閑話 つかの間の休日
本日はエリナ視点でのお話となります。
「あ……」
朝になりエリナが目を覚ます。身体を起こせば、左手が握られていることに気づく。横を向けば、アルヴィスがまだ眠っていた。
「アルヴィス様、まだ起きていらっしゃらなかったのね」
いつもアルヴィスは朝が早い。エリナが起きる時間には、隣が空になっていることが多かった。こうしてゆっくりと眠っている姿を見るのは随分と久しぶりな気がする。
空いている方の右手をアルヴィスの頭に乗せ髪を梳く。ゆっくりと何度も触れるが、それでもアルヴィスは身じろぎ一つしなかった。余程深く眠っているのだろう。エリナは自然と顔が綻ぶのを感じていた。
ずっとこうしていたい気もするが、何も言わなければサラたちもエドワルドらも心配をするだろう。握られていた手をそっと離して、エリナは起き上がった。物音を立てないように静かに扉へと進む。念のため後ろを振り返ってアルヴィスの様子を確認するが、起きる様子はない。ホッとしながら、エリナは私室の扉を開けた。
「おはようございますエリナ様」
「静かに……アルヴィス様が起きてしまわれるわ」
「承知しました」
声が届かないようにと扉から離れて、エリナは改めてサラたちへと声を掛ける。
「おはよう。早速で申し訳ないのだけれど、ハスワーク卿へアルヴィス様がまだ眠っていることを伝えてきてもらえる?」
「わかりました。朝食はどうしますか?」
「私は先に頂いて、アルヴィス様が起きたら軽食を用意してもらった方がいいと思うのだけれど」
随分と疲れているはずだ。きっとまだ目を覚まさないだろう。王城へ向かうのは、午後からで構わないと聞いている。ならば、出来るだけ長く寝かせてあげたい。昨日帰還したばかりなのだから。
「そうですね、そのように準備します」
「ありがとう」
その後、朝食を摂ったエリナはいつものようにサロンで過ごしていた。だが、一向にアルヴィスは起きてこない。流石に心配になり、エリナは寝室へと戻った。
「アルヴィス様?」
ベッドへ近づくと、アルヴィスはまだ眠っていた。本当に珍しいことだ。エリナは大丈夫なのかと布団の上に投げ出されていた右手を手に取りながら、ベッドに腰を下ろす。温かいが熱があるわけではなさそうだ。そのまま頬にも手を添える。エリナが触れると同時に、瞼が動く。かと思うと、ゆっくりと水色の瞳が顔を出した。
「……」
「おはようございます、アルヴィス様」
ぼんやりしているのか、アルヴィスはゆっくりと目を閉じたり開いたりを繰り返していた。そうして左手で目を抑えながら、身体を起こす。
「……おはよう」
いつになく低い声が聞こえた。まだまどろみの中にいるようにも見える。寝起きとはいえ、アルヴィスは起きてから直ぐに動く人だ。少なくともエリナが知っている範囲では。起きてからもぼんやりとしている姿はあまり見たことがない。
「大丈夫ですか? どこか気分でも悪いのですか?」
そんなアルヴィスの様子に不安が掻き立てられ、エリナは下から顔を覗き込んだ。よほどエリナの表情が不安そうにしていたのか、アルヴィスは左手をエリナの頭の上に乗せる。しかし左手で抑えていた目は閉じられたままだ。やはりどこか優れないのかもしれない。
「直ぐに特師医様をお呼びしてきます」
「大丈夫だ」
動こうとしたエリナの腕をアルヴィスが掴む。だが変わらず左目は閉じられたまま。
「ですがっ」
「本当に大丈夫だ。少し休めば治まるから」
そうは言うものの、片方の目だけをつぶっている様子は全く大丈夫には見えない。アルヴィスを見つめ返しながら、エリナは考え込む。そうして出した結論。それは……。
「では、せめて本日はお休みください」
「いやだが――」
「アルヴィス様の大丈夫は信用出来ませんから」
信用できない。そう断言すればアルヴィスは固まり、その次に困ったように笑った。いつものあの顔だ。
「わかった。今日はエリナの言うとおりにするよ」
「はい」
「エドを呼んできてもらえるか?」
「わかりました。そのままで待っていてくださいね」
「あぁ」
エリナがエドワルドを呼んでくると、彼は呆れたように溜息を吐いた。元々今日は休日で構わなかったらしい。帰還してすぐなのだから、普通はそうするようだ。同行していた近衛隊士らも休日を与えられていると。
「書類整理もおやめくださいね。そもそも――」
「わかったから、頭に響くから止めてくれ」
「全く……妃殿下」
「は、はい」
アルヴィスへのお小言はこれで終わりにするらしい。エドワルドはエリナへと視線を向けて来る。一体何を言われるのかと身構えてしまったが、それに対しエドワルドは再び溜息を吐いていた。
「本日はアルヴィス様に書類等々は見せないようにお願いします。この後、私は近衛隊へ事情をお伝えしてきますので」
「わかりました」
「では私は失礼します」
寝室を去る前にもう一度アルヴィスを見た後、エドワルドは深々と頭を下げて出て行ってしまった。アルヴィスは見ていなかったが、出ていく前のエドワルドは心配そうな目でアルヴィスを見ていた。何を言っていても、エドワルドはアルヴィスの事が心配なのだろう。
「エドの奴……」
「ハスワーク卿はアルヴィス様が心配なのですよ」
「……わかっているんだが、一言多いんだよな」
「ふふふ」
再び二人きりとなった寝室。アルヴィスはベッドへと横になった。そして再度目を抑える。
「目が、痛いのですか?」
「痛いというか、そうだな。処理に追い付いていないだけだと思う」
「処理、ですか」
「使い過ぎと言った方がいいかもしれないな。疲れていると言われればそれまでだが」
アルヴィスが言っているのは、考えすぎということなのだろうか。いずれにしても疲れているのならば、休んでいた方がいい。
「少し寝られますか?」
「十分寝たよ」
確かにいつもよりは沢山寝ていた。でもそれ以外に休める方法があるだろうか。
「なら、エリナが昨日まで何をしていたかを教えてくれ」
「私の話ですか?」
「あぁ」
「つまらないかもしれませんよ」
「それでもいい。エリナの話が聞きたいんだ」
「……わかりました」
特別なことがあったわけでもない話を聞いたところで、アルヴィスにとっては楽しくないはずだ。でもそれでもいいとアルヴィスは言う。少し照れながらエリナは、昨日の事を話し始めた。
昨日はいつものように編み物をして、食事をした。アルヴィスが帰還をしたと聞けば王城へと向かった。その後はアルヴィスも知っている話だ。その前の日はハーバラが遊びに来てくれて、お互いの近況など他愛ない話をしていた。
「ハーバラ様はとても楽しそうに仰るので、私も楽しくなってしまって」
「そうか。本当に彼女はシオとは違うな」
相槌を打つだけじゃなく、アルヴィスは言葉を返してくれる。ただ話をするだけの時間。昼になりサラたちが呼びに来るまで、二人でこうして穏やかな時間を過ごしていた。




