね」
「そ、そんなことはない、と思いますけど」
過保護、だろうか。大切にしてもらっているのはわかる。でもどちらかといえば、エリナの方が心配性だ。なにせアルヴィスは無理をすることが多い。怪我をすることだってあるのだから。
エリナは基本的に王太子宮、王城から外に出ることはない。怪我をすることもないし、もし体調を崩すことがあっても特師医が直ぐに診てくれる。だからこそ外に出て動き回るアルヴィスの方がよほど危なっかしい。その度に、大丈夫なのかと心配をしてしまう。エリナは安全な場所にいるが、アルヴィスはそうではないのだから。そしてそれは今現在に至っても……。
エリナはそっと胸元にしまっていたお守りを取り出した。
「それ、兄様が持っていたお守り?」
「はい。アルヴィス様から頂きました」
「それ、兄様のマナが感じられる。中に輝石とか入っているの?」
「中身を見たことはありませんからそこまではわかりませんが……でも、寂しくなった時にこれを見ていると、少しだけ温かな気持ちになるのです」
傍にはいないけれど、それでもアルヴィスの温もりを感じられる。これがどういったものなのかは、エリナにはわからない。中身がどうなっているかも知らない。ただ、アルヴィスが大切に持っていたお守りだということは知っている。エリナに渡すために用意したものではなく、常に身に着けていたものだ。ずっと傍にあったものだからこそ、アルヴィスを感じられるのだろう。
そっとお守りを握りしめて目を閉じるエリナ。そんなエリナの肩にリティーヌが優しく手を乗せた。
「大丈夫、アルヴィス兄様も無事に帰ってくるわ」
「リティーヌ様。はい、そうですね」
無事を祈りながらも、エリナにもすべきことがある。まずはアルヴィスが不在な中で建国祭を無事に終わらせること。それが残されたエリナの役目なのだから。
(アルヴィス様……どうかご無事で)




