閑話 現実を見た令嬢
その後控室で父である子爵からもお小言をもらったミリアの気分は最悪だった。普段、ミリアへ強い言葉を発することがない父が声を荒げたのは初めてだ。それだけ、ミリアの行動が許しがたいものだったのだろう。だが、そうと理解しても納得は出来ない。
ミリアは会場へ戻るべく速足で回廊を歩いていた。
「だってお母様は大丈夫だって仰っていたもの。クレイユお姉様も嘘を言っているのよ。お父様も私のことを何もわかっていらっしゃらないだけだわ。きっとそうよ」
先ほどは、エリナが出てきたから少し無作法をしてしまったかもしれないが、普段のように出来ていれば問題なかったはずだ。きちんと冷静にアルヴィスと話をしていた。ちゃんと側妃でも構わないと伝えたのだ。
「あれは、エリナ様が傍にいたからアルヴィス様も気を遣ってくださっただけなのよ。お優しい方ですもの。二人きりの時にお伝えすれば、応えてくれるはずだわ」
子爵家であるミリアにはそもそも正妃になれはしない。高位貴族へ養子に入れるほどの伝手もない。王族へ嫁ぐためには、側妃か愛妾になるしかないのだ。それでも構わない。王子様へ嫁ぐことが、ミリアの幼い頃からの夢だったのだから。
「そうよ。そうすればきっとアルヴィス様も私を――」
ゆっくりと扉を開けて、ミリアは会場へと戻ってきた。そうして目の前に飛び込んできた光景に言葉を失う。
「え……」
そこにあったのは、国王夫妻の前で口づけを交わすアルヴィスとエリナの姿だった。驚いているのはエリナの方。つまりは、仕掛けたのはアルヴィスだということになる。遠目からでも、アルヴィスが微笑んでいるのがわかった。そして間を置かずに、今度はエリナがアルヴィスの頬へ口づける。
その光景はまるで結婚式のようだった。ほんの少し照れながらも嬉しそうにしているエリナはまだわかる。ミリアが理解できなかったのは、アルヴィスがエリナへ微笑んでいることだった。
ミリアとて、アルヴィスが笑っているところはみたことがある。王太子となってからも、その以前でもアルヴィスは常に穏やかに笑っている人だったから。けれど、頬を少し染めながら微笑むアルヴィスの姿は初めて見る。その瞳が全てを物語っていた。エリナを愛おしいと想っているということを。
「……だって、義務だって……政略結婚なんてそんなものだって、お母様も仰っていたわ。王族の方が本当に愛するのは、正妃じゃなくて愛妾だって」
実際、ジラルドだってエリナのことを義務的に見ていたはずだ。国王夫妻もそうではないか。国王夫妻が寄り添って笑いあう姿など見たことがないのだから。
「気は済んだか」
「っ⁉」
突然、背後から声を掛けられてミリアは勢いよく振り返った。立っていたのは、見覚えのある近衛隊士と男性の二人。ミリアでも知っている二人だ。
一人はアルヴィスと学友でもあったランセル侯爵家のシオディラン。もう一人は近衛隊時代からの友人であるレックスだ。
「わざわざ監視を緩めて入れたんだ。満足だろ?」
「どういう、ことですの?」
何を言っているのかがわからず、ミリアが疑問を投げかける。すると、シオディランが冷たい視線を更に細めた。
「阿呆。問題を起こして下がった令嬢が、普通に戻れるはずないだろう」
「なっ……」
馬鹿にされたことにミリアは声を荒げそうになるのを辛うじて抑えた。ここは端とはいえ会場内だ。声を荒げて場を乱す真似など出来ない。そのくらいの常識はミリアとて持ち合わせている。
「私に、お二方の姿を見せつけるため、ですか。正面から向かってこいと言いながら、妃殿下も姑息な手をお使いになられるのですね」
ミリアにアルヴィスがどれだけエリナを想っているのかを見せつけるなど卑怯だ。そうであるならば、アルヴィスとて騙されているのではないか。猶更、ミリアは引き下がるわけにはいかない。この場を壊してでも、エリナの本性をアルヴィスに見せつけるべきだ。
「何故、妃殿下がやったことにされるのかわからんが……子爵令嬢をここへ誘導するように伝えたのは妃殿下ではない。ましてや、アルヴィスでもない」
「え?」
「提案したのは俺だよ」
シオディランでもなくレックスでもない声。その主は、ミリアの後ろから近付いてきた。茶髪の男性だが、ミリアは彼の姿を知らない。高位貴族であれば一度は顔を見たことがあるはずなのだ。
「あんたがこのまま引き下がるとは思えなくてな。ランセルに頼んだってわけ」
「……貴方はどこの家の方なのですか?」
「俺は貴族じゃない。アルヴィスの友人ってとこかな」
「平民がアルヴィス様のご友人なはずありませんわ。だってあの方は王太子ですのよ」
いくら優秀だとしても友人関係を築く相手として平民は相応しくない。そう言い切るミリアに、友人だという青年は肩を竦めた。
「あんたに認識してもらわなくても構わないよ。ただ、あんたに見せてやろうとしたのは俺ってだけだ」
「何を――」
「言っておくけど、二人きりでアルヴィスと会ってもフラれるぜ?」
そんなこと会って見なければわからないではないか。と考えて、ミリアはここに来るまでのことを思い出した。確かに会場に入る前にそのようなことを呟いていた気がする。まさかとは思うが、彼らには筒抜けだった、ということなのか。ミリアは背中に冷たい汗を掻き始めた。
「まぁ無視されて終わりだな」
「そりゃ優しい方だろ? もっと酷いのはあれだ。『失せろ』でひと睨み。普段笑みを張り付けている奴の睨みってのは怖いんだよな」
「……今のあいつならばそこまではしないだろう。あれでも王太子という立場だ。令嬢にはそれなりに優しくするさ」
アルヴィスから睨まれる。それを想像するだけで、ミリアは怖かった。まさかそんなはずはない。この二人が話すのは嘘だ。
だが確定事項のように二人は話している。傍にいたレックスはやれやれとあきれ顔だ。ミリアは救いを求めるかのように、レックスへ視線を向けた。そんなことはないと、二人は言い過ぎだと言ってほしかった。だが、その希望は直ぐに打ち砕かれる。
「諦めな。あんたの出る幕じゃない。あいつに本格的に嫌われてもいいってんなら止めないけど」
「そんなの――」
嫌だと言おうとしたミリアは言葉を飲み込む。レックスの眼差しに気圧されたからだ。
「妃殿下に何かしようってんなら、近衛も黙っていない。それはわかるよな?」
優しい声色なのに、どこか怖く感じるのは気のせいではないだろう。ミリアは首をコクコクと動かす。近衛も、という事はアルヴィスもということだ。あんな優しい人に睨まれるなど、絶対に嫌だった。
「身の丈にあった相手を探すことだ。そうすれば、私たちも何もしない」
「そゆこと」
「……し、しつれいしますっ」
勢いよく頭を下げたミリアは、急いで会場から出て行く。
誰も傍にいなかったはずなのに、全て聞かれていた。見られていた。それは全身が凍るような恐怖だ。令嬢らしからぬ行動だとわかっていても、早くあそこから離れたかった。
「はぁはぁ……」
控室へ戻ったミリアは、その場にへたり込む。ここならば彼らの耳は届かないだろう。安心したら涙が浮かんできた。その様子を部屋にいた父が怪訝そうな顔で見て来る。先ほどまでならば怒りでいっぱいだったのに、今はそんな父の姿に安堵する。
「お前、戻ってきたのか」
「……私、やめる。あんな怖い人たちが傍にいるなんて、私には無理よ。お母様の嘘つき……アルヴィス様とエリナ様が義務だけの関係なんて嘘っぱちだったのよ。あんなの私の入る隙間なんてこれっぽっちもないじゃない‼」
「さっき、私がそういったじゃないの……」
同じく部屋にいたクレイユは、戻ってきたミリアに深く溜息をついた。