19話
リヒトとリティーヌの登場です!
執務室のソファーに座り、アルヴィスは特師医であるフォランと向かい合っていた。フォランが見せてくれたのは、小さな小瓶だ。
「これが?」
「はい。例の少女が持っていたもの、そして王女が殿下のカップへと入れた異物を分析して作ったものとなります」
昨年の建国祭の折、マラーナ王国王女だったカリアンヌがアルヴィスへと盛ったもの。大事には至らなかったものの、アルヴィス自身それなりに疲弊をした。あれがマラーナ王国宰相の差し金だとすれば、万が一の為に保険を用意しておかなければならない。その一つがこの解毒剤だ。
「もし体内に入れてしまった場合は、そのままお飲みください。保険としてということであれば、こちらを事前に」
差し出されたのは小さな包。手に取り、包の中を開くと粉末状のものが入っていた。
「一日に一包までしか服用は出来ませぬ。それを服用した上で、更に症状があった場合はこちらの瓶を半分ほど飲んで頂きます。ただ……」
「ただ?」
「その場合は副作用として、発熱したような状態となることをご留意を。安静にしていれば問題ありませぬが……」
フォランの表情が曇る。それは完全な安全策を用意できなかったことへ責任を感じているからだろう。事前に薬を飲まずに症状が出た場合は小瓶だけで問題ないが、事前に飲んでいた場合は暫く動けなくなる可能性がある。どちらを選ぶかは、アルヴィスの判断次第ということだ。
「あれは一種のトランス状態に陥るものだと言っていたが」
「はい。思考能力の低下、気分の高揚、常識の欠如などが起こり得ます。誰かが傍にいない限りは害はないでしょうが、その状態で何かしら暗示をされてしまえば……」
「そうか」
抗えないということは考えたくなかった。この準備も無駄になって欲しいとは思うが、用心に越したことはない。
「出立までに十分な量は準備しておきますゆえ、お任せください」
「あぁ、頼んだ」
「では、儂はこれで失礼を」
小瓶と包を一つ残して、フォランは執務室を出て行った。
「念のため、特師医を誰か連れていった方が宜しいのではありませんか?」
「……いやいい」
流石にそこまで用意すれば、何かあると正面から言っているようなもの。表向きは、懐疑心を抱いていない風を装う必要がある。それでも出来る準備はしておきたい。
「ならば薬師でもいいと思います。マラーナに信頼がおけないというのであれば。特師医であれば警戒はされるでしょうが、ただの薬師程度であれば問題ないのではありませんか?」
「薬師か……だがあいつを連れていくわけにはいかないし」
そう考えていたアルヴィスは、ふと思い出した。正直に言えば巻き込みたくはないが、この状態で誰よりも信頼できるというのであれば一人しかいない。正確には薬師ではないが、それでも毒草や薬草については詳しい。
「どなたか心当たりがおありですか?」
「当人が了承すれば、だがな。ちょっと行ってくる」
善は急げだ。誰かに頼むという手段もあるが、アルヴィスが直接伝えるべきだろう。ただ同行を頼むだけではない。その行先は危険を伴う。その上で、了承してくれるかどうかを聞かなければならない。王太子として頼めば、彼に断るという選択肢がなくなってしまう。だからこそ友人として、頼みにいくのが筋だろう。
執務室を出たアルヴィスが向かった先は研究室だった。アルヴィスがその一画にある薬草畑へと足を踏み入れると、珍しい組み合わせの二人が話をしている。一人はアルヴィスの目的の人物、もう一人はリティーヌだ。
「あれ? アルヴィス兄様?」
「お、よぉアルヴィス」
「リヒトに、リティ」
二人はアルヴィスに気が付くと、駆け寄ってくる。アルヴィスの生誕祭でも会話をしているのは見かけたが、二人だけで話をするような仲だとは思っていなかった。
「驚いたな、二人でいるなんて」
「そうか? まぁ平民の俺なんかが姫さんと一緒にいるのは変だろうけど」
「それを言うなら、そんな貴方と友人をやっている兄様だって変って言われるわよ」
「おいリティ、その言い草は酷いんじゃないか……?」
アルヴィスに対しても、リヒトに対しても容赦がない。アルヴィスはともかくとして、リティーヌがリヒトに対してこんな言い方をするのは意外だった。後宮を出ることがないリティーヌがここにいることも含めて。
「それよりリティがここにいることは、キュリアンヌ妃はご存知なのか?」
「言う必要もないわ」
「おいおい」
「もうね、やめたのよ。お母様の言いなりになるのは」
その言葉が意外過ぎて、アルヴィスは驚く。今までキュリアンヌ妃に従ってきたリティーヌを知っている。だからこそ、母である彼女に反抗するという姿が想像できなかった。
「王族の義務はわかるわ。でも、もう王太子はジラルドじゃない。なら、私が後宮の外に出てはいけない理由もなくなった。違う?」
「……そうだったな」
そもそもリティーヌを閉じ込めていた理由はジラルドの存在が故だった。それを気にする必要がなくなった今、リティーヌが外に出てはいけないという理由はない。
「それに、もうじき私は王族でもなくなるでしょうから」
「ならここで研究を一緒にやるかって俺が言っていたんだよ」
「……おい、リヒトお前」
リティーヌが王族でなくなるというのは、アルヴィスが即位した後に王城を出るからという意味だろう。だがアルヴィスとてすぐにリティーヌを追い出すつもりはない。キアラも成人までは後宮にいるだろう。キュリアンヌ妃と一緒に城を出る可能性もあるが、そこは本人に選択させるつもりだ。
その前に、リヒトの言い方が気になる。それはまるで、リティーヌを誘っているというかプロポーズのようにも聞こえる。下手をすれば、貴族連中の反感を買う行為だ。
「リヒトが私をもらってくれるの?」
「おいおい、姫さんが来れるわけないだろう。ただ研究するなら有りだなってことだ」
「あら、残念ね」
軽口を叩き合っている二人だが、リヒトは特に深い意味はなく口に出しているようだ。昔から想ったことを口に出すことが多いので、それは通常運転なのだが問題はリティーヌの方だった。
残念だと言ったリティーヌの表情は、どこか寂し気だったからだ。
「……全く」
「ん? アルヴィスどうした?」
「お前は相変わらずだなって思っただけだ」
リヒトは感づいてもいない。もしかしたら、気づかないフリをしているかもしれないが、いずれにしてもリヒトの立場では何も言えはしないだろう。ただこれはある意味でチャンスでもあるのかもしれない。リヒトに功績を与えるという意味では。危険を伴う場所へ同行を頼むのだ。更には王太子を守るという名目を与えることが出来る。友人だからという贔屓目ではなく、きちんとした実績の下で評価できるのだから。それがどれだけ大変なことだとしても。
「それより、リヒトに頼みがあって来たんだが……」
「俺に? お前が?」
「あぁ」
アルヴィスはマラーナ王国へ向かうことを告げた。国王の崩御、国葬への参加。そして、マラーナ王国が既にルベリア王国にとって友好国でなくなっていることも。話をしているうちに、リヒトの表情が険しくなっていく。隣に立つリティーヌも同様だった。
「それで、お前に同行してもらいたいんだ。万が一のことがあった場合、毒草や薬草に通じた者がいた方が助かる」
「……」
リヒトは真っ直ぐにアルヴィスを見ていた。その瞳の中が少し揺れていることに気づき、アルヴィスは苦笑する。
「そうやってお前はいつも誤魔化すんだよな」
「誤魔化しているわけじゃない」
「同じだよ。本心を隠しながら、自分がやればいいって思っているところ。ただまぁ俺に声を掛けた点については褒めてやる。信頼してくれてるってことだろ?」
「当然だ」
「即答するなよ。ったく」
にやりと口元に笑みを見せたリヒト。リヒトを信頼しているのはアルヴィスにとって当たり前のことだった。恐らくリヒトも。そして口では言わないが、シオディランのことも信頼しているだろう。アルヴィスにとってこの二人が特別であるように、リヒトにとっても特別だと。
「ついていくさ。俺に出来ることがあるなら何でもやってやる」
「助かるよ、リヒト」
「任せろ」
「兄様……」
笑みを交わす二人の横で、リティーヌは顔色を悪くしていた。王女という立場上、リティーヌもアルヴィスの訪問については理解をしている。それがどういうものかについても。
「リティは、エリナのことを頼む。エドも残していくつもりだが、同性の方が安心も出来るだろう。出来るだけ気にかけてやって欲しい」
「うん、わかっているわ。でも、本当に気を付けて……無事に戻ってきて」
「あぁ」
不安そうにしているリティーヌへ、アルヴィスはポンと頭に手を乗せた。
「大丈夫。何事もないよう祈っていてくれ」
「……うん」
全てが杞憂であればそれが一番いい。それがただの願望に過ぎないとしても。
こうしてアルヴィスがマラーナ王国へ旅立つ日が刻々と近づいていった。




