5話
「痛っ」
目を開けたアルヴィスは、同時に頭に鈍痛を感じて顔をしかめた。
「殿下、お目覚めになりましたか……」
「ディン? ……ここ、は」
周囲を見回しても見覚えのない場所だ。どうやら、ベッドの上に寝ていたらしい。
「大聖堂の救護室です。何があったのか覚えていらっしゃいますか?」
「救護室……そうか、俺はあの後」
書物の頁を捲っていると、頭に情報が勝手に流れ込んできた。アルヴィス自身は何もしていないと言うのにも関わらず。
身体を起こしたアルヴィスは、その情報を思い出そうと目を閉じる。誰かが話をしている場面、その会話は深刻そうなものだ。
『そんなこと出来るわけないわっ』
『やってみなければわからないだろう? それにそれほど猶予はない。せめて滅することが出来ずとも、時間を稼ぐことさえ出来ればいい』
(何だ、これは……まるで見たことがあるような)
会話、場面。アルヴィスはただ手に取っただけだ。だが、それはまるで記憶に有ったことのようにアルヴィスの脳裏に浮かぶ。その様なこと通常ではあり得ない。単なる知識を与えてくれた訳ではないということらしい。
更に思い出そうとすると、ズキンと頭が痛んだ。どうやら今のアルヴィスに、これ以上深追いすることは出来ないようだ。
目を開けてアルヴィスは己の掌へ視線を落とすと、その手を握りしめる。
「殿下?」
「……あの書物は、一体何なんだ?」
顔を上げないままで、ディンへ問いかけた。アルヴィスが倒れたというのならば、ディンたちはその原因を突き止めるべく動いたはずだ。この場にレックスがいないのもその為だろう。ならば、何かしら情報を持っているはず。
「大司教殿によれば、あの書物はあの場に置かれたどの書物よりも古いものだそうです。その割りには、状態が良いように思いますが」
「……破損はおろか、中身も傷んでいるような感じではなかったな」
それだけでも異質な書物なのだとわかる。
「大司教殿はもちろん中身を検分しようとしたことはあると仰っておりましたが、殿下のような現象は起きていないと」
「触れても何もなかった、ということか」
「はい」
「そうか」
アルヴィスだけに起きた。それはそれで正解を当てたとも言える。アルヴィスは大きく深呼吸すると、ベッドから降りた。すかさずディンがアルヴィスへ上着を掛けてくれる。
「立ち上がって大丈夫なのですか?」
「立ち眩みもないし問題ない」
袖を通して身支度を整える。多少まだ頭痛がするものの、大事にするようなことではない。この程度ならば問題なく帰れる。
「大司教は?」
「祈りの間におられます」
「わかった」
救護室を出て、アルヴィスは祈りの間へと向かう。そこには、大司教とレックスがいた。大司教の手には、アルヴィスが手に取り倒れた原因である書物がある。
アルヴィスの姿に気がつくと、二人が慌てて駆け寄ってきた。
「アルヴィス、もう大丈夫なのか?」
「王太子殿下、まだお休みになられた方が宜しいのでは……」
「平気だ。心配させてすまなかった」
レックス、大司教へと視線を向けてアルヴィスは頷く。
「だがアルヴィスーー」
「それより大司教にお願いがあるのだが」
レックスの言葉を遮って、アルヴィスは大司教に声をかける。訝しげな表情をした大司教だったが、少し考える素振りを見せた後で首肯した。
「……何なりと仰せになりませ」
「その書物を、暫く貸して貰えないか?」
「おいっ、お前何を考えてる! あれでお前は」
「シーリング」
文句を放ったレックスを、アルヴィスの後ろに控えていたディンが止める。彼に止められればレックスは何も言えない。
「本気で仰っておられるのですか?」
「あぁ」
「何が起きたかご承知の上で?」
「……俺には知らなければならないことがある。それが何なのかを含めて」
アルヴィスの言葉に大司教は考え込む様子を見せた。大司教の言葉をアルヴィスたちはじっと待つ。
「申し訳ありませんが、それは許可しかねます」
「理由を聞いてもいいか?」
「何よりも、私はこの目で王太子殿下がお倒れになるのを見ました。その原因でもあるこれを、王太子殿下に害があるとわかりながらもお渡しすることは出来ません」
大司教の言葉は正しい。その通りだ。何よりもその書物は大聖堂のものであり、今この場に於ける責任者は大司教。再びアルヴィスに何かしら作用する可能性がないと言えない以上、許可を出せないと断っても仕方がない。
「私も大司教殿に賛成です。これ以上、殿下に負担をかけるわけには行きません」
「負担だとはーー」
「倒れたということは、それだけ疲弊されたということでしょう。もう一度このようなことがあれば、妃殿下にもお伝えすべきだとハスワーク殿からも言われておりますし」
「エドの奴……」
エリナの名前を出されれば、アルヴィスも引き下がるしかない。今のアルヴィスにとって最優先事項はエリナだ。特段口に出してはいないものの、傍にいるエドワルドには筒抜けだということか。
「わかったよ、この場は引く」
「ありがとうございます」
礼を口にする大司教が笑みを深くするのを見て、アルヴィスは深くため息をついて天を仰ぐ。小窓から見える空はすでに闇に染まっていた。
「もうこんな時間か……長居しすぎたな」
「遅くなる旨は伝えております」
「助かる」
とは言え直ぐにでも帰るべきだろう。アルヴィスはレックスとディンへ指示を出した。
「城へ戻る」
「「はっ」」
毎回誤字脱字報告ありがとうございます。




