18話
エリナがアルヴィスの前にでて、アルヴィスは数歩下がる。そうしてエリナは令嬢へと微笑みかけた。
「ブルックラント子爵家のミリア様でございますね、先日十五歳になられたとお聞きしています。デビュタント、お祝い申し上げます」
「ありがとうございます。エリナ様からお言葉を頂けるなんて光栄ですわ」
不機嫌そうだった顔を一気に明るくしたミリア。だが次に飛び出てきたミリアの言葉に、アルヴィスとシオディランは顔を見合せて頭を抱えた。エリナを名前で呼んだことといい、あまり令嬢としての教育レベルは高くないらしい。
「喜んでいただけて何よりです。ですが、ミリア様。ご存じかとも思いますが、お許しもなく王太子殿下のお名前を呼ぶのはお控えくださいませ」
「私とアルヴィス様は親戚ですのよ」
「縁戚であろうとなかろうと、身分が上である方、ましてや王族の方を許しなくお呼びすることは叶いません。ご理解、いただけますか?」
あくまでエリナは諭すように、やんわりと忠告する。だがそれも気に食わないのか、ミリアはきゅっと唇を真一文字に引き結ぶ。
「エリナ様もお名前でお呼びではありませんか」
「私は殿下の妃です。そして殿下よりお許しを得ています」
「それは義務だからではございませんか?」
ミリアの言葉に、アルヴィスは胸に棘が刺さったような気分だった。あの時のアルヴィスの脳裏にあったのは、エリナとの表面的な関係の改善だ。打算があった行動だったのは間違いない。いつまでも他人行儀では、アルヴィスもエリナを貴族令嬢として、政略的な婚約者としてしか見なかったはずだ。
「……耳に痛いな」
「別に構わないだろ。義務で許可することの何が悪いのか、私にはわからん」
「シオ」
「お前が許可を出した。その事実だけがあればいい。感情云々は関係がない、違うか?」
「……いや」
そこに至る理由が何であろうとも、アルヴィスが許可をしたのであればそれが全てだとシオディランは話す。それはエリナも同意見らしい。
「義務であろうとなかろうと、それでもお許しがなければ私はお呼びしません」
「冷たい言い方をなさるんですね。私、聞きましたの。エリナ様がまだご在学の頃、アルヴィス様とご婚約してから登城される回数が減ったと。それはアルヴィス様とお会いになる機会がないということでしょう? お二方とも、義務以上のものがあったとは思えませんわ」
「私も殿下も納得した上でのことです」
「言い訳ですか。であれば私がエリナ様の代わりに――」
「ミリアっ!」
と、そこへミリアの話を遮るかのように名を呼ぶ声が聞こえてきた。先日のお茶会でも見かけた伯爵令嬢だ。彼女は焦りからか、ひどく汗を掻いている。
「あら、クレイユお姉様? どうかされましたの? 私がお姉様の代わりに――」
「何をしているのっ! 」
やや乱暴気味にミリアの腕を引っ張った令嬢は、己の背中にミリアを隠すとエリナへと深々と頭を下げた。
「妃殿下、申し訳ございません。従妹が失礼を致しました」
「お姉様、どうしてですの⁉」
「ミリアは黙りなさい」
「どうしてですの? お姉様は私の為にアルヴィス様の側妃を断ったのでしょう? お父様も取り次いでくれませんからこうして直接っ――」
「黙りなさいと言っているのがわからないの⁉」
ミリアを睨みつけると、その勢いに押されたのかミリアが押し黙る。
「ですが……」
「私は、貴女の為に諦めたわけじゃないわ。それでも……私では王太子殿下のお傍に相応しくない。そう悟っただけよ。殿下がお望みなのは、エリナ妃殿下だけだと……理解させられたから」
ほんの少し寂しそうな顔をした令嬢は、アルヴィスへと視線を向けた。視線を受けたアルヴィスは、令嬢をただ見返す。あまり関わりはないとはいえ、彼女はアルヴィスの又従兄妹。ミリアよりは親戚と言われて近しい気分にはなる。それでも、心が動くことはない。冷めたような視線を受けた令嬢は、アルヴィスから顔を逸らした。
そんな彼女に尚も言い募ろうとするミリア。それを止めたのは、少し震えた細身の男性の手だった。
「そんな――」
「ミリア、下がりなさい」
変わらず顔面蒼白のブルックラント子爵だ。エドワルドに押されるようにして、この場に現れた。声が震えないように必死なのだろう。
「お父様……」
「これ以上、殿下方にご迷惑をかけてはならん」
「ですが、私は……私はずっとその日だけを!」
「ブルックラント子爵様、クレイユ様、お待ちください」
「ひ、妃殿下⁉」
エリナから声を掛けられて、ブルックラント子爵の声が少し上擦る。徐々に人の目が集まってきている中、子爵にとっては逃げ出したい胸中なのかもしれない。
「ミリア様へお話しておきたいことがございます」
「……何ですか」
「私と殿下は政略です。王太子殿下に側妃という存在が必要であるというならば、許容しようと思ってもおりました」
「でしたらっ」
「それでも、私はアルヴィス様を愛しております。優しく臆病で無茶無謀も多い方ですし、もう少しご自分を大事にしていただきたいところではありますが、そんなあの方を生涯で愛すると誓いました。もしミリア様が私以上にアルヴィス様を想うと仰るのであれば、受けて立ちましょう。その想いを、私にお教えくださいませ」
満面の笑みで話すエリナ。予想外のエリナの言葉に、アルヴィスはもちろんのこと周囲がシーンと静まり返った。拒否するのではなく受けて立つと言い放つとは思わない。それはエリナの自信の表れでもあるのだろう。エリナ以上にアルヴィスを想うならば、その想いを認めると。側妃として認めるとは一言も言ってないが。
パクパクと何かを言い返そうとしては口を閉ざすミリア。それはそうだろう。ミリアとアルヴィスの接点など無いに等しい。当たり障りのない言葉を繕ったところで、この場では意味がないというくらいは理解しているようだ。
「すげぇな、妃殿下」
「茶化すなアルスター」
友人たちの冷やかしに似た言葉にアルヴィスは苦笑する。堂々とした構えで言われては、引き下がるしかない。ミリアは子爵に連れられてこの場から辞していった。エドワルドに再び視線を向ければ、心得たとばかりに頭を下げる。騒ぎを起こした件については後ほど詳しく話をする、ということだ。会場に居られなくなった子爵には、夫人と共に控室で待機していてもらう。
「お騒がせして申し訳ありません。引き続き、パーティーをお楽しみくださいませ」
にっこりと笑ってエリナは周囲に挨拶をする。そうしてこの場を収めるエリナの周りには、令嬢たちが集まってきた。
「エリナを取られたわね、アルヴィス兄様」
「……そうだな」
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