閑話 ジラルドの混乱
上手く説明できていたか不安ですが、
ジラルド視点となります。
もう少しできっと……。
「お前のような奴がどうしてここにのうのうとしているんだ!」
それは叫びにも似た言葉だった。ここにどうしているのか。それはジラルド自身にもわからない。しかし、これに反論してはいけないことだけはジラルドにも理解出来た。近衛隊を束ねるルークも、それに随行している副隊長や他の隊士たちも、皆が止める仕草など一切していない。ジラルドがどう出るかを見守っているようにも思えたそれに、拳を強く握りしめて耐えるしかなかった。
「王族の義務も立場も忘れて、色欲に溺れたお前の所為で……妃殿下も妹たちもどんな想いをしたか」
心底憎い。言葉にしなくとも、その鋭い視線がそれを告げている。妹という言葉に、誰かの令嬢の兄だということはわかったが、ジラルドは目の前の隊士が誰なのかわからなかった。見覚えはないことから、ジラルドが王太子の時に付いていた隊士ではないことは確かだ。しかしそれ以上の情報は、ジラルドの頭の中にはない。きっとアルヴィスならば、彼が誰かわかるのだろう。ジラルドとは違って。
ジラルドは自嘲気味に笑う。すると、重たい拳がジラルドの目の前へと迫っていた。避けることも出来ず、ジラルドは左頬を思いっきり殴られてしまう。その勢いのまま、ジラルドは叩きつけられるようにして地面へと転がった。
「ぐっ」
「お前が王太子でなくなったこと、心から歓迎するよ。あんたに命を預けられるものかっ……」
身体を起こしながら隊士を見上げる。見下ろされて地面に座り込むジラルド。それは今のジラルドの立場を象徴しているかのようだった。
殴られた左頬に手を当てながらジラルドは、気が付くと野営地から少し離れた開けた場所へと来ていた。見上げればちょうど木々の間から、月が見える。まるで一人だけ取り残されたように感じ、ジラルドは座り込んでしまった。
「王族の義務、立場……そんなの考えたことなかった」
ジラルドは物心ついた時から、唯一の王子だった。将来は国王になることを疑ったことは一度もない。どれだけリティーヌが優れていようと、女が国王になることは出来ない。何をしてもしていなくてもジラルドは国王になれると、そう思っていた。
公務も執務についても深く考えたことはない。アルヴィスのように、承認する為に根拠を知りたいとなど考えたことすらない。以前もやっていたのであればそれでいい。文字を眺めて、署名するだけだと。
エリナに対しても同じだ。初めて会った時、可愛らしい令嬢だと思った。この子が将来の妃になるのだと、心躍ったことだってある。でも、エリナは優秀だった。我儘だったのは、幼少期だけ。王妃教育を受けるにつれて、彼女は慎ましやかにそれでいて堂々とした令嬢へと変わっていった。
エリナが褒められるたびに、心の中が乱れていき、いつしか彼女にリティーヌの影を見るようになる。彼女と顔を合わせることが嫌になり、偉そうに苦言を呈する姿も気に入らなかった。だが……出発する前に見たエリナの姿に、ジラルドは衝撃を受ける。そこにいたのは、かつてジラルドが焦がれていた少女の理想の姿がそこにあったからだ。
しかし、その相手はジラルドではない。こちらを見向きもせずに、彼女はアルヴィスだけを見ていた。頬を染めて嬉しそうに彼を見る彼女。その姿に傷ついている己がいることを隠すことは出来なかった。
「……結局僕も、都合のいいことしか見ていなかったということか」
「今更わかったのか……」
「っ⁉」
突然声がして、ジラルドは後ろを振り返る。そこにいたのは、アルヴィスだった。
「アル、ヴィス」
「言っておくが、コルト卿の言葉はまだマシな方だ。お前を処刑した方がいいという声だってある」
「っ……」
処刑するということは、つまりジラルドは死を望まれているということになる。恐怖に身体が震えるのを、ジラルドは両手を握りしめることで耐えるしか出来なかった。
「ぼ、くは……」
「王族の言葉は重い。たった一言で、人を殺すことも生かすことも出来る。お前の言葉で、沢山の貴族令嬢令息の人生が変わった。中には絶望を感じた者もいることだろう。その責任をお前は負わなければならない」
「そんなこと出来るわけっ――」
言いかけてジラルドは言葉を止める。アルヴィスが纏う気配が変わったからだ。殺気のような、威圧感。彼が怒っている。辛うじてわかったのはそれだけだった。
「俺たちの言葉も命も、人生までも自由に決める権利はない。王族は国のものであり、国民の為の存在だ。出来る出来ないじゃない。それがお前が王族として生を受けた義務なんだ」
『王族とは、民の為に国の為に在るもの。全てに支えられていることを忘れてはなりません』
アルヴィスの言葉を聞きながら、ジラルドは幼い頃に家庭教師から聞かされた言葉を思い出していた。立派になって、民を導く人になるようにと何度も聞かされていたはずの言葉だ。
『殿下はいずれ人の上に立つお方なのです。他国の方と交流する機会もあります。知らないでは――』
『うるさいっ。僕に指図するな』
これはエリナの声だ。他国言語は特に苦手だった。エリナにもよく注意されていたが、ジラルドだってわかっていた。それでも他人に指摘されることが嫌だったのだ。それがエリナだというだけで、ジラルドは更に頑なになった。エリナは既に履修し、会話レベルで話すことも出来る。嫌味を言われているようにも思えて、耳を傾けなかった。その結果が今のジラルドということだろう。
「アルヴィスも……僕が憎いのか?」
「……」
ぽつりと言葉が出る。アルヴィスが学園を卒業後、騎士団に入った時のことを思い出していた。王位継承権を持ちながらも、彼は所詮公爵家の次男でしかない。家を継ぐことは出来ず、その血筋だけが王に近しい存在。それを嘲笑ったこともある。それでも、アルヴィスが騎士になるということが気に入らなかったのもまた事実だ。
その後、騎士となったアルヴィスを王族へと追いやったのはジラルドである。ある意味で不自由であっても人生を選べる場所にいたアルヴィスを、自由も選べる道もない場所へと追いやった。アルヴィスの言葉は、そのままアルヴィス自身へと返っていく。そのことを恨んでいるのだろうか。ジラルドはアルヴィスから顔を逸らした。何故か、その顔を見ていられなくなってしまったから。
そんなジラルドの頬に、そっと手が添えられた。温かい力はおそらくマナの力だ。左頬の痛みが引いていくのを感じながら、アルヴィスと顔を合わせる。
「お前がそんな顔をするのは初めてだな」
少しだけ笑ったアルヴィスの顔は、ジラルドが良く知るもの。思えば、塔に入ってからここに至るまで誰もジラルドに笑いかけてくれる人はいなかった。誰一人として。
否、その前であっても笑いかけてくれたのは誰だっただろう。リリアンはいつも笑ってくれていた。だが、それ以外にジラルドに笑みを向けてくれた人はいただろうか。どれだけ思い返しても、覚えがなかった。父も母も、リティーヌやエリナでさえもだ。苦言を呈するばかりで、誰も彼もがジラルドを認めてくれてはいなかった。だから余計にリリアンが愛しく思えた。何をしても必ず褒めてくれたリリアン。だがそれは、他の皆に対しても同じで……。
ふと、ジラルドの背中に冷や汗が伝う。リリアンがジラルドを否定することはない。何を伝えても、どんな話をしてもだ。愚痴を言っても、駄目出しをしても変わらないそれは、本当にジラルドを認めてくれていたのだろうか。
「……リリアンは、僕を認めてくれていたわけではなかった……のか?」
そんなはずはないと思う心と、相反する考えがジラルドを混乱に落としていた。
いつも誤字脱字報告ありがとうございます!
最近、ミスが多くて申し訳ないです。。。




