19話
再び和やかになった会場の中で、アルヴィスはブルックラント子爵と話をしていた。傍にはシオディランとリヒトもいる。リティーヌはエリナの傍へ行ったので、ここにはいない。とはいえ、シオディランも次期侯爵という身分であるし、その冷たい視線は威圧感を与えるものだった。加えて衆人環視の中、視線もあちらこちらから向けられる。ブルックラント子爵は完全に委縮してしまっていた。だが、ここで逃げることなど許されない。ブルックラント子爵は深々と頭を下げる。
「申し訳ございませんでした。この度は、王太子殿下にも妃殿下にも大変なご迷惑を。この良き日に、娘が水を差すような真似をしてしまい、本当に申し訳ありません」
「……ご令嬢の独断で行ったというのは、彼女自身からの言葉で言質を取っている。子爵の本意ではなかったことも」
「ありがとうございます」
「だが、かといって貴殿に非がないわけではない。それは理解してもらえるか?」
家長として抑えることが出来なかった。それだけでも非はある。子爵の意志に反していようとも、あの令嬢は子爵の娘なのだから。
「承知しております」
「そうか」
あの場でエリナが発した言葉は、社交界へ広まっていくことだろう。そういう意味では、いい仕事をしたと言えなくもない。結果的に、場をかき乱したというだけのことだ。たったそれだけのことで、令嬢に処分を与えるということはしない。令嬢として相応しい在り方ではないということは、アルヴィスが言うまでもなく認識させられてしまった。この先、令嬢の選択肢は限られてしまう事となる。高位貴族への嫁入りなどは到底無理だし、下位貴族も性格的に難がある令嬢を嫁に迎えることは考えにくい。それだけでも令嬢にとっては十分な処分だ。
「それがわかっているならばいい。妃も、罰を求めているわけではないだろうからな」
「殿下……寛大なお言葉ありがとうございます」
もう一度、深く頭を下げてから子爵はアルヴィスたちから離れていった。そのまま会場を出ていくようだ。恐らく、令嬢たちが下がった控室へと向かうのだろう。
「アルヴィス、あんなんでいいわけ? もっとこう、何かするかと思ったんだけど」
「口を慎め、アルスター。あんなの、というわけではない。アルヴィスは今の時点で十分だと判断しただけだ」
「十分? だってお咎めなしと同じだろ?」
騒ぎを起こして何もお咎めなし、というのがリヒトにとっては意外らしい。
「リヒトならどんなことを考える?」
「罰当番とか。あとは、出入り禁止とかだろうな」
「……アルスター、ここは学園ではない。罰当番はないだろうが。それに、お前はサボって余計に増やされて……そのフォローをさせられていた身にもなってみろ」
罰当番と聞けば、確かに思い浮かぶのは学園時代の話だ。リヒトはある意味で問題児でもあったので、その類の罰は頻繁に受けていた。最終的には、シオディランとアルヴィスが手伝って終わらせていたというのも懐かしい思い出だ。
「まぁまぁ昔のことはいいじゃん。それで、どうして何もしなかったんだ?」
「いいわけあるか……」
吐き捨てるシオディランだったが、リヒトの中ではもうその話題は終わっているらしい。それほど短い付き合いでもないので、シオディランも呆れつつそれ以上蒸し返すことはしない。二人とも無駄なことはしない性質なのだ。
アルヴィスは苦笑しながら、リヒトの質問に答えた。
「確かに、俺から直接的なことは何もしていない。だが……この先、あの令嬢は爪弾きにされる。社交界でも、恐らくは学園でもな」
「どういうこと?」
「あの令嬢は王太子妃殿下を軽んじた。それも王太子殿下の生誕祭という場でだ」
「それが不敬だというのは、俺もわかるさ。だからこそ、なんか目に見える形で罰とか与えるんじゃねぇの?」
シオディランの言葉に理解を示すものの、それがどうして令嬢が弾かれることになるのかまで、平民出身であるリヒトには想像しにくいらしい。アルヴィスは、「罰を求めていない」と言った。ならば尚のこと、何の不利益もあの令嬢には与えられないのではないかと。
「覚えておくがいい。社交界という場は、女性たちにとっては戦いの場。そして、社交界に出る夫人や令嬢たちは、大層噂好きだ」
「……貴族が噂好きなのは知っているさ。嫌っていうほど思い知らされたからな」
チラリとリヒトから視線を向けられて、アルヴィスは肩を竦めた。そうして、どこか納得したようにリヒトは頷く。
「なるほどね。そういうことか。つまり、さっきのも直ぐに広まるってことか」
「そういうことだ」
「なんでアルヴィスの妃さんに突っかかるかな。どう見ても、勝ち目ないだろうに」
「妃殿下、と呼べ」
リヒトの呼び方を聞いたシオディランが、頭を小突く。大して痛くはないだろうが、リヒトは大袈裟に痛がって見せていた。こういう姿も懐かしい。苦笑しつつ二人を見ながら、アルヴィスはあの令嬢のことを考える。
ここがアルヴィスの生誕祭という場でなければ、恐らく諸々注意されるだけで済んだことだろう。それこそ、知っている人たちだけが彼女を避ける程度で終わったかもしれない。
しかし彼女はわざわざこの場で、人が多い場所で仕掛けた。その後、何が起きるのか想像することもしなかったのだろう。もしくは、自分がアルヴィスに選ばれるとでも考えていたのか。自分が選ばれないはずはない、そんな自信が彼女には見えていた。エリナという女性を既に知っているアルヴィスが、そのような常識外のことを実行する彼女を選ぶ要素がどこにあるのか。逆に聞いてみたい。
「ランセルは本当、俺には容赦ないよな」
「私は誰かに容赦したことなどないが?」
「ひでぇ」
二人のじゃれ合いは今に始まったことじゃない。既に学園内ではないというのに、こういう姿をもう一度見られるとは思わなかった。微笑ましく二人を見ていると、視線を感じる。そちらを見れば、エリナがアルヴィスの方を見ていた。笑みを浮かべながら軽く手を上げれば、エリナも微笑んでくれる。直ぐに令嬢たちへと視線が移されてしまったが、楽しそうな時間を過ごせているようで何よりだ。今のエリナに無理はさせられない。
「この後の発表で騒がしくなりそうな気がしていたが、ある意味では助かったかもな」
「アルヴィス?」
「君以上の人に出会うことは、もうないだろう」
アルヴィスの声は、シオディランとリヒトにも聞こえていたはずだ。だが、二人は何も言わなかった。




