2話
執務室を出て、アルヴィスはその足で己が所属する近衛隊の詰所へ向かった。近衛隊は王国におけるエリート集団。実力が伴っていなければ選ばれることのない精鋭たちで、そこに身分は関係ない。平民出身者も少なくなかった。加えて言うならば、現近衛隊隊長は平民出身である。詰所に到着するとそのまま近衛隊隊長の執務室へ足を向け、閉じられた扉をノックする。
コンコン。
「開いている。入ってこい」
「失礼します」
中に入れば、正面には書類が積み上がった机の横に、近衛隊服をきっちりと着こなした人物が立っている。近衛隊副隊長のハーヴィだ。実家は伯爵家であり、ハーヴィ自身も男爵位を持つ貴族である。そして書類の奥から手が上がった。更に顔が半分ほど出てくる。異例の抜擢をされた平民出身の隊長、ルーク・アンブラだ。
「おー、アルヴィスじゃないか? どうした?」
「少しお話があるのですが……お取り込み中ですか?」
隊長のルークと副隊長ハーヴィの二人が隊長の執務室にいるということは、高い確率で書類などの作業が滞っている状況だ。ハーヴィによりルークが監視されているのだろう。ルークは剣技は優れているが、机仕事は苦手だった。そのため、書類を溜め込む癖がある。それを捌いてフォローしているのがハーヴィだ。近衛隊といえども、剣を振り回してばかりではない。こうした書類仕事もあるのだ。
「いや、先に話を聞く。構わないだろ、ハーヴィ?」
「……全く。仕方ありません。ベルフィアス殿の方が急を要するみたいですから」
許可が出たことでルークが立ち上がった。巨漢と言うほどでもないが、体格の良いルークは背も高い。アルヴィスも決して低いわけではないが、ルークを前にすれば目線を上にせざるを得ない。なるべくなら座った状態のルークと話をしたかったが、机の上の惨状を見れば仕方ないと諦めるしかないだろう。
書類を背に机に腰を掛けると、ルークは腕を組みアルヴィスと向き合った。ハーヴィは一歩引いたところに立っている。
「それで、話ってなんだ?」
「……先ほど、陛下より命を受けました」
「陛下から?」
「本日より、王族へ戻るようにと」
「……」
ルークは先ほどまで浮かべていた笑みを消す。アルヴィス自身は近衛隊とは言え、一隊員でしかない。だが、隊長であるルークならば王立学園で起きたことを認識しているはずだ。細かい説明をする必要はない。
「そうか……ということは、陛下は王子殿下を切り捨てる決断をしたのか」
「はい」
「……わかった。なら、お前は除隊ってことだな……流石に護るべき相手を所属させとく訳にはいかない」
近衛隊が護衛するのは王族。その一人になるのだから、近衛隊にはいられない。
望んで騎士団に入隊してからまだ2年ほど。このような形で除隊することは、アルヴィスとしても本意ではない。だが、どうしようもないことだ。
「……お願いします。それと、短い間でしたがお世話になりました、ルーク隊長」
「おうよ。今度は、別の立場でな」
「はい……では、私はこれで失礼します」
ルーク、次いでハーヴィを見てアルヴィスは頭を下げた。通常、騎士の挨拶としては右手を胸に添えるだけ。別の態度を取ったのは、アルヴィスなりの礼のつもりだった。
執務室を出ると次は宿舎に向かう。詰所から然程離れていない場所で、時間もかからず自室へと到着する。扉を開けて中に入ると、同室の友人がベッドの上に座っていた。
「よぉ、アルヴィス」
「レックス、起きていたのか?」
アルヴィスの記憶が正しければ、友人は夜勤だったはずである。まだ昼過ぎだ。いつもなら夜に備えて寝ている時間である。
「戻ってこなかったらどうしようと思っていたところだ。隊長にでも聞きに行くしかないからな」
「レックス?」
「見てみろよ……あっち」
レックスに示された場所は、部屋の中におけるアルヴィスのスペースだった。この場合、仕事が早いと感心するべきなのか。それとも呆れるべきなのか。アルヴィスの私物が置いてあった場所は、何もなくなっていたのだ。国王か宰相の指示に間違いない。アルヴィスが告げられたのは、つい先ほどだというのに既に準備は進んでいるらしい。
「侍女や執事らが運んでいった。俺も手伝うべきか迷ったが、見ていただけだった」
「……そうか」
「……アルヴィス、近衛隊を辞めるのか?」
ポツリと告げられた言葉に、アルヴィスはレックスへと振り返った。真剣なまなざしでアルヴィスを捉えている。
レックスは子爵家出身で、アルヴィスよりも3つ年上だ。しかし、近衛隊に所属したのは同時期で、隊においては同期と言える。貴族としての立場はアルヴィスが上だが、年齢はレックスの方が上。同室になったことで、全てを取っ払って友人という関係になった。今となっては同僚の中で最も仲のいい友人がレックスだ。アルヴィスも黙っていなくなるつもりはない。事情は隊長からも説明はされるだろうが、友人として話はしておくべきだろう。
「……ジラルド殿下のこと、聞いているか?」
「王太子殿下? いや、最近は学園寮の方で過ごされているし、護衛も学園の警護隊がするから知らないな。何かあったのか?」
「何かあったというか……起き過ぎて迷惑というか……簡単に言えば、ジラルドが起こした後始末の結果を押し付けられたというべきか」
「殿下の? おい、お前……」
目を見開くレックス。近衛隊に所属しているだけあって、勘はいい。アルヴィスが王弟の息子だということも無論知っている。知らない者はいないので、それはレックスに限ったことではないのだが。それだけで結論に達するには十分な理由になる。
「ジラルドは王族から排斥。その代わりを務めることになった」
「……」
「近衛隊は辞める」
「アルヴィス……そっか……」
代わりを務める。それだけでレックスには十分だ。アルヴィスは改めてレックスの前に立つと、右手を差し出した。
「アルヴィス?」
「……今までありがとう」
「あぁ」
お互いに握手を交わす。対等で居られるのは今だけ。身分が王族になれば近衛隊は部下となり、一隊員でしかないレックスと話す機会はほとんどなくなるはずだ。レックスが近衛隊の上位に行かない限りは。
「それじゃあ……」
荷物を整理しようと思ったが、その手間は不要となった。ならば、この場にいるべきではない。アルヴィスはそのまま部屋を出ようと扉に手をかけた。
「アルヴィスっ」
「……?」
開ける前に名を呼ばれて、思わず後ろを振り返った。レックスは立ち上がり、アルヴィスに向けて拳を突き出している。
「レックス?」
「……短い付き合いだが、俺はお前を友人だと思っている。お前がこの先、国主となるなら……お前より強くなってお前を守ってやるよ。だから待ってろ」
「…………わかった。待ってる」
「あぁ」
レックスとアルヴィスは、こうして笑顔で別れることが出来た。近衛隊での心残りはもうない。ここを訪れることももうないだろう。名残惜しいと周囲を眺めながら、アルヴィスは詰所を後にするのだった。