21話
一日休暇という日は久しぶりだった。昨夜はエリナと共にゆっくり夕食を摂って話をしながら心地よく眠れたこともあるのか、朝はすっきりと目を覚ますことができた。身体を起こして隣を見れば、隣でまだエリナが眠っている。今日は鍛錬の予定も入れていないので、急ぎ出ていく必要もない。アルヴィスはそっとエリナの前髪に触れる。すると、エリナの瞼が動いた。
「アルヴィスさま?」
「悪い、起こしてしまったか」
「いいえ、大丈夫です」
起きたばかりだからか、少しだけ掠れたような声だ。エリナもアルヴィスに倣うように身体を起こした。
「おはようございます、アルヴィス様」
「おはよう」
挨拶をすれば、エリナがクスクスと笑う。一体どうしたのかとアルヴィスは首を傾げた。
「どうかしたか?」
「嬉しいと思ったのです」
「嬉しい?」
「こうして朝起きて直ぐに起きたばかりのアルヴィス様にご挨拶をしたのは、久しぶりですから」
寝る前も朝起きた後も、エリナが起きる時間にはアルヴィスは既に部屋を出ていることが多い。朝の挨拶をしたとしても、アルヴィスは鍛錬後であることが多かった。だが今は起きたままの状態だ。この状態で顔を合わせるのは、確かに久しぶりだった。
「そう、だったな」
特にここ最近は話す時間さえとれてなかった。寂しくさせてしまったことに申し訳なさを感じる。エリナは不満一つ言わない。だからこそ、明日以降のことが心配だった。だが今はその話は話題にしたくない。今日一日くらいは許されるだろう。アルヴィスは隣にいるエリナを抱き締める。
「今日は一日エリナの為に使う。何か行きたいところとかあるか?」
「行きたいところ、ですか?」
「あぁ。エリナがやりたいことに付き合うよ」
「でしたら……あの、城下に行きたいのですが」
「城下に?」
予想外のことにアルヴィスは目を丸くした。エリナが城下を歩いたのはアルヴィスと一番最初に向かった時くらいだ。あとは馬車で回る程度しかしたことがないはず。
「何か買い物でもしたいのか?」
王家が懇意にしている商会はいくつかある。こちらが出向くよりも、あちらに来てもらうことが多いのはエリナも良く知っているところだ。その商会以外のところに行きたいのだろうか。それとも別の目的地でもあるのか。
「はい。あの、以前アルヴィス様と一緒に行ったメルティ様のお店に行きたいのです」
「メルティ殿? 確かにメルティ殿の店ならばこちらが向かわないといけないだろうな。あの人はあまり人目に付くのを好まない方だから。だが、メルティ殿は――」
「魔女、と呼ばれていると聞きました」
「……誰から聞いた?」
エリナにはその話をしていないはずだ。騎士団や近衛隊士ならば知っているが、半ば冗談だと思っている者も多い。いつも黒っぽいローブを着ていて、近づきにくい雰囲気を醸し出してはいるが、当人が言うような年齢には見えないからだろう。だが、アルヴィスは彼女の言葉が真実だと確信している。一種の恐怖に近いものも感じているのも確かだ。味方ならば心強いので、顔には出さないようにしているが。
「フィラリータたちから聞きました」
「アムールか、なるほどな」
彼女たちならば知っていて当然だ。そしてフィラリータの性格からして、メルティを魔女と本気で思っているだろう。実直で真面目な彼女は冗談を好まない。共に居るミューゼはその逆。剣技の強さはアルヴィス以上だ。ミューゼがメルティの本質に気が付いていても不思議ではない。尤も、今気にするべきことは、何故エリナがメルティに会いたいかだ。
「エリナはメルティ殿に用があるのか?」
「用事と言いますか、その……メルティ様はマナを付与することも得意だと聞きまして」
「たぶんこの王都では随一だろうとは思うが」
「お願いしたいことがあって手紙をお出ししたのですが、直接来るならばと言われてしまったのです」
「手紙をやり取りしたのか⁉ メルティ殿と⁉」
これには素直に驚いた。騎士団でさえ、直接出向かなければ対応してもらえない。手紙でのやり取りなど、捨て去られるのが常だった。アルヴィスも何度か頼みに出向いていたが、手紙を渡せばその場で燃やされていたのだから。
「は、はい。いけませんでしたか?」
「いけなくはない、が……」
エリナだけが特別なのか、それとも他に理由があるのかはわからない。ただそれならばむしろアルヴィスの方から伺いたい。その理由を聞きださなければならないからだ。単なる交友とは言えないのがメルティという存在だ。
「わかった。付き合おう。後は行きたいところはあるか? 折角だからな」
「そうですね……ではアルヴィス様とあの庭園に行きたいです」
「なら昼はそこで摂るようにしようか」
「はい!」
大体の予定が決まった。アルヴィスはエリナから手を離して、ベッドから降りる。
「準備してくるから、エリナはもう少しゆっくり起きてくるといい。また朝食の場でな」
「わかりました、アルヴィス様」
寝室を出て自室へ入れば、いつものようにエドワルドが出迎えてくれる。
「おはようございます」
「おはよう。早速だがエド、頼みがある」
今日の移動の予定を伝えれば、エドワルドは心得たと直ぐに動き始めた。事前に近衛隊には外出する可能性を伝えてあったから、調整はさほど難しくない。それほど時間はかからずに戻ってくることだろう。その間にアルヴィスは自分の準備を始めた。
着替えを終えたアルヴィスは机の上に報告書が置かれているのを見て、手に取った。いくつかは、ジラルドに任せたものだ。
「あいつには流動的な事案は任せられないか。それが分かっただけでも十分だが」
言われたことだけを記載して、それで終わりというのがジラルドの報告の仕方だった。報告を伝えるという意味では間違いではないが、それは常に指示を仰がなければ動けないのと同義だ。従僕という立場であればそれでもいい。その先の立場に置くつもりはないが、それでも以前は王太子という立場にあったのだから期待くらいはさせてもらいたかった。
「過剰に構い過ぎだったということか。ともあれ、あいつにはまだしばらくエドの下に付かせるしかないな」
建国祭という他国の者も出入りする場所にジラルドがいれば、好奇な視線にもさらされるはずだ。かの令嬢たちも参加するらしく、ジラルドにとっては辛い時間となるのは間違いない。国王も王妃も、ジラルドと接触することは禁じてある。そもそもジラルドが国王と王妃と同じ場所に行くことは出来ない。あくまで王城で働く使用人の一人でしかないのだから。
「俺が出来るのはここまでだからな、ジラルド」




