3話
王妃が居なくなり、改めてアルヴィスはカップに手を伸ばした。二人だけとはなったものの、侍女らは変わらずに待機しているので完全には二人きりではない。
落ち着いているアルヴィスに対して、エリナは固まっていた。表情も強張っている。それは初顔合わせの時よりも、緊張しているように見えた。
「エリナ嬢?」
「は、はいっ」
「……それほど緊張しなくてもいいのですが」
「え……あ、申し訳ありません。私……その」
言い淀んでいるのは王妃のことなのか、それ以外のことなのか。現時点ではアルヴィスに判断がつかない。女性との付き合いが全くないとは言わないが、なるべくなら避けてきたことなので、女性の機微には疎いと自負しているからだ。
「伯母上のことなら大丈夫ですよ。恐らくは、伯父上や侍女らがフォローするでしょうから」
「は、はい……」
「……」
「……」
一番あり得そうだと王妃のことを出してみたが、エリナからの返答から考えるに、そういうことではないということはアルヴィスにも伝わった。では何がエリナの表情を強張らせているのか。すると、暫くの沈黙の後、エリナが意を決したように声をあげた。
「あ、あの」
「? ……はい、何でしょうか?」
「アルヴィス殿下、その……もしご迷惑でなければ、その……もう少し共に過ごせる時間を頂けないでしょうか?」
「……それは、構いませんが……エリナ嬢は学園の寮住まいですよね?」
婚約者として会う時間を作って欲しいというのは、アルヴィスも理解できる。今回は王家に非があることゆえ、何があってもアルヴィスとエリナの婚約は揺るがない。といっても、公爵家としては関係を維持するために体裁を整えて欲しいのだろう。しかし、実際に学園に入ってしまえばそれは難しい。
王族だろうと平民だろうと学園に通う者は例外なく寮生となる。学園とこの王城は近いわけではない。学園は広大な王都の端に位置し、王城は王都の中心部にある。行き来するのは容易ではないのだ。
「はい。それは……そうです。あの、アルヴィス殿下は私が寮生だからと、気を遣って頂いているのでしょうか?」
「私も学園を卒業しましたので、無論寮則も覚えています。決して何度も外出出来るような仕組みではありませんでしたから……それに今もエリナ嬢は教育として登城しています。それ以上の時間を割くのは難しいでしょう」
「……そ、そうで、すよね。申し訳ありません。私が我が儘を申しました。先程の話は忘れてください」
「……」
前言撤回ということだろうが、本当にそれで良いのかとアルヴィスは思案する。
アルヴィス自身は、それほどエリナと会うことに積極的ではない。それ以上に、王太子として実績を築くことの方に重きを置いている。ただの公子であったアルヴィスが、本当の意味で王太子として認められなければ、ジラルドによって受けた王家への不信感を拭うことが出来ないからだ。
一方で、エリナには同情をしている。突然、婚約破棄をされてその後には別の者が婚約者となったのだから、心の整理も必要だろう。幼き頃から知っている相手と、会話など全くしたことのない年上の男性が相手では、戸惑って当然だ。
しかし、今のエリナはアルヴィスとの関係を前向きに捉えているようにも見える。あまりエリナと近付き過ぎるのは避けたいアルヴィスだが、距離を取り過ぎると不仲という噂が立ってしまう。それは、リトアード公爵家に対して礼儀に欠けるというもの。そもそも、エリナから時間が欲しいと言われた時点で、既に遅いのだが。もしかすると、リトアード公爵から何か指示を受けたのかも知れない。
アルヴィスは内心でため息をつきながらも、己の予定を思い返す。今日も、この後はいつも通りの仕事だ。特別急ぐ必要はない。急ぎであれば、王妃が去った段階で戻っている。ならば、この後数時間ほど抜けたところで、穴は出ないだろう。アルヴィスの行動は決まった。
「……エリナ嬢、この後は直ぐに寮に戻られるのですか?」
「は、はい。その少し実家に寄ってからにはなりますが」
「それは急用ですか?」
「いえ、急用というわけでは」
「では少し城下町へ出ましょう。寮へは私がお送りします。侍女殿、私の執務室までそう伝言を。リトアード公爵家へも通達するようにと」
「は、はい。承知いたしました」
「え、あの、アルヴィス殿下?」
アルヴィスは立ち上がると、エリナへと手を差し出す。
「まぁ、私もこの立場に立たされて以来、城を出ていないので……少し気分転換に付き合ってもらえますか?」
「あ、でも宜しいのですか? その、護衛とか」
「お忘れですか? 私は、元近衛隊所属ですよ」
護衛は不要とまでは言わないが、守る側にいたのだ。一人で城下に下ったところで、然して問題ではない。にこりと微笑むと、エリナは頬を赤く染めながらもアルヴィスの手を取り立ち上がった。
「では、行きましょうか」
「は、はい」
後宮を出ても、正面から出ることは出来ない。近衛隊にいた時に使用していた騎士団用の出口へ向かった。令嬢と王太子のセットは目立つ。戸惑うエリナだが、アルヴィスは気にせず足を進めた。すると見覚えのある近衛隊士を見つける。
「レックス、ちょうどいいところに」
「ん? って、お前……じゃなくて殿下」
「公式じゃないんだから別に取り繕わなくてもいい。それより、これを持っていてくれ。少し外に出てくる」
王太子として身に着けていた上着を脱ぐと、それをレックスへ放り投げた。如何にも王族らしい服装から、シャツ一枚になり、貴族子息程度の装いに見える。上着一枚だけでも大きいのだ。
一方で上着を押し付けられたレックスは、状況がわからず慌てふためいている。
「ちょっ、アルヴィスっ!? お前、何考えてんだ!! 王太子がほいほい一人で出て行くんじゃねぇ」
「少し出て来るだけだ」
「少しって……ちょっ待て!!! おいっ」
手を伸ばしてアルヴィスを抑えようとするレックスをすり抜けて、そのまま外へと出てしまう。エリナの手を引きながら、城門を出る。王城に仕えている使用人たちは、こうして外に出ているのだ。
「さて、とりあえずは街を見て回りましょう」
「あ、あの……宜しいんですか? 先ほどの、近衛隊の方は……」
「……元同僚です。大騒ぎにはしないでしょう。あいつなら必要なところに話を伝えてくれるでしょうから」
近衛隊隊長なども含めて、後でお説教くらいはあるだろう。顔面蒼白だったレックスには、悪いことをしたという自覚はある。心の中で謝罪をしながら、アルヴィスは久しぶりの外の空気を吸った。




