閑話 退却した令嬢
クレイユ嬢視点のお話です。
その後、クレイユは王城の一画にある貴族専用の控室までミリアを連れて下がった。控室に入るなり、クレイユが掴んでいた腕をミリアは無理やり振り払う。振り返ってその顔を見ると、ミリアは不満気な表情でクレイユを睨んでいた。クレイユは深く息を吐く。
「お姉様、私は納得できません。どうして私が退出しなければならないのですか?」
「貴女、あの場にまだ留まる勇気があるの? だとすれば、本当に周りが見えていないのね」
「そんなことっ……」
この子を無理やりにでも引っ張ってきて正解だった。あの場の空気は、完全にエリナのものだった。堂々とアルヴィスへの想いを披露し、その上で真っ向からかかってこいと言われたのだ。それだけエリナは自信がある。アルヴィスに愛されているという自信が。
あの時のエリナの姿は、悔しいほど美しかった。恐らくその気持ちが出ていたのだろう。その時、アルヴィスと目が合ったが、怜悧な瞳でクレイユたちを見ていたのだ。クレイユが知る穏やかな雰囲気とは違う、冷たい瞳。一瞬恐怖を覚えて反射的に目を逸らしてしまった。あれはエリナへ失礼な言い方をしたことに対して、ミリア共々失望させたということなのかもしれない。それでは、本当にアルヴィスの妃になることなど出来なくなる。
クレイユは確かに今は退いた。今のアルヴィスとエリナの間に入ることは誰も出来ない。そう悟ったのだ。だが、時がくればきっと考えも変わる。まだ二年程度ならば、クレイユの年齢ならば待っていられるはずだ。そうすればと思っていた希望が、可能性が全くなくなってしまう。印象が悪くなれば、アルヴィスの考えが変わったとしても候補にさえ入れてもらえないかもしれない。否、既に手遅れなのだろう。あのような瞳を向けられて、彼の隣にいられると思えるほど愚かではない。
「……ミリア、諦めなさい」
「どうしてですかっ⁉ お母様だって、私なら問題ないって仰っていましたわ」
「でもおじ様はやめなさいと仰っていなかった?」
「お父様は気が小さい人だから、そんなことしか言えないのです。私は、ずっといつか妃になれると、その為に頑張ってきたのですよ」
クレイユは頭を抱える。王子様のお嫁さんになりたい。それがミリアの小さい頃からの夢だったのは知っている。ミリアの母もそんな娘が可愛いと応援していたことも。いつか王子様のところへ嫁がせてあげるからと。
だがそれは、王族の下へという意味ではない。ミリアは確かに努力してきた。淑女となるため頑張ってはいた。だが、エリナを前にするとどうしても幼さが勝ってしまう。あまりに堂々としたエリナの前では、その努力が欠片も見当たらなかった。学園でも社交界でも、常に周囲から評価される側だったエリナとは精神的な部分が大きく違うのだろう。
「貴女が頑張っていたことは知っているわ。でも、貴女は王太子殿下を知らない。あの方の社交界での様子を知らない。だから、今の王太子殿下の違いがわからないのよ」
「私だって聞いていますわ。王女殿下と親しくて、たまに顔を見せるパーティーでもパートナー同伴の時は王女殿下を伴うって聞きました。でも政略で結婚されたってことは、それだけの関係なのではありませんか!」
王女殿下と親しいというのは、当時の社交界では皆が知っていることだった。王女殿下を愛称で呼ぶのもアルヴィスだけだ。皆が勘繰っていたし、今でもそう考える人がいることもまた事実。だが、その時のアルヴィスを知っている人からすれば、それが偽りだったことがよくわかる。
「王太子殿下は、いつも笑みを崩さない方よ。それでいて女性とはある程度距離を保って接する。それがあの方の当たり前。でも……妃殿下は違う」
「違うってどういうことです?」
ふくれっ面をしながら尋ねるミリア。ミリアはあのお茶会に参加していない。だから見ていないのだ。あの甘い顔でエリナに微笑むアルヴィスの姿を。それを当たり前のように笑いながら受け取るエリナの姿を。あれを見て、相思相愛が演技だとは思えない。あのアルヴィスがあんな風に女性に触れるなんて、王女殿下相手でも見たことがないのだ。
「とにかく、諦めなさい。相手にされないどころか、おじ様に迷惑がかかるだけじゃない。下手をすれば、貴女は嫁ぎ先がなくなるわよ」
「私はアルヴィス様のところへ嫁ぎたいと言っていますわ」
「だからそれは出来ないと言っているでしょう。それとも、妃殿下以上に王太子殿下が好きだと豪語出来るほど、王太子殿下のことを知っているとでも?」
「アルヴィス様はカッコよくて、強くて綺麗です。お優しくて、ダンスもお上手で」
「そんなこと誰だって知っているわよ……」
呆れて物も言えないというのはこのことか。クレイユとて、あの時のアルヴィスの姿を見ていなければ、自分が側妃になれると今でも思っていただろう。だが、だとしてもあの場のエリナ以上の言葉は出てこない。ミリアと同程度だ。つまり、ミリアのことをとやかく言える立場にないということ。
「はぁ……」
だとしても、この従妹を止めなければならない。ミリアは決してアルヴィスが好きなわけではない。ただ理想の相手だというのは間違いないだろう。
「とにかく、王太子殿下の名を呼ぶことだけでも止めなさい」
「……親戚だからいいじゃないですか」
「ご実家であるベルフィアス公爵家の方々でさえ、あのような場では王太子殿下とお呼びしているわよ」
「え……」
これには流石のミリアも驚いたらしい。血のつながった親と兄妹でさえそうしている。ならば、ミリアが呼ぶことなど叶わない。それを漸く理解してもらえたようだ。顔色を変えたミリアに、クレイユはやっと前に進めた気がしていた。
「馬鹿な従妹がいると、目も覚めるわね」
少し前の自分に言ってやりたい。無駄なことはしない方がいいと。




