13話
執務室へと戻ってきたアルヴィスは、ソファーに座り込み俯いていた。そんなアルヴィスに、笑いながらレックスが声を掛ける。
「どうした? 今更羞恥でも覚えたかよ」
「……それは嫌味か?」
視線だけを上げて睨みつければ、当のレックスはニヤニヤと笑みを浮かべている。いや、レックスだけではない。心なしか、いつもはあまり表情が変わらないディンもどこか温かい目で見ているような気もする。口元を押さえているのは、表情が崩れるのを隠すためなのだろう。
アルヴィスは深く溜息をついた。
「まぁいい。これで多少周りが静かになるなら意味もある」
「どうかね。あのヴィズダム侯爵令嬢は、そうそう引き下がらなさそうに見えたぜ?」
「……ルシオラの名前まで出てきたんだ。侯爵が本当に忠臣というのならば、ヴィズダム侯爵家としては下がらざるを得ないはずだ」
「そうならなかったら?」
そうならない。かの令嬢がそれでも引き下がらなかったらどうするのか。ルベリア王国において女神と崇められているルシオラの意に背く行為をするということは、父であるヴィズダム侯爵が許すはずがない。それを無視し、我を通すような令嬢ならば、侯爵令嬢としてエリナと共に妃の役割を果たすことなど到底無理な話だ。
「その時は、伯父上の評価が誤りだったという証だろう」
「……最近のお前は、陛下に対して辛辣だな。いや、この件に関してだけか」
レックスの指摘に対し、アルヴィスは苦笑した。辛辣というほどの対応はしていないつもりだし、国王と会話がないわけではない。国政についてはまだ助言を仰ぐこともある。ただ、この件について理解し合えないというだけで。
「伯父上たちが言いたいこともわかる。そして、これを押し通すためには納得させるだけの結果を見せなければならない、ということもわかっているんだ」
「結果、か」
「理想論だけで語るなら、あいつと同じだろ?」
「次元が違うような気もするが、まぁそうだな」
「……そもそも他に耳を貸さないあの方と同列ではありませんが」
「ディン?」
「ディンさん」
黙っていたディンが口を挟む。思いがけないところからの言葉に、レックスとアルヴィスは同時に顔を向けた。
「出発点が違う方と比べたところで意味はありません、というだけです。それに……」
「それに?」
妙に歯切れが悪い言葉の切り方をするディン。彼には珍しいことだ。言いにくいことなのだろうが、アルヴィスはその先を促す。すると、ゴホンと咳払いをしたあとで「私的なことですが」と付け加えた上で続けた。
「殿下がお一人のみを妻とするならば、我々の中にも一人で十分だという話があり、正直助かる部分があるのは事実です」
「そういえば、ディンは奥方のみだったか」
「はい」
ディンは、騎士爵を持っている貴族でもある。近衛隊の中でも王太子専属という重要な役割を与えられていることから、既に良い年齢にもかかわらず第二夫人にと声がかかることが少なくないらしい。とはいえ、年齢を理由に断ることが出来るディンはマシな方だ。他の近衛隊所属の騎士たちの中には、まだアルヴィスとそう変わらない年齢の者たちもいる。彼らに声がかかるのは、特に珍しいことではない。それが既婚者であろうとなかろうと。
「そういえば、俺も実家から何枚か釣書が来ていたな」
「そう言うってことは、見てないんだろ?」
「家を継がない次男なんて後回しで十分さ。全部捨てちまったしな」
釣書を捨てるという行為はかなり酷いことではあるものの、アルヴィスにはそれを責める権利はない。同じようなことをずっとやっていたのだから。肩を竦めるレックスに、アルヴィスは深く息を吐いた。
「ひとまずこの件は様子見だ。ヴィズダム侯爵令嬢以外であれば、次に名があがるのはアムール侯爵家だが、当人からその意志がないことを告げられている」
「他に思い上がる様な令嬢はいない、ってことか?」
「……特殊な人間でない限りは、な」
「稀にいるからなぁ……」
本当に極まれに現れる、教育を受けたのか怪しい令嬢。先のリリアンはその特殊な部類に入る。だが、それでもこれまでにも同じような人間がいなかったわけではない。
「俺には理解できない、好んで王族に加わりたいと願う人間が」
「同感だな」
「……」
権利と義務にまみれて自由と呼べる時間など僅かなもの。己の発する態度や言葉一つ一つが他に影響を与えるというのは、かなりの精神的疲労を伴う。アルヴィスでさえそう感じるのだ。これが王位継承権など持たない誰かだったら、その負担はそれ以上に感じることだろう。それは王族に嫁ぐ人間でも同じこと。王族に近い位置にいたからこそ身に染みているが、王族から遠い場所にいるとそうは見えないのだろうか。何をしてもその地位に行きたいと望むものなのだろうか。それがアルヴィスには理解できない。
「だから馬鹿なんだろ?」
「身も蓋もない言い方だな」
本当にそのようなことがあれば、恐らく溜息しか出てこないだろう。だが、後日に行われたアルヴィスの生誕祭において、やはり特殊な人間というのはいるものだと実感することになる。




