1話
アルヴィスの生誕祭が終わり、そろそろ建国祭の準備も本格的に始まる時期。執務室でアルヴィスはルークと打ち合わせをしていた。今年の近衛精鋭部隊による遠征の話だ。
「それじゃあ今年もお前が同行するってことでいいか?」
「あぁ、それで頼んだ」
「……こう言っては何だが、妃殿下の傍にいなくていいのか?」
神妙そうな顔でルークに言われると、どこか不思議な気分になる。アルヴィスは肩を竦めた。
「傍にいると却って気になってしまうし……俺に出来ることはそう多くないからな。それに……」
「それに?」
「どうも胸騒ぎがするんだ」
エリナのことが心配なのは間違いないし、本心では傍に居たいと想っている。だが、それ以上の何かがアルヴィスの心を騒がせていた。何かが起こる。いや、既に起こっているような気もする。それが何なのかはわからない。
「何か気がかりなことでもあるのか?」
「……うまく説明できない。ただ、行かなければならない。そんな気はする」
「それで今回のルートにここを追加したわけ、か」
「すまない」
毎年同じ場所へ向かっている近衛隊の遠征だが、今回は行き先を追加していた。それは、遠征場所からもそれほど遠くない土地。だが一般人は決して立ち入ることが出来ない場所だった。その場所は、ルベリアの建国の祖とされる女神ルシオラが眠る地と言われている墓所。人の手が入っていないにも関わらず、荒れ果てず建物が朽ちることもない不思議な場所だった。
「向かったところで現時点では入れないはずだが」
「あの地に入れるのは、五十年に一度の満月の夜のみだからな」
国王とラクウェルは学生時代に入ったことがあるらしい。次に入ることが許されるのは、まだまだ先の話だ。向かったところで、扉が開くことはないだろう。それでもその場に行かなければならない。そんな予感がする。何の根拠もなく、ただアルヴィスがそう感じているだけだ。
距離的には一人で向かえる場所なのだが、王都の外にあることがネックになっている。王太子であるアルヴィスが、一人で王都の外に出ることはできない。どれだけ腕が立とうが関係なかった。であるならば、近衛の遠征に合わせて向かえばそれほど手間がかからないと考えたのだ。
「他ならぬ王太子の希望だ。それを叶えるのも近衛隊の役割だろう。お前がただの我儘で向かいたいってわけでもないんだしな」
「隊長」
「それに俺の方でもちょいと気にかかる噂は聞いている。尤も、隣国の方だがな」
「隣国……マラーナか」
あの国について気にかかる件はアルヴィスもある。王女の件から何となく予想はしていたものの、あそこの王太子の噂も聞かなくなった。マラーナ国王は病に臥しており、危険な状況だという話もある。ではあの国は誰が舵を取っているのか。
「隊長、ちょっと相談がしたいんだが」
「お前が長期間王都を離れるってこと以外ならば聞いてやる」
「……わかってるさ」
そこまで無鉄砲なことはしない。そもそも建国祭が近いのに、長期間不在になど出来るはずもないのだから。
「帝国にも知り合いはいるか?」
「帝国? ザーナか?」
「あぁ」
「いるにはいるが……連絡つくかどうかはわからんぜ?」
「それでもいい。なるべく早く、あちらとコンタクトを取りたい」
今は関係なくとも、マラーナで何が起きているのか知っておきたい。こちらからも諜報員は送り込んでいるが、万が一の場合を考えると帝国とも連携を取っていた方がいい。
「わかった」
「頼む。あとついでに、これを副隊長に渡しておいて欲しい」
「……あぁ。では、私は詰め所に戻りますので」
書類を受け取ったルークは、砕けた口調を公式の口調へと戻す。胸に手を当てて頭をさげると、ルークは執務室を出て行った。だが、再び扉が開かれる。何か忘れ物でもして戻ってきたのだろうか。
「隊長……ってなんだ、エドか」
「アンブラ隊長ならば先程そこでお会いしましたが、まだ何か御用でも?」
「いいや。戻ってきたかと勘違いしただけだ」
「そうですか」
エドワルドが戻ってきたところで、小休止すべくアルヴィスは立ち上がる。そのまま一旦ソファーへと座れば、エドワルドがお茶を用意してくれた。
「ありがとう」
「いえ」
「それで、ハーバラ嬢は無事着いたか?」
「はい。中庭へとご案内いたしました」
エドワルドは、エリナに招待されて王城へとやってきたハーバラを王太子宮へと案内する役割をお願いした。アルヴィスの侍従であるエドワルドがやることではないのだが、これには事情がある。その理由をエリナから聞いているアルヴィスは、ちらりとエドワルドの顔色を窺う。
「何でしょうか?」
「……エド、何か言われたのか? お前にしては珍しく悩んでいるようだが」
「悩んでいる、というわけではありません。ただ、ちょっと理由がわからずにいるだけです」
「理由?」
アルヴィスはエドワルドに座るように指示をした。素直に従ったエドワルドは、両手を組むようにして膝の上に置くと、眉を寄せながら口を開く。
「実は、ランセル侯爵令嬢様より提案を受けまして」
「提案というのがハーバラ嬢らしいな」
「えぇ。あの方はどちらかというと、商売人に近い思考を持っていらっしゃいますから」
アルヴィスもエドワルドも、初めてハーバラと直接会話をしたのは王立学園のあの時。あそこでもアルヴィスへ提案を持ち掛けてきた。今となっては懐かしいことだ。
「それで、私にビジネスパートナーになっていただきたいとご提案されまして」
「ビジネス?」
「……生涯のパートナーとして、とも申されておりました」
「何と言うか……本当に見た目からは想像がつかないご令嬢だな」
それは率直すぎる言葉だ。普通の令嬢ならば、男性側からの告白を求めるものだ。ルベリアでは、女性から積極的に行動することについて批判的な風潮がある。この風潮自体については、学園の女子学生を中心に変わってきているらしいけれど。
「私はアルヴィス様に生涯お仕えするので、とお断り申し上げました」
「エド」
「もう二度と私はお傍を離れないと誓いました。ですから、私にはアルヴィス様以上に優先すべきものなどありません」
「だがそれではお前は――」
「あのような想いをする方が私にとっては耐えられませんから」
エドワルドがここまで頑ななのは、アルヴィスの所為だ。従者として良いことなのだろう。だが、それで本当にいいのか。アルヴィスはエリナと婚約し、結婚して幸せを感じた。一時期は、アルヴィスもいつ死んでも構わないと考えていたし、一人でいいとも思っていた。だが、誰かの温もりを知った今は違う。大切だからこそ、エドワルドにも一人でいて欲しくはない。
「俺は、お前にも幸せになってもらいたい」
「アルヴィス様のお傍にいることが、私の全てです。それ以上の幸せなどありません」
「だが――」
「家族というのならば、アルヴィス様がいらっしゃいますし。不本意ですが、姉もおりますから」
確かにエドワルドはアルヴィスにとって兄のようなものだ。イースラも侍女である以上、近くにはいる。だがそういうことではない。アルヴィスは溜息をついた。
「エド、俺は――」
「それにランセル侯爵令嬢様と私では身分が違い過ぎます」
「……」
エドワルドは貴族籍を持たない。ベルフィアス公爵家に仕えるハスワーク家は、元は伯爵家だったがラクウェルが臣籍降下した時にその身分を捨てている。身分はないが、その血筋は間違いなく貴族のもの。だが世間的に見れば、エドワルドは平民なのだ。
「と偽りなくそのままをお伝えしたのですけれど、それでも構わないと」
「……そうか」
「何故、私なのでしょうか?」
何故ハーバラがエドワルドを選んだのか。それは当人以外にはわからないだろう。だが少なくとも、ハーバラはエドワルドの事情もその想いも承知の上で彼を選んだ。それはアルヴィスにも理解できる。
「エリナに聞いてみるか」
「……そうしていただけると有難く」
「わかったよ」
「申し訳ありません」
「俺も気になるところだから気にするな」
珍しく疲れているようで、エドワルドは項垂れていた。その姿を見て、アルヴィスは苦笑するしかなかった。




