6話
帝国の皇太子グレイズとアルヴィスの会話場面です。
案内されたのは、与えられた貴賓室からそう遠くない場所にある部屋だった。余計な会話は禁止されているのか、案内をしてくれた侍女は到着するまで一言も話すことはなく、到着してからも頭を下げるだけだ。アルヴィスらが中に入るまで頭を上げることはなく、こちらが折れるしかなかった。
「では、御前を失礼いたします」
扉を閉めて去っていく侍女。表情をあまり変えずに淡々と職務をこなす。侍女の在り方としては間違いではないのだろう。だが、どうしても侍女たちと接していると余計なことを考えてしまう。
「殿下、今は彼女たちの様子よりもなさることがおありでしょう」
「あ、あぁ。わかっているが、ちょっとな。ルベリアとは違い過ぎて」
「そうですね」
同じようなことをディンも感じていたようだ。その話はまた後にするとして、アルヴィスは室内にあるもう一つの扉の前に立っている侍女の下へと向かう。何を発したわけではないが、侍女は扉を開けると道を譲った。
「こちらにございます」
「ありがとう」
「……」
礼を伝えると、微かに侍女の肩が揺れる。恐らく見えていないが、その顏の下は驚いているのだろう。マラーナ王国の侍女たちの扱い方について溜息を吐きたい衝動を堪えながら、アルヴィスはその先へ足を進めた。アルヴィスとディンが中に入ると扉が閉まる。
「お待ちしておりました」
真っ直ぐな紫色の長髪と瞳。笑みを浮かべて迎えてくれたのは、ザーナ帝国の皇太子その人だ。
「改めてご挨拶をさせてください。グレイズ・リィン・ザイフォードと申します」
「アルヴィス・ルベリア・ベルフィアスです。お招きありがとうございます、グレイズ殿」
「こちらこそ、来ていただきありがとうございます」
そう言ってグレイズはアルヴィスの前に立つと、右手を差しだす。アルヴィスも手を差し出し、二人は握手を交わした。
「貴方に会えたというだけで、この国に来た意味がありました」
「それは、どういうことですか?」
「私はただ貴方に会いたかったのです、アルヴィス殿。女神と契約したという貴方と」
刹那、アルヴィスは全身に寒気が走る。衝動的に手を離しそうになったのを、辛うじて堪えた。如何にアルヴィスであっても、ザーナ帝国の皇太子相手に無礼を働くことはできない。
「グレイズ様」
「実は貴方にお聞きしたいことがありまして――」
「グレイズ殿下っ」
戸惑っていると、グレイズの後ろに控えていた騎士がグレイズの腕を引っ張った。繋がれていた手が漸く離れ、アルヴィスは安堵した。だが一方でグレイズは不満気に騎士を一瞥する。
「初対面、ましてや他国の王族の方に何を仰っているのですか。気味が悪いのでおやめください」
「辛辣なことを言いますね。私はただアルヴィス殿と懇意にしたいと思っているだけです」
「物事には段階というものがあります。一方的な考えは迷惑にしかならないといつも言っているでしょう」
「テルミナはこうでしたが?」
「あの方と、アルヴィス殿下を同じにしないでください。失礼にも程があります」
なにやら言い合いをしているが、話を聞いている限りグレイズのこういう行為は日常のようだ。確か、グレイズの噂で研究者気質だというのを聞いたことがある。興味があることに対しては、色々なものをすっ飛ばしてしまう。それがどこか友人にも似通っている気がして、アルヴィスは笑い声を漏らした。
「アルヴィス殿?」
「いえ、すみません。少々、友人に似ている気がしたものですから」
「それは、アルヴィス殿も珍しい気質の友人をお持ちなのですね」
アルヴィスの友人を珍しいと言っているということは、グレイズ自身も己の言動に自覚があるということなのだろうか。先ほどまで言い合いしていた騎士を見れば、頭に手を当てて呆れた様に首を縦に振っていた。
「アルヴィス殿下のご友人も、貴方にだけは言われたくないと思っていると思いますよ」
「何か言いましたか?」
「いいえ、何でもありません。それより、アルヴィス殿下、グレイズ様もお座りになってはいかがですか? お茶もご用意しました。もちろん、帝国産のものです」
帝国産のものと強調した辺り、マラーナ王国を警戒している様子が窺えた。それはこちらも同様だったのでありがたい申し出だった。
「ご配慮ありがとうございます」
「当然ですよ、特にここ最近は良い噂を聞かないものですから、用心するに越したことはありません」
「えぇ」
テーブルに向かい合う形でソファーへ座ったアルヴィスとグレイズ。会話が聞かれることはないと思いたいが、念には念をということで声は多少控えめに会話をする。話題は先ほどの女神についてだ。
ザーナ帝国にもアルヴィスと似たような契約を結んだ少女がいる。今回も同行しているらしいが、今は寝室で寝ているらしい。貴族令嬢ではあるが、社交界とは無縁の生活を送って来たらしく、疲労困憊状態だと。
「それでも同行させたのは、保険ですか」
「その通りです。見た目はあれですが、護衛としては十分な戦力です。そして出来れば、貴方と引き合わせたかったという想いもあります」
「……」
「テルミナにとっても良い刺激になってもらえればと」
「それは、どういう意味で、ですか?」
テルミナはラナリスと同年代の令嬢だ。社交界へも出たばかり。そこにきてアルヴィスと会わせたいと言われれば、否が応でも警戒してしまう。
「聞き及んでおります。アルヴィス殿と、奥方との良好な関係は。そういった思惑が我が国に全くないわけではありませんが、少なくとも私はそれを望んでいません。あのようなジャジャ馬を押し付けるのもどうかと思いますし」
「ジャジャ馬、ですか?」
テルミナへの言い草に、流石のアルヴィスも呆けるような声が出てしまった。まるで想像がつかない。少なくとも、アルヴィスが想像する令嬢という存在を超えている。対するグレイズは、心底困った様子で肩を落としていた。
「顔が良い人には男女関係なく突撃しますし、槍を持てば大の男でも倒してしまう娘です。あれを馬でなくて、なんと表現すればいいのでしょうか」
「それは……なんというか」
「ですから、あれが他国の妃になるなど帝国にとっても問題児を送るようなものですから、私としては全力で阻止したい限りです。それでも、打診はしておかなければなりませんので」
姿勢を正したグレイズは、今度は笑みを消して真剣な表情を見せた。
「帝国のミンフォッグ子爵令嬢を、娶っていただけませんか?」
「……お断りいたします」
戸惑いつつも断りの言葉を告げる。するとグレイズは、目を細めて頷いた。
「ありがとうございます。どうか、帝国からの打診があったことも含めてルベリア国王陛下にもお伝えください」
「わかりました。ですが、そうすると彼女は」
「一応、今後は私の妃候補として教育させることになるでしょう。途方もなく時間がかかりそうですが、他国に渡すよりはマシでしょうから」
「そ、そうですか」
「ただ……アルヴィス殿、テルミナには一度会ってもらえますか?」
妃として送りたいということではなく、契約者同士という立場で顔を合わせてほしい。グレイズの言葉はそういう意味だろう。だからこそ、先に妃の打診を行い断らせた。ここにそういう意図はないと示すために。
もう一人の契約者。興味がないわけではなかった。アルヴィス自身も知りたいこともある。王太子としてではなく、アルヴィス個人としても。答えは決まっていた。
「わかりました」
誤字脱字報告、いつもありがとうございます(*- -)(*_ _)ペコリ




